隈研吾氏 インタビュー
本インタビューは2016年6月に行われたものです
■ 建築家への道を大きく拓いた「移動」と「パートナー」
- − 隈さん自身が「匠」と同じ30代の頃、東京を離れて、地方で様々なプロジェクトに参画されていたと聞くが、当時を振り返って感じることは?
- ずっと東京にいたら、今の自分はなかったですね。90年代初期にバブルがはじけて、労働環境が厳しかった10年間、地元の職人さん達と地方の小さなプロジェクトに携わっていました。その10年が、自分の建築に対する姿勢を大きく変えたと感じています。
- − 新たな仕事を求めて移動するとき、隈さんを後押ししたものは?
- 人との繋がりです。「美味しいものがあるよ」「飲もうよ」といった、仕事と直接関係ない誘いにも応えて行ったこともあります。自分から積極的に、どこに行こう?と場所を探したわけではなかったですね。職人や「匠」の世界に出て行こうという志は素晴らしいですが、だれかと一緒に出ていくことが重要な気がします。僕の10年間の心の支えも、仲間だったので。
- − 隈さんにとって、仲間やパートナーになる上で重要なこととは?
- 仕事の話でいえば、「こんな未来を作りたい」というビジョンを共有していることが大事だと思います。パートナーになるような人は、会話をしているうちに、「この人とならやっていける」と感覚でわかるものです。パートナーには、僕の価値観も示すようにしているし、相手の価値観も示してもらいたいと思っています。このプロセスさえあれば、その後の打ち合わせやプレゼンテーションは、上手くいくし、むしろ二次的なものになってくるのかもしれません。
■ クリエーションが消費される時代、つくるべきは「語るモノ」と「見せる場所」
- − 世界的に、日本のモノづくりにおいて、技術は高く評価される一方、それを発信する力やプレゼンテーションスキルが低いと言われるが、どう考えるか?
- 「匠」には、必要以上の説明スキルはいらないと感じています。日本には、競争をして無理にモノを売る文化があるし、建設業界でも、頑張って営業して、商品を一生懸命売りすぎる風潮があるので。それよりも、「人の心に響くプロダクト」と、それを「多くの人に見せる場所」をつくることが大事。そこで何を喋るかは、そこまで重要じゃないのでは、と感じます。
- − モノが消費されながら、気づかないうちに作り手の「クリエーティビティー」までもが、消耗されてしまっているのかもしれない。
- そう思います。プロダクトのありのままの魅力が伝わることがすべてなので。プレゼン資料を用意する時間も必要だけれど、プロダクトをより良くみせるために、どんな格好でプレゼンすべきかや、プロダクトの背景にあるストーリーなどを準備することが大事だと思います。
■ クリエーションを喜び・作品に素直になると、若き匠は飛躍する
- − LEXUS NEW TAKUMI PROJECTに参加する「匠」の印象は?
- 県内での選考を経て、各県を代表する匠が集まっているので、「競争の場」だって意気込みを感じる作品が多いですね。意気込みが空回りしているモノもあるなと思います。競争の場は、みんなに負けないようなモノを作ろうと、自分自身を見失って、「あの人普段こんなじゃないのに。」ってことも、しばしばありえるので。その土俵で勝てるか負けるかは場数で、 勝ち残ったものを見て勉強することで、自分の糧にしていってほしいです。
- − 今回プロジェクトに参加しているような、若い「匠」だからこそできることは?
- アーティストもそうですが、初期の作品が一番、力みがなくて自分らしさが素直に出ていてよかったと言われる人も多いです。プロジェクトでも、若い匠の「自分らしさ」や「素直さ」を引き出すことで、応援していきたいです。
- − 本プロジェクトのサポートを通じて、感じることは?
- 「匠」の作品は「自分の建築に置きたいかどうか」という視点で見ています。最初から、売れるか売れないといったマーケットのトレンド視点で見るよりも、その方が本質的な気がするんです。作り手自身も、まず自分で作っていて、楽しいことが一番大事。僕自身も、最後まで楽しんで作れる建築しかやらないようにしています。自分が楽しくモノづくりをした上で、まず作品を売ってみて、なにか違うと感じたならば、市場のリアクションを参考に作品の修正をしていけばいいと思います。
- − 隈さんにとっての“クリエーション”は?
- 締め切りがない限り、ずっとやっていたいです。締め切りがあるからこそ、そこまでに最善を尽くすようにしています。クリエーションするプロセスを楽しむことができ、それを磨きたいという気概がある人が長続きするし、その姿勢あれば、いいチャンスも巡ってくると思います。