ART / DESIGN

江戸小紋を未来へ。
老舗・廣瀬染工場の若き4代目の挑戦

2020.06.01 MON
ART / DESIGN

江戸小紋を未来へ。
老舗・廣瀬染工場の若き4代目の挑戦

2020.06.01 MON
江戸小紋を未来へ。老舗・廣瀬染工場の若き4代目の挑戦
江戸小紋を未来へ。老舗・廣瀬染工場の若き4代目の挑戦

400年の歴史をもつ無形文化財、江戸小紋。創業102年目を迎える廣瀬染工場の4代目、廣瀬雄一氏は、その技と美学をさらに先へつなげていこうと挑戦し続けている。生涯を懸けたその思いを聞いた。

Text & Edit by Mari Maeda(lefthands)
Photographs by Takao Ohta

江戸から現代へ

すっ、すっ、と、型紙の上をヘラが行き交う音が、静寂な作業場に響き渡る。緻密さと集中力が問われる作業を、その場に居合わせた誰もが息を潜めて見守る。一寸の乱れなく、軽やかに、リズミカルに繰り返される音。この音を、江戸の職人たちも聞いていたのだ、と思いをはせる。

ここは、時空を超えた聖域だ。江戸の職人たちが極めた技を、今もこうして、一人の若き職人が受け継いでいる。
生地の上に型紙を置き、均等に紙一枚ほどの薄さに防染糊を塗ることで、染色した際に美しい柄が浮かび上がる
生地の上に型紙を置き、均等に紙一枚ほどの薄さに防染糊を塗ることで、染色した際に美しい柄が浮かび上がる
着物を着る機会が少なくなってしまった今、「江戸小紋」と聞いて、すぐに何かと答えられる人はそう多くはないだろう。しかし、一度でもその奥深い世界を知ったならば、魅了されずにはいられない。

遠目からは、無地に見える反物。近づいてみると、そこには3cm四方に800から900という無数の点からなる染め柄が浮かび上がる。その極細美にはため息が漏れ、いにしえの人々が生み出した繊細な技と美学に心打たれる。
細かいものではわずか1mmほどの柄で構成される江戸小紋の極細美。細かいほど価値がある
細かいものではわずか1mmほどの柄で構成される江戸小紋の極細美。細かいほど価値がある
400年もの歴史をもつ江戸小紋。そのルーツは、江戸時代の武士の裃(かみしも)。衣装の豪華さを競う大名たちを戒めた幕府の規制に対し、さりげなく「粋」をまとう新たな染め物文化が生まれた。江戸時代の中期には、町人文化の発達とともに身分を超えて庶民にも愛され、長きにわたり培われた感性と技が、優れた職人たちによって受け継がれてきた。廣瀬氏は、現代の若き後継者として今最も注目される一人だ。

日々の作業で培われる精密な技

江戸小紋では、伊勢の職人が手彫りした“伊勢型紙”を使う。柿渋で貼り合わせた美濃和紙に特殊な彫刻刀で極細紋様を掘り抜いたもので、染師はこれを使い、絹の白生地を染め上げる。
人の手によって彫られたことが信じ難いほどこまやかな伊勢型紙
人の手によって彫られたことが信じ難いほどこまやかな伊勢型紙
全ての工程は手仕事だ。7mの一枚板に白生地を乗せてピシリとのばす。その上に型紙を乗せ、ヒノキのヘラで灰色の防染糊(ぼうせんのり)を置く。そして、一定のリズムと速度で、すっ、すっ、とヘラを動かす。糊を薄く、ムラなく塗り終えると、型紙をゆっくりと持ち上げて次の白地へと移す。その際、柄の継ぎ目にある「星」と呼ばれる小さな穴を目印に、柄がピタリと合わさるように型紙を置くのが至難の業だ。
真剣な眼差しで柄のつなぎ目を合わせる。星合わせを習得するのに3年かかるという
1枚が13mにも及ぶ生地の上に、伊勢型紙の柄を細心の注意を払って連ねてゆく
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一連の動作は洗練されている。歩幅、腕の動き、腰の角度、どれをとっても無駄がない。同じ作業を、13mの白生地の上に何度も繰り返す。型紙のサイズによっては、80回ほど繰り返すという。途中で、乾く型紙に幾度も水を含ませ、もち米を塗った板にも霧を吹く。そうして、季節とともに日々変わる湿度や温度をも感じながら、黙々と作業を行う。地道な、気が遠くなるほどに緻密な手仕事が、得も言われぬ美しい世界を生み出している。

「均質な作業と集中力が求められるので、夜遅くまで根を詰めても、無駄な力が入り、かえって上手くいかない。月曜から土曜まで、朝8時から夕方6時まで、毎日規則正しく、淡々と行うことが大切です」

それはあたかも、雑念を捨てて精進し、「道」を極めることにも似ている。
1日で作業できる数は3枚ほど。「型付け」を終えた生地は数日かけて乾かし、染色の工程へと進む
1日で作業できる数は3枚ほど。「型付け」を終えた生地は数日かけて乾かし、染色の工程へと進む

「一流になりたい」

「伝統的な江戸小紋は、ものすごく細かな柄を完成度高く染め上げ、完璧に仕上げなくてはなりません。柄が細かいほど技量が問われます。江戸時代にはたくさんの職人がいたのでしょうが、一流と言われた人は一握りだったはず。僕は一流になりたい。今を生きる職人の中でも、そこを目指していきたいんです」

その目は純粋に生き生きと輝く。

「そのためにも、基本に忠実であろうと心がけています。基本の技術がない人が何をしても、それは形無し。型破りは、本流、本質が備わっているからこそできることです」
江戸小紋への熱い思いを誠実に、明朗に語る廣瀬染工場の4代目、廣瀬雄一氏
江戸小紋への熱い思いを誠実に、明朗に語る廣瀬染工場の4代目、廣瀬雄一氏
江戸小紋のような無形文化財は、人から人へと伝承されて維持される。ゆえに、確かな技術を残すことこそが最も重要なのだと廣瀬氏は語る。

「伝統工芸の世界で、この職では今の時代食べていけないからと、自分の息子には継がせないという話をよく聞きます。しかし、それは間違っていると思うんです。将来性については、継いだ息子が考えればいい。新たな発想で何かを生み出すかもしれない。けれど、技を教えなければ、その技はそこで途絶えてしまう。それは悲しいことです。僕は無理やりにでも、子どもに継がせるべきだと思っています」

一度失われた技術は、二度と取り戻すことはできないのだ。

技を守るための挑戦

そんな廣瀬氏も、技を極めたくても着物が売れない現実に愕然としたこともあった。どうにかして活路を見いだそうと試行錯誤を重ね、着物になじみのない世代にも知ってもらおうとネクタイやストールを展開する。また、4代受け継いできた1万にも及ぶ伊勢型紙の中から、現代にも通じる柄を選び復活させてきた。時代に合った、新しい柄を考案することにも熱心だ。
江戸時代にはなかった動物モチーフやスカルモチーフを新たに考案。細かな点が描く手染めの柄に粋が宿る
迷彩柄や水玉の中に、代表的な鮫小紋を重ねて染めたシルクのストール。手仕事が生む風合いが極めて美しい
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「技がなくても伝統工芸品と名乗って売れるものもある。でも、それでは技術を守ることはできないし、自分が進むべき道でもない。一方で、技術だけを残そうとすると食べられなくなり、廃業に追い込まれる。高い技術を守っていくための作品作りと、ビジネスのための商品化。この2つをいかにバランスよく行っていくかが課題です」

今も模索しながら、自らの可能性を探り続けている廣瀬氏。近年はパリで開催される生地の三大見本市の一つ「プルミエール・ヴィジョン・パリ」をはじめ、海外の展示会にも積極的に参加し、手応えを感じてきた。

「いくつかのファッションブランドとも交渉してきました。ただ、プレタポルテではロット数が追いつかない。僕たちはこの工房でたった5人で制作する手染めですから。今の目標は、オートクチュールで使われる染め物を作ることです。同時に、江戸小紋の価値を保つために、文化として発信することにも力を入れています」
代々受け継がれてきた柄の見本帳を頼りに、今の時代に新鮮な柄を掘り起こす
江戸文化らしい、しゃれた「いわれ紋」。大根とおろし金の柄(中央)は、大根役者を降ろす意味が転じて厄落としに
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文化がアイデンティティになる

廣瀬氏は、2017年に「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」に招聘されて参加した。その際、いかに地域の再生に伝統文化が力になり得るかを学んだという。そしてまた、文化が地域のアイデンティティとなり、ひいては国のアイデンティティとなることを確信した。しかし現実は、失われようとしている伝統に直面している。

現在、江戸小紋の生命線とも言える伊勢型紙を彫る職人の高齢化が進み、継ぐ人がいない。型紙は何度か使用すると消耗するため、職人がいなくなってしまっては江戸小紋そのものが存続し得ないのだ。
代々受け継がれる伊勢型紙は、染めの技術とともに江戸小紋の命綱とも言える財産
代々受け継がれる伊勢型紙は、染めの技術とともに江戸小紋の命綱とも言える財産
1000年を超える歴史があり、19世紀末には西洋のデザインにも多大な影響を与えた伊勢型紙。その伝統が危機に瀕している現状に、国をはじめ、より多くの人が自国の伝統文化、ひいては職人の技を守る意識に目覚めてほしいと切に願う。

「それでも、応援してくれる人たちが国内外にいることを感じています。パリの人たちは、伝統的な文化と技術に高い関心とリスペクトを示してくれますし、良いものは守られる、そう信じています」
この部屋に保管された1万近くの伊勢型紙が、廣瀬染工場4代にわたる歴史を宿し、未来への糧となる
この部屋に保管された1万近くの伊勢型紙が、廣瀬染工場4代にわたる歴史を宿し、未来への糧となる

さらなる高みへ

そのためにも、廣瀬氏は生涯を懸けて技を極めることに日々邁進していきたいと語る。目指すものは、技を突き詰めた先にある精神だ。

「伝統工芸展などに参加して先生方にお会いすると、ものづくりへの真摯な姿勢と高い精神性に圧倒されます。人間国宝クラスの先生方だからこそ、型を破ることができる。そうした領域に、自分は少しでも近づきたい」

そう話し終えて、さっそうと作業場へと戻っていった廣瀬氏。彼が自らに課し背負っているものは重い。しかし、確固たる信念を語る表情は、その重さを微塵も感じさせなかった。人生を捧げると決めた潔さと前進する力が、400年続く江戸小紋の未来を切り開いていく。
そう話し終えて、さっそうと作業場へと戻っていった廣瀬氏
廣瀬雄一 Yuichi Hirose
1978年東京都生まれ。廣瀬染工場4代目。ウインドサーフィンでシドニーオリンピックの強化指定選手として活躍した後、家業である「染め物」の道へ。江戸小紋を広めようと、国内外の展示会に参加。ストールブランド「comment?」を立ち上げるなど積極的に活動している。

廣瀬染工場
http://www.komonhirose.co.jp

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