JOURNEY

東京の古い建物を楽しめる野外ミュージアム──
江戸東京たてもの園

2020.09.28 MON
JOURNEY

東京の古い建物を楽しめる野外ミュージアム──
江戸東京たてもの園

2020.09.28 MON
東京の古い建物を楽しめる野外ミュージアム──江戸東京たてもの園
東京の古い建物を楽しめる野外ミュージアム──江戸東京たてもの園

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する連載「車でしか行けない美術館」。今回は、江戸、東京にあった古い建物を移築し、庭や植栽まで再現した野外ミュージアム「江戸東京たてもの園」をレクサス「UX」で訪ねた。

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Masahiro Okamura

建物だけのミュージアムではない

江戸東京たてもの園は桜の名所、都立小金井公園の中にある。最寄りはJRの武蔵小金井、もしくは西武新宿線の花小金井だ。ただし、バスで5分、歩くと25分はかかる。雨の日には歩く気にもならないだろう。どうしたって、車で行かなきゃなるまいと思ってしまう場所にある。

さて、同園は野外ミュージアムだ。欧米や日本にも同じ種類のそれはいくつかある。欧米で知られているのはノルウェーとアメリカの野外ミュージアムだ。前者は「ノルウェー民族博物館」、後者は自動車王ヘンリー・フォードが作った「グリーンフィールド・ヴィレッジ」だろう。そして、日本に目を向けると愛知県の犬山市にある「博物館明治村」が代表的な存在だ。
1929年(昭和4年)に足立区千住元町に建てられた銭湯「子宝湯」
1929年(昭和4年)に足立区千住元町に建てられた銭湯「子宝湯」
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日本の場合は、木造建築だから明治村や江戸東京たてもの園のように、移築してきた建物を一カ所に集めやすいといえる。

江戸東京たてもの園にある建物は明治村のように全国から集めてきたわけではない。奄美の高倉(鹿児島県大島郡)をのぞいて、すべて江戸、東京にあったものばかりだ。

「なあんだ。木造の部材を運んで組み立てればそれでいいのか。簡単じゃないか」

そう思うのは早計だ。

ここに来てみればわかるけれど、建物の周りの庭、植栽は再現されたものだ。もともとの場所と同じデザインを意識した植栽になっている。
高橋是清邸
高橋是清邸
たとえば、高橋是清邸の庭園には清らかな水があふれて出てくる水源や小川までが再現されているし、江戸時代中期に建てられた民家、綱島家(つなしまけ)の庭先には野菜の畑があり、ちゃんと耕作されている。

野外ミュージアムは建物だけを移築すればそれで終わりというものではない。庭のある風景を丸ごと再現しなくてはならないのである。

三井八郎右衞門邸

江戸東京たてもの園の広さは約7ヘクタール。東京ドーム、約1.5個分である。一周を回って見て歩くだけなら2時間程度、建物の内部まで入って展示品を見ると、4時間近くはかかる。
三井八郎右衞門邸の外観。母屋は1952年(昭和27年)に建てられた
三井八郎右衞門邸の外観。母屋は1952年(昭和27年)に建てられた
さて、三井八郎右衞門とは三井物産、三井住友銀行など三井グループをつくった三井家の惣領、八郎右衞門高公(たかきみ)氏のことで、園内にある邸宅は1952年、現在の港区西麻布にあったものである。

元々、三井八郎右衞門が住んでいた邸宅は同じ港区の旧今井町にあったのだが、空襲で焼けたため、戦後、西麻布に移したのである。ただし、移すに際して、今井町邸宅の残存資材だけではなく、京都、大磯、用賀にも持っていた住居から建築資材、石材、植栽を集めてきて建てたとのことだ。
三井八郎右衞門邸の1階にある食堂
食堂からは庭園を望める。庭園も当時の景色が忠実に再現されている
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同邸宅は2階建てで、蔵も付属している。調度品も高級だし、襖絵は芸術品だ。しかし、やはり、いろいろな家から部材を集めて組み立てたという、ちぐはぐな感じは否めない。しかし、それが敗戦後の日本の窮乏生活だったのだろう。財閥が解体され、三井家といえども、何かと不自由な暮らしをしていた頃だ。

しかし、窮乏状態ではあったのだろうが、それでも庶民から見れば相当、贅沢な造りの住居である。

わたしがいちばん関心を持ったのがキッチンだ。ガスの火口は4つ、オーブンは2台。アイランドになっている調理台もある。ちょっとしたレストラン並みの設備で、専属の料理人が会合やパーティーのための調理を行っていただろうことがしのばれる。
三井八郎右衞門邸のキッチン
三井八郎右衞門邸のキッチン
住居を見る場合、建築的な意味よりも、素人が興味を持つのは暮らしていた人の生活ぶりだ。襖絵や欄間の細工よりも、台所やお手洗いの方に目が向いてしまう。わたしたちはそれを通して、住んでいた人のプロフィールを想像する。

三井邸を出ると、すぐ近くにいすゞ自動車が製造した四輪駆動のTS11型のボンネットバスがある。戦後にできたもので、元々はトラックとして開発されたものだ。ボンネットとはエンジンルームのカバーのことで、往時のバス、トラックはボンネット型が一般的だった。個人オーナーが同園に託したもので、ちゃんと動く。オーナーは時々、やってきて、園が閉まった後、エンジンをかけて慣らし運転しているという。せっかくのものだから、機会を設けて見学者を乗せてほしいものだ。
三井八郎右衞門邸のすぐ横に展示されているボンネットバス
三井八郎右衞門邸のすぐ横に展示されているボンネットバス

高橋是清邸

園内の中央には戦前に首相、大蔵大臣、日銀総裁などを務めた政治家、高橋是清の住居がある。2階建ての家で、食堂、仏間、寝室はもとより、同居していた書生の部屋がいくつもある。政治家の家は私的なものではなく、事務所機能もあったために部屋数が多いのだろう。なお、ここにあるのは主屋部分のみで2階建てのそれだ。
高橋是清邸の外観。1902年(明治35年)に港区赤坂7丁目に建てられた主屋部分を移築した
高橋是清邸の外観。1902年(明治35年)に港区赤坂7丁目に建てられた主屋部分を移築した
高橋邸は見学者が多い。しかも、誰もが2階の寝室へ行く。それは……。

大雪が降った1936年の2月26日早朝、寝室にいた高橋は乱入してきた反乱軍の青年将校たちに胸を6発撃たれ、命を落とした。

2.26事件で犠牲になったうちの一人が彼だった。

「ダルマさん」と呼ばれ、庶民から愛された高橋の温和な笑顔を見ると、テロの不条理さに考えさせられてしまう。園内で誰もが物思いに沈み込んでしまう場所が高橋邸だ。
書斎や寝室として使われた2階は2.26事件の現場となった
書斎や寝室として使われた2階は2.26事件の現場となった
2階からは是清が日光浴や散歩を好んだとされる庭(の復元)を眺めることができる
2階からは是清が日光浴や散歩を好んだとされる庭(の復元)を眺めることができる
高橋邸を出て、東に歩いていくと、文具店、生花店、居酒屋、荒物屋が並んでいる商家のゾーンがある。ただ、その前に見物しておくといいのが都電7500形だ。今でも都電荒川線は現役だが、かつての東京にはさらに多くの都電の路線があった。

7500形は1962年に登場し、なんと2008年まで使われていた。乗車定員は96名。都バス(平均73名)よりも多い。
渋谷駅から新橋までの6系統で運用されていた都電の7500形
渋谷駅から新橋までの6系統で運用されていた都電の7500形
ここに展示されている都電は渋谷駅から新橋までの6系統だとされている。渋谷から西麻布交差点を経て、六本木交差点を通り、溜池から虎ノ門で右折し、新橋方面へ向かっていく路線だった。大きくカーブするところでは時折、ビューゲルという車両の上にある集電装置と架線の間でスパークする様子が見られた。わたしは4〜5歳くらいの頃、6系統の都電が揺れながら走り、スパークした風景をかすかに覚えている。

商家を見る楽しみ

東ゾーンには商家の建物が軒を連ねている
東ゾーンには商家の建物が軒を連ねている
商家の建物は個人の住居よりも、見るべきところが多い。それは同園の学芸員が商家の建築だけでなく、往時、販売していた商品まで克明に再現して店頭に並べているからだ。

乾物屋の大和屋本店にはカツオや牛肉の大和煮の缶詰があり、もみ殻に埋めて一個売りしていた玉子がある。小寺醤油店には一升瓶に入った醤油、日本酒の「日本盛」、ウイスキーの「サントリー オールド」……。現在も販売している商品ではなく、すべて、あの頃のデザインのままだ。
ウイスキーや日本酒のビンまで再現されている小寺醤油店(特別に許可をいただいて車両を入れています)
ウイスキーや日本酒のビンまで再現されている小寺醤油店(特別に許可をいただいて車両を入れています)
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いったい、どうやって調達したのかを学芸員の高橋英久氏に尋ねたところ……。

「建物を寄贈していただいた商家の御主人にインタビューして、その頃、何を売っていたのか、どういうデザインだったかを伺います。そうして、資料を集めて、デザインを起して作り直したのです」

高橋さんは涼しい顔をしてそう言ったが、缶詰を一つ再現するのでも、手間がかかっているのである。

また、こうした古い建物をどうやって見つけて集めてくるのかを聞いたところ、次のような返事だった。

「町を歩いていて、これは歴史的に価値があるなという建物を見つけたら、リストアップしています。日ごろから注意して町を歩くしかありません」
乾物屋の大和屋本店には当時のままに見えるカツオや牛肉の大和煮の缶詰が展示されている
乾物屋の大和屋本店には当時のままに見えるカツオや牛肉の大和煮の缶詰が展示されている
わたしは園内を一周して、最後に農家がある西ゾーンへ行った。すると、綱島家、吉野家といったかやぶき農家のいろりには火が入っていた。

同行していた高橋さんの顔を見たら、尋ねる前から話し始めた。

「かやぶきの屋根を保存するには中で火を焚かないといけないのです。煙でいぶしておけば虫が巣を作ったりしないし、かやもまた乾燥するから屋根が長持ちするのです」

火を入れるのは一週間に一度くらいの頻度ですか? 

わたしが尋ねたら、彼は首を振った。

「いいえ、休園日を除く毎日です。なぜなら、いろりは食事の支度をしたり、お湯を沸かしたり、時には暖をとるためと、日々の暮らしに欠かせないものですから」

つまり、古い建物を展示するには、メンテナンスは欠かせないのである。
江戸時代中期に世田谷区岡本三丁目に建てられた民家の綱島家
江戸時代中期に世田谷区岡本三丁目に建てられた民家の綱島家
聞けば、すべての建物も二日に一度は内部を掃除する。掃除だけではない。庭木も剪定し、園内もまた清掃しなければならない。雨が降れば雨漏りがないかを確認し、雪が降れば雪下ろしをしたり、凍結した道を溶かさなくてはならない。

建物自体や内部が汚れていたり、道に木の葉が積もっていたりすれば、それだけで見に行く人間は興味がそがれてしまうからだ。

江戸東京たてもの園の展示のクォリティの高さは職員が勤勉にメンテナンスするところであり、細部までの再現に心を尽くしているからだろう。

オーブン・ミトンのスイーツ

同園から車で10分ほどのところにカフェ「オーブン・ミトン」がある。シュークリームのシューはサクッとした軽い食感だ。クリームは甘過ぎないけれど、コクがある。コーヒーと合う。

ここに座って思ったことは、わたしたちが今、暮らしている家も、オーブン・ミトンのようなカフェも100年もすれば野外ミュージアムに展示されても不思議はないということだ。時間はすべてのものを美しい思い出に変えてしまうということだろうか。 
オーブン・ミトンの人気メニューである「ミトンズシュークリーム」と「オリジナルチーズケーキ」
オーブン・ミトンの人気メニューである「ミトンズシュークリーム」と「オリジナルチーズケーキ」
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■江戸東京たてもの園
東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
Tel.042-388-3300
開園時間:4〜9月 9:30〜17:30
10〜3月 9:30~16:30
※入園は閉園時間の30分前まで
休園日:月曜日、年末年始
※月曜日が祝日または振替休日の場合は翌日
https://www.tatemonoen.jp/

■オーブン・ミトン
東京都小金井市本町1-12-13
Tel. 042-388-2217
営業時間: 11:00〜17:00
※営業日は下記HPにてご確認ください
https://ovenmitten.com/

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