ART / DESIGN

ドイツ人建築家のカール・ベンクス氏、

100年暮らせる家を手掛けて

2022.09.16 FRI
ART / DESIGN

ドイツ人建築家のカール・ベンクス氏、

100年暮らせる家を手掛けて

2022.09.16 FRI

新潟県十日町市を拠点に古民家や空き家の再生事業を手掛けてきたカール・ベンクス氏。これまで携わった古民家再生数は60を超え、そのいずれにおいても日本の伝統家屋に対する敬意を大切に、次の100年を暮らせる家づくりを行ってきた。

Text & Edit by Takashi Osanai
Photographs by Kunihisa Kobayashi

移住先に選んだ山深い小さな町

新潟県南部に位置し、長野との県境にある人口およそ5万人の十日町市。関越自動車道の六日町I.C.からは国道253号を利用し、プレミアムなスポーツクーペLEXUS RC Fを走らせ、山間地を西へ30分ほど。同じく交通の大動脈である新幹線の最寄りは越後湯沢駅となり、こちらも駅からは丘陵を越えてのアクセスとなる。

市の南北にかけて日本一の長さの大河・信濃川が流れ、川沿いの平野部には田園風景が広がる。また各所には美しい棚田が点在。冬は積雪2m超の豪雪エリアとなって、1年の3分の1が雪景色に覆われるという。いわば、アクセス至便とは言い難い、自然に寄り添う田舎町。それが十日町市だ。
牧歌的な田園風景が続く十日町エリア
牧歌的な田園風景が続く十日町エリア
しかしそうした環境だから、ドイツ人建築家が移住を決めるほどの魅力があった。

「まずは豊かな自然。そして農家がたくさんあるので人里離れた寂しい場所ではありませんでした。手入れの行き届いた田んぼはすごく奇麗で、クルマに乗っても渋滞とは無縁だからストレスを感じることもない。ちょうどゆっくり暮らしたいと思っていたタイミングだったので、十日町の環境は桃源郷のように素晴らしく魅力的でした」
自ら再生したかやぶき屋根の古民家は私邸。30年近く住み続けている
自ら再生したかやぶき屋根の古民家は私邸。30年近く住み続けている
言葉の主はカール・ベンクス氏。十日町市松代にオフィス「カールベンクスアンドアソシエイト」を構え、長く古民家再生プロジェクトを手がけてきた人物だ。故郷はドイツの首都ベルリン。1942年、大戦で分断される前のベルリンに生まれ、1993年、50歳のときに日本へ移り住んだ。
十日町市松代のオフィス兼カフェ「澁い」。独特の雰囲気を味わおうと遠方からの来客も
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建築家としての仕事はデュッセルドルフで起業することで携わるようになった。働き盛りの時代は欧州随一の都会で暮らし、人生のライフステージを変えようと思ったタイミングで田舎暮らしを考えたのだという。

はじめは欧州で住処を探していたが、それほど環境が変わらないことに面白みを見出せず、日本が候補に上がった。というのもベンクス氏は幼少期から日本文化に触れて育った。教会のフレスコ画を修繕する職人を生業としていた父親が日本文化に興味を抱き、浮世絵や桂離宮をはじめ京都の文化を伝える書物や資料が自宅には多くあったのだという。

さらに12歳で始めた空手がきっかけとなり、1966年には空手留学で日本の大学へ。フランスのマルセイユから客船に乗り、5週間におよぶ航海を経て、初めて日本の地を踏むことになった。かようにベンクス氏は日本を移住先として突発的に選んだわけではなかった。長く日本とは縁のある人生だったのだ。

古いものを大切にするという価値観

そんなベンクス氏は古民家再生を手がける建築家として名を知られ、移住後、携わったプロジェクトは60を超える。まずは自身の住まいを再生させ、2010年には老舗旅館を買い取り、2階をオフィスに、1階をカフェ「澁い -SHIBUI」としてよみがえらせた。ほかにも十日町市を含めた周辺エリアで古民家をモダンに生まれ変わらせ、近年は、東京、鎌倉、北海道ニセコといった県外のプロジェクトも多く手掛けている。
カール氏の自宅近くで手掛けた個人宅。三角屋根部分はロフトに。広大な空間が広がる
江戸時代の家をリノベーションした佐渡島にある民宿「YOSABEI」
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それにしても、今でこそ古民家を再生する事例は各地に見られる。しかしベンクス氏が新潟の奥深い里山で手掛けたのは30年近くも前のことだ。当時の日本では“古いものは壊して捨て、新しい資材で造り直したほうがコストパフォーマンスが良い”といった考えが主流だったとベンクス氏は振り返る。

「でも、そんなはずがありません。再生物件そのものを造った資材があるので、イチから新たに手配する必要はないのです。問題があるとすれば築100年以上などの古い建物は土台の下から傷んでいる場合があること。その場合は、一度すべてをバラし、土台を造り直し、その上で建て直す。新しく断熱材を入れたり床暖房を設置するなど、骨組みは昔のままながら、そこに最新の技術などを組み合わせていく。そうすると唯一無二の家ができるのです」

“古いものを活かす”という発想は、子どもの頃から“古いものは良い”という価値観が備わっていたからだと話す。

「先の大戦でベルリンはほとんど焦土となりました。それでも教会などの歴史的建造物は壊れた箇所を復元するように、残ったものを人々は大切にしてきました。今のベルリンにも、私が子どもの頃に見た建物の数々が、改修を経て、その頃のままの形で残っています。またドイツでは、新築を建てる際に大きな改修を行うことなく100年近く使える建物を目指しています。すでに築100年以上が経過した建物に関しては、現在の建築基準を満たす改修を行う政策が取られています。設備は現代のものながら、外観のデザインを活かしながら直すことで、街並みそのものが風土となる。そして建物の寿命を長くする工法は無駄な資材を使わずに済み、環境にも優しいアプローチなのです」

100年暮らせる家で過ごす特別な人生

一方、同様に焦土となった日本には、多くの新しい建築物が見られ、古の建築物は少なくなっていった。ベンクス氏自身も、移住してきた頃の日本には、東京にも風情を感じさせる建築物が多く見られたと思い返す。それから高度経済成長が本格的な波に乗り、時を経るたびに街並みは生まれ変わっていった。その変化は画一化をもたらし、どこへ行っても、その地の文化や生活の匂いがしない風景になってしまったと嘆く。

ドイツとは正反対の都市開発を行ってきたように思える状況を指して、ベンクス氏は「古い家のない町は、思い出のない人と同じ」といった。それは日本の画家で著述家である東山魁夷の言葉であり、ベンクス氏は“古いものには歴史や思いが詰まっている”と解釈する。

「日本の古民家は昔の棟梁による作品だと、私は思っています。そのため、家を支える太い梁と、資材である木々がどのように組み合わされて骨組みができているのか、まずはその様子を見たいのです。骨組みは作りこそ似ていますが、同じものはないといっていいほど多様性に富み、それは棟梁の生き様が表れているといってよく、だからとても面白いんです」
日本家屋に息づく伝統技術の数々にベンスク氏は嘆息する。海外のハウスビルダーには真似できない匠の技だ
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そうして日本の伝統家屋に敬意を表しながら行う民家の再生を通して、住む人には、スクラップアンドビルドに象徴される日本の価値観や、暮らし方を再生してほしいとも考えている。

「家は住めれば良いと言うものではありません。機能性を求めただけの家では、人が暮らす住まいとしては不適切なのです。人間らしい雰囲気が備わる家であれば、住むほどに愛着が湧き、長い時間を過ごしていても飽きることはありません。人間らしさのある家、つまり感性を刺激するような家こそが“ちゃんとした家”なのです」

今、若い人が減り、高齢化の波が押し寄せる地方の町が少なくない。十日町もそうだとベンクス氏はいうが、半面、氏の再生古民家に暮らす移住者の姿もある。

彼らが望むのは豊かな自然を身近に感じられ、誇りを感じられる家での暮らしだ。そしてベンクス氏は「都会に比べて土地の価値はとても低いから家の価値が大事なんです」といい、“100年暮らすための家”を指針に、田舎町に暮らす施主たちに“特別な人生”を提供している。
今も現場には軽やかに足を運ぶ。十日町市にある施工中の現場にて
今も現場には軽やかに足を運ぶ。十日町市にある施工中の現場にて
カールベンクスアンドアソシエイト
https://karl-bengs.jp

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