愛媛の里山、夏だけ味わえる贅沢なドライブ
古来、和紙は日本人の暮らしとともにあった。建具、建材、書画、装飾、生活雑貨など、その用途は多岐にわたり、日常に欠かすことができない存在だ。起源は1000年以上前、日本各地で土地に根ざした和紙づくりが盛んになり、人々の生活を豊かにしてきた。近年では、海外からもその価値が評価され、手漉(てすき)による和紙づくりが、ユネスコの無形文化遺産に登録された。だが、和紙づくりを担う職人は減少する一方だ。後継者が育たず、多くの工房が年を追うごとに店じまいをしている。見通しが暗い和紙の未来へ灯りをともそうと挑んでいるのが、和紙デザイナーの佐藤友佳理氏だ。伝統的な和紙にデジタルの力を融合させ、新たな高みを目指している。
今日、LS500hと向かうのは、佐藤氏の工房「りくう」だ。場所は愛媛県・宇和町。今は西予市として合併されているが、水田や森林、清流に恵まれた昔ながらの里山だ。LS500hで田園を駆け抜ける。鏡のように滑らかなボディに、水稲の生命力あふれる緑が映える。日本の夏の音は美しい。ウインドゥを開け放つと、静粛な車内にカエルやセミの声が飛び込んでくる。そして、稲の葉が揺れる音。緑の香を帯びた爽やかな風がコクピットを通り抜けていく。豊かな自然に心が満たされる。
自然が身も心もクリアに
佐藤氏の工房は明間(あかんま)という歴史ある集落にある。時間の流れも実に緩やかだ。背後の山から鳥のさえずりが響き、小道では猫がうたた寝をしている。夏の空気の中にも清涼さが漂い、体の汗がさっと引く。標高は200メートルほど。冬には雪も積もるという。「この辺りは、とても自然が豊かで、自分自身も澄んでいる状態でいることができます。そういう時の方が、面白いアイデアが浮かびます」と、佐藤氏は口にする。
曲面がつくり出す静と動。静かにたたずんでいながらも、動きを感じさせる。そして、命を宿したような永遠のリズムを生み出す……。佐藤氏が手がける代表作の一つ「Hineri」だ。和紙という二次元の世界を三次元に進化させ、新たな生命を与えた。その斬新なデザインは、国内をはじめ海外のデザインアワードでも高い評価を得た。そして、ホテルや公共施設、ラグジュアリーブランドのショップから、装飾やインテリアのオーダーが舞い込むようになった。
伝統とデジタルの融合で、新たな可能性を
佐藤氏のデザインを実現させているのが、デジタル技術だ。パートナーの手を借りて、3Dモデリングによって木をつなぐジョイントパーツを製作。複雑なデザインの立体化が可能となった。伝統と最新テクノロジーの融合である。「想像力、表現の幅を広げるためのツールとして、デジタル技術を取り入れたいと思っていました」と佐藤氏。伝統というと、旧来の手法をかたくなに守り、世代にわたり堅持していくイメージがある。佐藤氏は、それを尊びながらも、前を向く。「伝統というものは、技術を受け継ぐ・守る人、そして、革新を起こす人がいて、どんどん変わっていかないと残っていくことはできません。私は革新の側を担わせてもらえれば」
和紙を革新させること——それができるのは、佐藤氏の和紙への愛情に他ならない。佐藤氏の生まれ故郷は、工房からクルマで1時間ほどの内子町五十崎(うちこちょう・いかざき)。この地は、平安時代から和紙づくりが盛んで、往時には400軒の手漉き和紙工房が軒を構え、「大洲和紙」として全国に名を馳せた。近年は2軒まで減ってしまったが、佐藤氏はその1軒の工場の近くで育った。幼少のころから、和紙は身近にあった。職人の女性たちが一心に紙を漉く姿を工房のガラス越しに眺めていた。紙を漉く音が暮らしと共にあったのだ。「幼い頃の和紙の手触りを、よく覚えています。千切るとフワフワするし、水でぬらしたら色もにじむし、洋紙と全然違った優しい雰囲気がすごく好きでした」。
佐藤氏は高校卒業後、東京、ロンドンで生活。ロンドンではファッションモデルとして一線で活躍。帰国後、父親が営む建設会社が愛媛県と和紙の新しいプロジェクトを手がけることになったのが縁で、自身もデザイナーとしてかかわることに。幼少の頃から、絵を描いたりすることは好きだったとはいえ、専門的な知識や経験もなし。「海外でインテリアやデザイン、ファッションの世界に接してきた中で、出来上がった自分なりのフィルターを通して何がつくれるか」と自問しながら、試行錯誤を重ねてきた。そして、佐藤氏ならではのセンスと先進性で、大好きな和紙に新たな命を与え、さらなる魅力を引き出すことに成功した。
なぜ和紙にひかれるのかと尋ねると、「はかなさ」と佐藤氏は即答した。「そのはかなさゆえに、日本人は和紙を敬って扱います。日本では古来、紙や木、漆喰など、本当にはかないもので家をつくり、衝立やふすまなど和紙で空間を仕切ってきました。ですが、西洋建築のレンガや壁と異なり、内と外を区切るのに全然効力はありません。しかし、日本人同士の間では『ここは絶対に入ってはいけないんだな』という仕切りとしての機能が成立している。すごくはかないものでつくられている空間で、日本人の振る舞う所作や繊細なものに対する感性というのは、私はすごく大切だと思っています」。和紙は日本の美意識の象徴ともいえる。佐藤氏は、今後、海外に向けて、積極的に作品を発表していこうと考えている。和紙に宿る日本の心を伝えるべく。
自然の恵みが人間の文化を育む
紙づくりにとって水はなくてはならないものだ。命といってもいい。水質が紙の出来を左右するからだ。佐藤氏の工房は、近くの山の鍾乳洞から湧き出す「観音水」という名水の恩恵を受けている。佐藤氏にその源泉を案内してもらった。清流の小道に沿って、山を上る。濡れた路面に足を取られる。だが、佐藤氏の歩みは軽やかながらも確かだ。
鍾乳洞の奥の深い暗闇。ここから豊かな水が生まれていく。「『工芸だから』とかに縛られないで、自分が表現したいものをつくっていける人がもっと増えたらいいなと思います。私もワークショップなどを通して、次世代のものづくりの人に何かをシェアしていければ。いろんな人が新しいことに挑戦ができるようなったらいいですね」。この宇和町の里から、ものづくりの未来を世界に見据える。
■りくう
https://requ.jp/
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