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大人になっても“かけっこ”を楽しめる末續慎吾の陸上クラブ

2021.12.27 MON
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大人になっても“かけっこ”を楽しめる末續慎吾の陸上クラブ

2021.12.27 MON
大人になっても“かけっこ”を楽しめる末續慎吾の陸上クラブ
大人になっても“かけっこ”を楽しめる末續慎吾の陸上クラブ

陸上の日本短距離界で数々の快挙を達成してきた末續慎吾氏が、神奈川県平塚市を拠点に陸上コミュニティを主宰。それは「勝ち負けがすべて」の世界に身を投じてきた末續氏が、走る楽しさを堪能できる場として設けたもの。大人でも“かけっこ”に夢中になれるのだ。

Edit & Text by Takashi Osanai
Photographs by Sakie Miura

陸上をカルチャーと捉えた“かけっこ”クラブ

「子どもの頃って、みんなかけっこが好きだったと思うんです。むしろ好きという自覚さえなく、本能的に走っていたというか。それがいつしか走らなくなる。だから、思いきり走ってみませんか? それがスタンスですね」

40代になった今も日常的に神奈川県の平塚競技場でトレーニングを行う末續慎吾氏は、市民クラブ的なランニングコミュニティ「EAGLERUN RUNNING COMMUNITY(ERC)」を主宰している。公式サイトにあるコンセプトには、「速くなりたい、仲間を作りたい、喜びを共有したい、自分を変えたいなど『勝ち負け』だけにとらわれない全年齢の人たちが共に『走る』ことで繋がるコミュニティ」とあり、メンバー各々が自身の走りへの目標をかなえる場となっている。注目すべきは、みんなで“かけっこを楽しみながら”という部分。ここがERCの最たる特徴だ。
EAGLERUNは末續氏による陸上プロジェクトであり、ERCはその活動の一つ。
EAGLERUNは末續氏による陸上プロジェクトであり、ERCはその活動の一つ。胸に宿るのは「瞬間を生きるために限界を超えろ」という言葉
「誰かより足が遅いことがコンプレックスにならない活動です。なんとなく、足の遅い子はダメというイメージがありませんか? 足の速い子の方がモテる、みたいな。でもそれっていつの間にか植え付けられた価値観なんです。子ども対象の陸上教室をしたら、みんなそこらへんを走り回っています。足が速かろうが遅かろうが気にせずバンバン走る。そうした純粋な部分は、とても大切にしたいところです」

多くの人は、幼少期には公園などで走り回り、学校に入ると体育の授業や部活で走る。しかし社会人になると走らなくなる。末續氏が身を置く短距離走は特にその傾向が強い。一部のアスリートを除き、機会も場所もなくなるためだ。つまり日本では、競技者として勝利至上主義の世界で生き残らなければ、走り続けられない。だから一般の人が、かけっこを楽しみ続けることは至難のワザなのだ。
体躯は20代と大差ないという。現役ランナーの証しでもある
冬は体づくりの季節。感覚知とデータを大切にコンディションと向き合う
自ら走り、コミュニティをつくり、生涯スポーツとしての可能性を追求する
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言うまでもなく末續氏は、勝利至上主義の世界を生き抜いてきた日本スポーツ界のエリート。2003年の世界陸上パリ大会では200mで3位となり、同種目で日本人初となるメダルを獲得。2008年の北京オリンピックでは4×100mリレーで銀メダルを獲得し、日本陸上短距離界の快挙を成し遂げた。ちなみに、2003年の日本選手権で打ち立てた200mの日本記録「20秒03」は今も破られず、2021年の公式レースでは100mを10秒79で駆け抜けた。41歳で、だ。

そんな、「バリバリの体育会系」であることを自認し、弱肉強食の縦社会を生き抜いてきた末續氏が築いたERC。それは走る楽しさをメンバーと共有する世界観を陸上において模索する場だとも考えられる。では、なぜ今も現役選手として走り続ける彼が、そのような場を設けたのか。そこには勝利至上主義の世界に翻弄され、かけっこの楽しさを忘れてしまった経験があった。

勝ち負けの世界に翻弄され、陸上トラックをあとに

上述した世界陸上パリ大会と北京オリンピックでメダルを獲得した際、末續氏は日本全国から称賛を受けた。半面、メダルという結果の出ないレースでは、自身が納得する走りだと思っていても、観客スタンドからは大きなため息が漏れた。それは期待の裏返しによるものなのだが、陸上競技はたとえ対価が無償でも全力を尽くすアマチュア選手によるスポーツ。当時を振り返り、「プロセスにおいても結果に対しても、立ち居振る舞いが未熟だった」と末續氏は振り返るが、本来結果がすべてだとする思考はプロ選手にこそふさわしい。

そうしてアマチュア選手ながら勝ち負けに支配される世界に居続けることで心を病み、北京オリンピック後、何年ものあいだトラックに背を向けることになる。当時の状況は著書『自由。世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学』や『アスリートの本質』に詳しいが、再びトラックに戻ってこられたのは、走る日々から離れ、改めてかけっこが大好きだった自分を思い出したからだった。

その経験が、思いきり走りたい人のための場を生み出し、自身も現役ランナーとして「40代の陸上を完成させる」という道なき道を行くことへ。長い歴史を有する日本陸上界ではあるが、“道がない”のは誰もが“引退”してきたため。つまりそれは、ライフスタイルスポーツやカルチャースポーツとしての側面が日本の陸上にはなかったことを意味する。
全身にバネが詰まっているように思える軽快な走り。「タイムはまだ伸びると思います」と末續氏
全身にバネが詰まっているように思える軽快な走り。「タイムはまだ伸びると思います」と末續氏
「やはり日本のスポーツは富国強兵の一環として体を鍛えるために広まった歴史がありますから。それにカルチャーは自由であることが魅力な一方、日本には自由を受け入れがたい土壌がありますよね。すごく警戒するというか、不安なんでしょう。従来のスポーツに比べ、だいぶ遅れて日本に入ってきたことも影響しているのだと思います。ただ東京2020オリンピックでは、スケートボードやサーフィンというカルチャースポーツの方が、僕は見ていて楽しめました。自由かつ個々の表現が魅力とされる世界観は、それまでのオリンピックスポーツには見られなかったものでしたし、自身を表現し尽くすという人間的な泥臭い部分も見られました。スポーツの本質を十分に訴えかけてくれたと思います」

その東京2020オリンピックではスケートボード女子パークの決勝で生まれた光景が社会的な関心事となった。予選ランキング1位で本大会にのぞんだメダル候補の岡本碧優選手が、最後の1本を攻撃的に滑り、転倒。演技を終えて涙を流す15歳を他の選手たちが担ぎ、健闘をたたえた光景だ。

「これぞ平和の祭典だ」という反響もあった。オリンピックの理念にはスポーツを通した平和への貢献が含まれ、古代オリンピックでは開催にあたって戦争が休止された歴史がある。また切磋琢磨する者同士によるフレンドシップや、フェアな勝負から生まれる感動はスポーツ本来の醍醐味。いわば“勝ち負けだけがスポーツのすべてではない”ことを、学校スポーツでも体育会スポーツでもないスケートボードが示してくれたのである。

スポーツはもっと楽しい

従来の体育会スポーツが“縦社会”的だとすれば、スケートボードのようなカルチャースポーツは“横社会”的だ。そこには共感や共有を大切にしたり、挑戦をたたえ合う風土がある。“自身の表現の先に結果がある”と考え、だから「国のためにメダルを」といった悲壮感はない。無論、準備には万全を尽くす。なぜなら、ひとえにスケートボードが好きだから。末續氏の「かけっこが好き」という心象と同じである。

東京2020オリンピックは、“スポーツの多様性”を多くの人に気づかせたことで、日本のスポーツを変容させる契機になるのかもしれない。だが末續氏は「そう急がなくてもいい」と警鐘を鳴らす。

「自身の表現の先に結果があると考えられるスポーツ関係者は少数派。その現状を思うと、日本のスポーツはしばらく縦社会でいいように感じます。あまり先を急ぐと、従来の価値観の中で生きながら、結果が伴わないときに『勝ち負けがすべてではないので』と逃げ口上にされる可能性がありますから。そうなると進化しません。だから今後も勝利至上主義でいきつつ、時間をかけて表現の自由さなどを取り入れていけばいい。そうすれば日本のスポーツは、もっと楽しくなっていくはずです」

日本のトップシーンで、いや世界の檜舞台で長く戦い、しかも結果を出してきた人ゆえの言葉は明察だ。そのようにスポーツ界を俯瞰しながら、末續氏は「今後も現役としてチャンピオンシップスポーツをやり続けますし、自身を高める厳しさと向き合いながら子どもたちと一緒にその辺を走るということもやる」と、“縦”と“横”のかけっこで汗を流している。陸上というメジャースポーツが内包する楽しさや喜びを、日本にいる誰よりも味わっている。
近年はサーフィンや総合格闘技にも取り組み、一個人としての視野を広げている
近年はサーフィンや総合格闘技にも取り組み、一個人としての視野を広げている
■EAGLE RUN
https://eaglerun.jp/

末續慎吾 Shingo Suetsugu

1980年熊本県生まれ。陸上選手。200m日本記録保持者(20秒03)。2003年世界陸上パリ大会200mで銅メダル、2008年北京オリンピック4×100mリレーで銀メダルを獲得。現在も現役選手としてレースに出場する一方、陸上クラブ「EAGLERUN RUNNING COMMUNITY」を主宰する。

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