世界を極めた先にあるもの
2017年に「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」でワールドチャンピオンに輝くなど世界王者としてだけではなく、地域や社会貢献、さらに後輩育成などにも力を入れている先達である室屋選手に、武藤選手はこう切り出した。
室屋選手(以下 室屋)「それは取った人それぞれだと思います。確かに登りつめると目標を一瞬見失うので、銅メダルの今は、悔しい気持ちがあると同時に実力をつけている自分がいて、アスリートとしてはいい感じでしょう。
僕は2017年に世界チャンピオンを獲得し、翌シーズンは5位に終わりました。実力はあっても、少し崩れると成績ってガタっと落ちるんです。その頃、五輪で3連覇を果たした柔道家の野村忠宏さんと対談する機会があって、武道の考え方ですが、勝負の世界では単純に実力のある方が勝つのでなく、年を経ないと分からない精神的な次元があることに気づかされたんです。『なぜ自分がその競技をやっているのか?』『勝つため?』『好きなスポーツを楽しみたいから?』『でも勝てないとプロとしては続けていけない現実がある?』。そうしたことを思案し続けて気持ちが整理されると……アスリートとしてより強く、楽しめるようにもなれました。実際、2019年はわずかなポイント差でタイトルは逃しましたが、全4戦中3勝しましたから。
たとえ引退しても、競技を楽しむことは生涯続くし、その競技が好きだという原点がぶれなければ、指導者をはじめさまざまな道も開けます。答えになっているか分かりませんが、武藤選手にとって、今は悩むより競技に打ち込むことが大事かもしれませんね」
世界と戦う アスリートとしての意識
室屋「10年前、エアレースに参戦したばかりの頃は僕もボロボロでした。緊張だけでなく気負いもありました。それで、メンタルのコーチについてトレーニングしたんです。コーチに『自信をもっていけ』と言われて『成績も出ていないのにいけない』と応えたら、『それは違う、自信とは作っていくものだ』と返されました。『成績が出たから自信がつくのではない、逆だ』と。
つまり、どうやって自信を作るか? そこが出発点です。『メンタルが弱くても絶対に口にしてはダメ、強いフリをしろ』と。僕も当時は『そんなこと言われても』と思いましたが、メンタル面が整わないと、競技では筋肉が反応しなくなってしまうんです。
それを乗り越えるには、まずモーションをコントロールすること。エモーション、感情をコントロールするのも、モーションコントロールのうちです。コーチには、『動作、姿勢、呼吸から全部変えろ』とアドバイスされました。モデルとなる他の選手を選び、同じ動作をコピーすることから始める。動作を通じて体に精神を落とし込んでいく。どういう競技人生にするか、理想に近づくか、部分的なところのモーションから着手せよ、と。それが身についてくると、競技の結果もこうなるはずという自信のようなものが頭の中で優ってきて、実際に成績にもつながってきました。その先には、どうしても崩せない、鉄人のようなメンタルを持ったライバルがいるんですが。アーチェリーにもいませんか?」
室屋「そんな敵と戦うときには、特に揺るがない自信が大切です。そういう気持ちで24時間、戦っていると、徐々に成績はついてくる感覚はありましたね」
武藤「それを楽しんで取り組んできたんですか?」
室屋「最初はかなり大変で、五里霧中でした。習慣化してくるまでの3ヵ月ぐらいは、気合と根性だけで頑張る。すると脳も変わってきて、困難な状況でも動じないメンタルができてくるんです」
競技は異種目でも、やはりアスリート同士。徐々に言語感覚が共有され、会話のテンポも早まってきた。室屋選手は自らの経験を、次のようにふり返った。
室屋「それでも(メンタルは)動じているんです。勝ったときも、僕は動じていました。相手もギリギリで、少しでも弱さを見せたら負けていたかもしれません。世界で戦う我々アスリートにとって、1位か2位かの分かれ目は、本当にわずかな差でしかないのだと思います」
新たなる挑戦に向けて
室屋「基本的に、アスリートとしての考え方と同じです。とにかく突き詰められたら、楽しみ方も仲間の作り方も含め、人生が豊かになる感覚も同じくです。武藤さんは若くして、それだけいろいろなネットワークも資質もそろっているのだから、これからが面白いと思いますよ。自分が武藤さんの年頃には、とてもそんなに自分の言葉でしゃべることはできませんでした。僕は20年ぐらい経ていろいろな人に支えられ、子どもたちを相手にする中で、ようやく落ち着いてきた。武藤さんは、今は自分の競技を全開で突き詰めていっていいんじゃないかな。それを通じて発見したものは、それからいくらでも伝えられる。その時は来るべくして来るからあせる必要はないですよ」
武藤「ありがとうございます。東京五輪が終わって、今まで通りの練習では2024年のパリ五輪でも金メダルには届かないと感じたんです。新しい武藤弘樹になる入り口に立ったばかりで、ずっと目の前の1本に集中してきたので、最近は自分の実力を出し切るところにフォーカスしたいと思い始めました。自分のことだけ見つめ過ぎて逆に崩れることもあったので、心の中で自分を客観視して、コントロールしていけたらいいな、と。パリ五輪まで約2年、勝ち方を作ることにチャレンジしたいですね。室屋さんは来シーズン、エアレースの世界選手権に再び挑みますが、これまでのチャレンジと何か変わることはありますか?」
世界の頂点を極めた先輩アスリートである室屋選手との対談から、武藤選手は何を感じ、何を得たのだろうか。対談後に聞いてみた。
そう語る武藤選手が湛えた、迷いが消えたような、力強い表情が印象的だった。片やLEXUS とワンチームで新生エアレースに参戦し、片やLEXUSの一員としてパリ五輪に挑戦する。それぞれの想いを胸に世界に挑む二人のアスリートを、これからも心から応援したい。
※)航空をテーマにした体験プログラムを通じて、子どもたちの知的好奇心を引き出し、未来の自分を描くきっかけづくりを提供する、室屋義秀選手が手掛けるプロジェクト。