JOURNEY

世界の名画が楽しめる陶板名画美術館
──大塚国際美術館

2021.09.03 FRI
JOURNEY

世界の名画が楽しめる陶板名画美術館
──大塚国際美術館

2021.09.03 FRI
世界の名画が楽しめる陶板名画美術館──大塚国際美術館
世界の名画が楽しめる陶板名画美術館──大塚国際美術館

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する連載「車でしか行けない美術館」。今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」やゴッホの「ヒマワリ」をはじめ、1000点にもおよぶ世界の名画を陶板で原寸大再現している大塚国際美術館を訪れた。

※緊急事態宣言、まん延防止等重点措置の解除後の外出をお願いします

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Atsuki Kawano

原画の風合いを追求するクラフトマンシップの美術館

大塚国際美術館には年間65万人(2019年度)がやってくる。上野の「東京国立博物館」や金沢の「金沢21世紀美術館」は百数十万人から200万人超の入館者が訪れるが、それは企画展をやっていること、東京、金沢という観光客が多い都市だからこそといったこともある。

徳島県の鳴門市にある常設展だけの大塚国際美術館に毎年、大勢の人がやってくるのは、「教科書に載っている世界の名画」がそこにあるからだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」1503-06年 ルーヴル美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」1503-06年 ルーヴル美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」「最後の晩餐」がある。ゴッホの花瓶の「ヒマワリ」は7枚そろっている。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」もある。レンブラントの「夜警」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」。ピカソの「ゲルニカ」……。

むろん、いずれも原画ではない。特殊技術で陶板に焼いた1000点余りの複製画だ。

「なんだ、レプリカじゃないか」

「バーチャル美術館で見ればいい」

こうした声は今もある。

しかし、大塚国際美術館にやってくるのはなんといっても写真やバーチャルではない「形を持った絵」を見て、確認したいからだ。感動したいというのではなく、名画の基礎知識を学びたいと思っているのだろう。
レンブラント工房「黄金の兜をかぶった男」1650年頃 ベルリン国立美術館
レンブラント工房「黄金の兜をかぶった男」1650年頃 ベルリン国立美術館
初代館長で、この美術館のコンセプトメーカー、大塚正士(故人)はこう書いている。

「学生に美術を教える、ということを基本に考えて古今の西洋名画の中から選んだ作品を多数展示してあります。これをよく見ていただいて、実際には学生の時に此処の絵を鑑賞していただいて、将来新婚旅行先の海外で実物の絵を見ていただければ我々は幸いと思っております」

美術教育の施設とも言うべきもので、大塚は「原画を見る時のための手がかり」としている。謙虚な姿勢で作った美術館だ。

そして、同美術館を企画運営している人たちは誠実だと思う。

たとえば、名画に付随している額縁にも注目してほしい。
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」1888年 クレラー=ミュラー美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」1888年 クレラー=ミュラー美術館
同館学芸部の松浦奈津子さんは言う。

「額縁は地域および時代考証をし、調査時点で同様のものを作ることを基本としています。ただ、考証不可能のもので、その時代に合っていない額縁に関しては、時代に合わせて日本国内、フランス、イタリアでオリジナルとして製作しました。そのため現在の原画についている額縁とは違う場合もあります。当館は額縁の歴史が分かる美術館でもあります」

1000点近い作品の額を作るのに、現地まで行って調べて同一のものを製作するのは大変な労力だ。

陶板画自体にしても手間のかかったものだ。製作しているのは大塚オーミ陶業株式会社である。まず現地で原画を撮影する。撮影した写真を転写紙に印刷。そして陶板に転写紙を貼り、焼く。すると、平板な陶板画ができる。一度では目標の色が出ないため、手作業で釉薬を載せ補色したり、絵具の盛り上がりを表現したりし、再度焼く。この工程を繰り返すことで、原画に近い風合いを再現している。

陶板画のいいところは、間近で鑑賞できることと、作品と記念写真を撮ってもいいことだ。三脚やストロボは使えない。

また、現在は新型コロナウイルスの感染拡大を防止する観点から、手で触ることはできない。ただ、いずれはまた手で触れられるようになるだろう。そうすれば視覚障害のある人でも世界の名画を楽しむことができる。

美術の勉強には写真やバーチャルで見るよりも、体験として見ることだ。絵の前に立てば経験として残る。そして、こう考えるに違いない。

「いつかパリのルーヴル美術館へ行って原画のモナ・リザを見てみよう」と。

大塚国際美術館は単なるレプリカの展示場ではない。美術の教科書を携えていくといいだろう。

人気作品ベスト10と環境展示を見よう

同美術館には1000点の名画がある。すべてを見ようと思ったら、とても1日では足りない。見に行くものを決めておくことだ。

館内には人気作品ベスト10を紹介している。

わたしが行った時のそれはゴッホの「ヒマワリ」、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がベスト3で、以下、ムンクの「叫び」、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、モネの「大睡蓮」、ピカソの「ゲルニカ」、ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂天井画および壁画」、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」、ダヴィッドの「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」だった。
ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」1665-66年頃 マウリッツハイス美術館
クロード・モネ「大睡蓮」 オランジュリー美術館
ベスト10は見ておく。それは、海外旅行をした時に見に行く確率が高いから、本物を見るための予行演習になる。

次に立ち寄るところは環境展示である。

環境展示とは1枚の絵ではなく、空間を丸ごと再現した場所だ。目の前の陶板画を眺めていると、どうしても「これは本物ではない」という気持ちを抱いてしまう。

だが、空間の場合は「よくここまでディテールを再現したな」とクラフトマンシップに感心してしまう。
(左)ジャック=ルイ・ダヴィッド「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」1805-07年 ルーヴル美術館
たとえば同館最大の環境展示であるシスティーナ・ホールだ。ミケランジェロ作システィーナ礼拝堂天井画および壁画を、ローマのバチカンにある実物と同じ大きさに再現している。建物をそのまま移築したと思えばいい。

そして、現地へ行くと、年間600万人が訪れる場所だから、混雑していて、天井画をゆったりと眺める時間などない。ところが、大塚国際美術館ならゆっくりと天井画を隅から隅まで眺めることができる。

なんといっても、ミケランジェロがほぼひとりで完成させた絵だ。実寸大の空間に立つと、ミケランジェロの膨大なエネルギーに恐れ入るばかりだ。ミケランジェロは約4年の間、頭を真上に向けて筆で描いた。それもクリエイティビティだけでなく、クラフトマンシップがなければできない仕事だと思う。

天井画のうちの1枚、「アダムの創造」は横たわるアダムに神が命を吹き込もうとしている瞬間を描いたものだ。神が差し延べる指先とアダムの指が触れようとするドラマチックな表現で、この動作が映画『E.T.』に引用されたことは有名である。

現地に行く際の予習の場になるポンペイの壁画

イタリア南部、ナポリ近郊の町、ポンペイは紀元79年にヴェスヴィオ山が噴火したため、火山灰で埋もれてしまった。遺跡は今も残っている。同美術館にある「秘儀の間」は秘儀荘という別荘の一室だ。秘儀荘は部屋数が60室以上という富裕な人間の持ち物で、ワインの醸造所も付いていたという。(※諸説あり)

秘儀荘という名称はディオニュソス(バッカス)秘儀という神秘的な信仰の様子を描いた壁画に由来する。牛を殺し、祭壇に捧げ、生肉を食べるという秘儀だったらしい。
「秘儀の間」前70-50年頃
「秘儀の間」前70-50年頃
実際にポンペイへ行くと、広い敷地(それは町だから広いに決まっている)にさまざまな住居、店舗などの遺跡が点在している。ひとつひとつを見る時間は限られてしまう。秘儀の間では時間をかけて知識を増やすことができるから、現地に行く機会がある人にとっては予習の場になるだろう。

ジョットのフレスコ画で埋め尽くされたスクロヴェーニ礼拝堂

館内の環境展示で見ておいた方がいいのがスクロヴェーニ礼拝堂だ。原画はイタリアのパドヴァにある。パドヴァはベネチアから車で1時間ほどの距離だ。パドヴァに宿泊すればいいのだけれど、通常はベネチア観光の後、イタリア美術に関心のある人だけが行く場所だ。そうすると、ベネチアからの往復に時間を取られるから、現地ではゆっくり時間をかけて鑑賞することは難しい。その点、大塚国際美術館ではじっくりと眺めることができる。
ジョット「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」1304-05年
ジョット「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」1304-05年
展示室の壁は14世紀イタリアの画家、ジョットが描いたフレスコ画で埋め尽くされている。いずれも傑作だ。ジョットの作品解説書を持って行って、ひとつひとつ楽しみたい。

その後、天井を眺める。深いブルーに金色の星が散らばっている。この天井デザインを見た時、わたしはイタリアの各種デザインの原型ではないかと感じた。ファッション界の故ジャンニ・ヴェルサーチをはじめとして青地に金色の星という意匠から影響を受けたデザイナーは多いのではないだろうか。

「芦屋のヒマワリ」をはじめとする現存しない絵画

人気ベスト10の他、わたしが同美術館で見たのはレンブラントの「夜警」であり、フラ・アンジェリコの「受胎告知」であり、ピカソの「ゲルニカ」だ。いずれも「好きだから、何度でも鑑賞したいから」という理由で、作品を眺めた。そして、ここに来ると、早く現地に行って、もう一度、見てみたい気持ちになる。

他にも、チェックしておくといいのが「現存しない絵画」だ。

館内にはゴッホの花瓶の「ヒマワリ」が7枚、展示されている。そのうち1枚は現存していない。

かつて、兵庫県芦屋市の実業家、山本顧弥太が白樺派の依頼を受け1920年にスイスで購入し、同年に日本に初めて招来され、「芦屋のヒマワリ」とよばれていたものだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」1888年 1945年兵庫県芦屋市にて焼失
第二次世界大戦の戦火で焼失してしまったのだが、山本と親しかった作家、白樺派の武者小路実篤が「芦屋のヒマワリ」が掲載された、当時発行されたカラー印刷画集「セザンヌゴオホ画集」を持っていた。そこで、大塚国際美術館はその画集から「芦屋のヒマワリ」を再現して陶板画にしたのである。

もう1枚は「タラスコンへの道を行く画家」だ。画家とはゴッホ本人のことで、キャンバスや絵の具を持ち、帽子をかぶって歩くゴッホの姿が描かれている。

ゴッホのファンが見ると、「あれ、こんな絵があるのか」と不思議な気分になるのはもっともだ。わたしも世界中のゴッホの作品は見て歩いたけれど、これは見たことがなかったし、これがあったことも知らなかった。
フィンセント・ファン・ゴッホ「タラスコンへの道を行く画家」1888年 1945年消失
「タラスコンへの道を行く画家」は、かつてドイツのマグデブルクにあったカイザー・フリードリッヒ美術館(現マグデブルク文化歴史博物館)の所蔵品だった。第二次世界大戦末期に空爆を逃れるために地下460メートルほどの深さにある巨大な岩塩坑に移したのだが、その後この地は開放され、いくつかの作品は発見されたが、この作品は見つからなかったという。焼失したのか、あるいは誰かが持ち去ったのか、それだけで一編の小説になりそうな話である。写真以外の形で「タラスコンへの道を行く画家」を見ることができるのは大塚国際美術館だけだ。

絵画鑑賞の道しるべとして楽しむ場所

当たり前のことだけれど、原画は作者がその前に立って筆を動かしたものだ。物理的な時間を絵とともに過ごしているのだから、吐く息や作者が独り言をつぶやいた時の飛沫の痕跡もかすかに残っているかもしれない。大塚国際美術館の作品にはそうした作者の分身とも言うべき気配はない。しかし、1枚の作品を再現したクラフトマンたちの気配は残っている。

そして、陶板画には情報があふれている。絵画鑑賞の道しるべとして楽しむ場所だし、個々の作品を製作した人々へは敬意を持ってしかるべきだ。
大塚国際美術館地下2階フェルメールギャラリー
※写真はすべて大塚国際美術館の展示作品を撮影したものです

鳴門の“なるちゅる”うどん

美術館から車で10分ほどの住宅地にあるのが舩本うどん。隣接する香川県は「うどん県」として知られており、徳島県はうどんより「徳島ラーメン」が名物だ。それでも、舩本うどんへ立ち寄ったのには理由がある。

本場の讃岐うどんはとにかく太く、コシが強い。ところが、鳴門のうどんは「なるちゅる」という異名があり、細めのそれをちゅるちゅるすするように食べる。コシも強いわけではない。讃岐うどんが苦手な人でも「なるちゅる」ならば問題ないだろう。
素朴な味わいが魅力の鳴門うどん。絶品のおでんとともに楽しみたい
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舩本うどんのそれは細めの平たい麺だ。あっさりしただしと合う。また、おでんと天ぷらがある。かけうどんにおでんを3つくらい取って、てんぷらもひとつ取って食べると満腹だ。

なるちゅるのうどんもまたクラフトマンシップを感じる。手打ちした分の麺がなくなると店じまいするから、午後、美術館へ行こうと思う人はうどんを食べてからがいい。



■大塚国際美術館
徳島県鳴門市鳴門町 鳴門公園内
Tel.088-687-3737
https://o-museum.or.jp/
※ホームページにて開館状況、「安心・安全のための取り組み」についてご確認ください

■舩本うどん 本店
徳島県鳴門市鳴門町高島字中島25-2
Tel. 088-687-2099 
https://funamoto-udon.com/

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