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松山英樹 マスターズ・トーナメント 優勝への軌跡

2021.04.20 TUE
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松山英樹 マスターズ・トーナメント 優勝への軌跡

2021.04.20 TUE
松山英樹 マスターズ・トーナメント 優勝
松山英樹 マスターズ・トーナメント 優勝

グリーンジャケットの感触は、あのとき頭に描いたものと同じだっただろうか。

 日本人選手として史上初めてメジャー制覇を遂げた松山英樹。今からちょうど10年前、オーガスタナショナルGCの同じ表彰式で、当時19歳だった彼の手にはマスターズのローアマチュアのタイトルが刻まれたシルバーカップが収まっていた。

前年秋のアジアアマチュア選手権を制して辿り着いた夢のメジャートーナメント。大会の1カ月前に発生した東日本大震災の被災地・仙台から来た大学生は、出場した6人のアマチュアで唯一、4日間を戦い抜き(27位)、世界が注目する逸材へとその存在を変えた。

ジュニア時代に日本で特別大きなタイトルを手にしたことはなく、このマスターズが本人にとって米国本土でプレーした最初の試合だったというから恐れ入る。沈んでいく陽が影を長くした大会のフィナーレ。大勢のパトロンとクラブのメンバーからスタンディングオベーションで讃えられた松山は、深く感慨にふけった。

「この舞台にもう一回来たい。また4日間プレーしたい。ここに、来なきゃいけない」―――

そして、優勝したシャール・シュワルツェルが隣で羽織ったチャンピオンの証しに、羨望の眼差しを向けた。

 マスターズは松山にとって紛れもなく、世代を代表するトッププレーヤーへと進化する一転機となった大会だった。だがその翌年から、彼がオーガスタで見せてきたのは、いま思えば悔し涙と失望の溜め息ばかりだった。
アジアアマチュア選手権を2連覇して舞い戻った翌2012年。再び決勝ラウンドに進みながら、最終ラウンド後に「80」を叩いた。テレビのインタビューを終え、多くの報道陣を前にしようとしたその時、松山は立ち止まることなくロッカールームへと消えた。人目を避けて、一人泣いていた。2年連続となるはずだったローアマチュアのタイトルを2打差で獲り逃したからではない。目を腫らして、その日の自らのプレーをただ「ふがいない」と吐き捨てた。

 プロに転向し、左手首のケガが調整段階で癒えぬまま臨んだ2014年は、初日に再び「80」と大崩れして予選落ちした。2015年、自己最高の5位に入っても、ホールアウト後は涙をこぼすまいと必死の形相だった。2016年はついに、最終日を首位と2打差、最終組のひとつ前で3位からプレーしながら7位でフィニッシュ。結果以上に4日間の内容が不満で仕方なかった。2017年は、3日目を終えた時点でトップと10打差の28位。最終日こそベストスコアの「67」で11位まで巻き返し、翌年の出場権を獲得したが、松山にとって、もはやそれは評価の尺度とはなり得なかった。

2018年初頭に負った左手親指付け根の新たなケガが一つの要因となって、2018年以降の順位は、19位、32位、13位と振るわなかった。4大メジャーに範囲を広げても、それまで3年間続けてきた年間1度以上のトップ10入りがプツリと途絶えた。2020年大会を終えた際には、「来年は必ず勝てるように頑張ります」と意気込む一方で、9度戦ってきたオーガスタに対し、「少し苦手意識が出ている感じがある」とまで明かした。
 マスターズには大会前に選手が出場エントリーをする際、コースで受けとる登録ナンバーがある。各選手のキャディが胸に付ける番号がそれだ。2015年大会、松山にはオーガスタで「19」の番号が付いた。その前年、2位に入ったジョーダン・スピースがつけたもの。彼はそれを「2位だけは…オレ、2位だけは絶対イヤだ」と嘆いた。

 松山の根底にあるこの強い気持ちが、大きな変化も厭わなかったのだろう。2021年が明けて、松山の傍らには新しく、目澤秀憲コーチの姿があった。これまで、ほぼ一人で続けてきた試行錯誤を人と共有するという、プロ入り後初の決断だった。松山がどれほど、2021年マスターズに勝ちたいと思っていたか。いま振り返れば、その証にも映る。

 始めたばかりの二人三脚は、簡単には花開かなかった。1年の最初の3カ月で1度もトップ10がなかったのは初めてで、最高位は15位。この時期に2度の予選落ちを喫したのも初めての経験だ。不甲斐なさに、無言でコースを後にすることもあった。しかし、それでも松山は、取り組んでいることを投げ出すことはしなかった。2020年に続き、マスターズ前週の大会に出場する異例のスケジュールも組んで、ギリギリまで可能性を探った。迎えた大舞台。早藤将太キャディは、開幕前に松山が、「今週いけるかも」とつぶやいたのを聞いたという。すべてのピースが、ようやく収まるべきところにきれいに収まった。

 10年前、隣のマスターズチャンピオンに将来の自分を重ねた松山英樹。その姿は、2021年4月11日(現地時間)、ついに現実になった。東日本大震災からも節目の10年。松山はこれまで見たこともないような笑顔で、広げた両手を何度も上下に揺さぶった。

新緑を思わせる色鮮やかなグリーンジャケットは、万雷の拍手の中で授与される夕闇の頃、その色を実際よりも濃く、深く見せる。これまで流してきた汗と涙が、王者の勲章に染み込んだようでもあった。

松山英樹は2014年1月よりLEXUSの所属となりました。

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