JOURNEY

潮の香り漂う臨海都市にある美術館
──横浜美術館

2021.03.24 WED
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潮の香り漂う臨海都市にある美術館
──横浜美術館

2021.03.24 WED
潮の香り漂う臨海都市にある美術館──横浜美術館
潮の香り漂う臨海都市にある美術館──横浜美術館

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する連載「車でしか行けない美術館」。今回は、三菱重工の横浜造船所跡地につくられた臨海都市、横浜のみなとみらい21地区にあり、世界的建築家、丹下健三氏による建物自体も人気の横浜美術館を訪れた。

※こちらは2020年11月18日に訪れました。

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Masahiro Okamura

休館前の美術鑑賞

横浜美術館はみなとみらい21地区にある。みなとみらい21地区はかつて三菱重工の横浜造船所などがあったところで、船を建造した際のドックの跡地も残っている。

地区内の電力線、電線などは地下に埋設されているため路上に電線や電信柱はない。開放感のある街並みにオフィス、テナントビル、ホテルが整然と並ぶ。しかし、都心の官庁街とは違って、海のすぐそばにある。だから、ドライブしていて窓を開けると、車内に海からの風が入ってくる。近代的な人工都市ではあるが、海からの風、潮のにおいがするだけで、リゾートの気分になる。
シンメトリーな外観が特徴的な横浜美術館。建築設計は世界的建築家、丹下健三氏が手掛けた
シンメトリーな外観が特徴的な横浜美術館。建築設計は世界的建築家、丹下健三氏が手掛けた
横浜のみなとみらい21地区は臨海都市だ。そんな臨海都市を車でクルージングしていると、のしかかってくる新型コロナの脅威を忘れて、気分は晴れてくる。

そして、横浜美術館はそんな臨海都市にある。みなとみらい駅のすぐそばにあるから、電車でも行けるけれど、わたしが車でクルージングして行くのは海からの風を感じて気分が高揚するからだ。

さて、入り口を抜けると、そこは広々とした階段状のグランドギャラリーだ。

「元々は駅舎だったオルセー美術館のロビーに似ている」といった感想を持つ人がいるようだが、確かに、そうかもしれない。設計者はオルセー美術館のグラウンドフロアに、少しはインスパイアされたように見える。
内部に入ると、高さ約20メートルの吹き抜けのエントランスと、左右約100メートルに広がる階段状の展示空間からなるグランドギャラリーに圧倒される
さて、同館の所蔵品は約1万3000点。日本や西洋の近代、現代絵画などがある。なお、横浜美術館は2021年3月より改修工事のため2年以上休館中である。そして、休館前に人気のある西洋美術分野の作品を集めた「トライアローグ展」という20世紀の西洋美術展を開催している。同展は愛知県美術館、富山県美術館とともに企画したものだ。巡回展となっていて、横浜美術館では2020年11月14日から2021年2月28日。愛知県美術館では2021年4月23日から6月27日、富山県美術館では2021年11月20日から2022年1月16日の開催予定となっている。

この展覧会ではひとつの美術館へ行けば、残りのふたつの美術館が持っている人気作品も一緒に見ることができる。ピカソでもマティスでも、シャガールでも、アンディ・ウォーホルでも、3つの美術館が持つ作品を鑑賞できる。
トライアローグ展ではピカソ、クレー、ダリ、ウォーホルなど20世紀美術史を彩った巨匠たちの作品約120点が展示される
トライアローグ展ではピカソ、クレー、ダリ、ウォーホルなど20世紀美術史を彩った巨匠たちの作品約120点が展示される
「アーモンドグリコ」のキャッチコピーに「1粒で2度おいしい」という名文句があるけれど、この展覧会は1回で横浜、愛知、富山を回ったのと同じ満足感を得ることができるわけだ。

横浜美術館の学芸員、金井真悠子さんは所蔵する20世紀美術作品について、こう語った。

「当館の開館は1989年です。その頃でしたら、まだキュビスム、フォーヴィスム、未来派、ドイツ表現主義といった20世紀美術の作品を購入することができたのです。たとえばピカソの『肘かけ椅子で眠る女』は当時、2億円で買えました。しかし、現在では数十億円出しても、買えるかどうかわかりません。他にもそういう美術品がいくつもこの展覧会に出ています」

ピカソ

数十億円近くに値上がりした作品と聞いたので、まずはピカソの『肘かけ椅子で眠る女』を見ることにした。顔の造作がバラバラになっている人物画で、ひと目見たら、誰でも「あ、ピカソだ」とわかる絵だ。口は本来なら鼻があるべき顔の真ん中にあり、まつ毛は口の上と下に描かれている。鼻は突き出したくちばしのようだ。しかし、目、鼻、口の配置がバラバラなだけで、冷静に眺めると、女性が眠っている様子を描いたものだとわかる。

各部分は現実ではありえない位置に描かれているものの、画面全体は女性の人物画だ。ピカソの絵は単にハチャメチャに描いたものではなく、ピカソの目が見た眠る女性の姿だ。
向かって右から2番目の作品が、パブロ・ピカソ作『ひじかけ椅子で眠る女』1927年 横浜美術館所蔵
向かって右から2番目の作品が、パブロ・ピカソ作『ひじかけ椅子で眠る女』1927年 横浜美術館所蔵
本来、人は自分だけの目を持っている。だが、常識に縛られてしまい、自分だけの目で見たものをなかなか主張できない。だが、ピカソは芸術家だ。自分が見た通りのものを自由に描いたのである。

「みなさんにはそう見えるかもしれないけれど、私にはこう見える」と言っている。他人の目を気にせず、思うところを主張しただけで、それが芸術家がやるべき仕事だ。

ピカソは生涯に2度、結婚し、3人の女性との間に4人の子どもを作った。7人の女性と恋をした。

「どうして、ピカソはそんなにモテるのか」

ピカソの絵を見るたびに、口には出さないけれど、わたしはそんなことを思った。だが、自分が信じることを貫き通す生き方が女性たちを魅了したのではないだろうか。

パウル・クレー

クレーの『攻撃の物質、精神と象徴』は油彩転写というオリジナルの手法で描かれたものだ。油彩転写とは原画を転写した紙に水彩やペンで加筆して仕上げたものだ。

この作品は3体の人のような形のモティーフが変容していく様子を描いている。しかし、一方で、子どもが紙にペンでいたずら書きしたのを洗練させたような作品ではないかと思えなくもない。大人の常識では描けない作品だ。

クレーはつねづね「自分の仕事は見えないものを見えるようにすること」と語っていた。
パウル・クレー『攻撃の物質、精神と象徴』1922年 横浜美術館所蔵
パウル・クレー『攻撃の物質、精神と象徴』1922年 横浜美術館所蔵
大人になると、「絵を描け」と言われたら、見えるものしか描かない。だが、子どもは夢、妖怪のような見たこともないものを描く。

クレーという人は子ども心というか稚気を持った人なのだろう。この人もまたピカソと同じように常識に縛られない自分だけの目を持っている人だ。

カンディンスキー

『網の中の赤』と題された絵で、線、図形、色のみを構成要素とする幾何学的抽象画だ。この絵に限らず、ヴァシリィ・カンディンスキーの絵にはリズムが描かれている。

そして、クラシック、ジャズ、ロックを問わず、なぜかカンディンスキーのファンにはミュージシャンが多い。
ヴァシリィ・カンディンスキー『網の中の赤』1927年 横浜美術館所蔵
ヴァシリィ・カンディンスキー『網の中の赤』1927年 横浜美術館所蔵
かつて、わたしがニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)でカンディンスキーの絵を見ていたら、横にいたミュージシャン風の長髪青年が足で拍子をとりながら絵に見入っていた。彼はおよそ20分間も足を動かしながら、その絵だけを見ていた。彼は絵を見ながら、音楽を聴いていたのだろう。とても素敵な絵画鑑賞の仕方だと思った。彼は目に見える絵のなかから、リズムを取り出して、自分だけの曲を聴いていたのだ。

ウラジーミル・タトリンとクルト・シュヴィッタース

タトリン作のレリーフ『コーナー・反レリーフ』。この作品は鉄、アルミニウム、亜鉛などで作られた部材をつなぎ合わせたもので、タトリンはピカソのコラージュに影響を受けたと語っている。題名にコーナーと付いているのは、この作品が展示室の隅に設置する形になっているからだ。

こういった作品をどうやって鑑賞するかだけれど、わたしの場合は次のように考えて見ることにしている。

「どこから拾ってきたのかわからないけれど、鉄板やアルミの板が重ね合わせてある。インスピレーションに従って合わせていったのだろうけれど、タトリンはきっとひとりで集中して楽しんでいたのだろう。子どもが真剣にモノを集めてきて、秘密基地を作るようなやり方で、一心不乱に作ったのだろうな……」

つまり、作品自体から「美」を発見しようとはしない。それよりも作家が作品に寄せた愛情を感じようとする。
ウラジーミル・タトリン『コーナー・反レリーフ』1915年(1979年再制作) 横浜美術館所蔵
ウラジーミル・タトリン『コーナー・反レリーフ』1915年(1979年再制作) 横浜美術館所蔵
作家の愛情を探り当てるには制作姿勢を想像するしかない。わたしはタトリンがこの作品をどうしても作りたかったように思えてならない。他人にとっては一片の鉄板であり、アルミニウムだけれど、彼には宝物に見えたのだ。常識を持った大人には見ることのできない世界をこつこつと作り上げたのである。

一見、難解に見える現代美術や抽象画作品に遭遇したとき、わたしは「これは芸術だから、知識と経験を総動員して理解しなければいけない」とは考えないようにしている。

 それよりも作家の制作態度と表情を思い浮かべて楽しむ。

「あ、これを作った人たちは一生懸命なんだな。きっと、楽しいからやっていたんだな」

そうやって、勝手に想像することがわたしの鑑賞方法だ。
クルト・シュヴィッタース『メルツ絵画1c、 二重絵画』1920年 横浜美術館所蔵
クルト・シュヴィッタース『メルツ絵画1c、 二重絵画』1920年 横浜美術館所蔵
クルト・シュヴィッタースのコラージュ作品『メルツ絵画1c、 二重絵画』もまたタトリンの作品と同じ鑑賞法で見た。シュヴィッタースという人もまた一心不乱にコラージュを制作したのだろう。

そして、最大の疑問はシュヴィッタースはコラージュ作品に関して、どの時点で「完成だ」と判断したのだろうか。

素人考えではあるけれど、コラージュ作品を見ていると、もう1枚か2枚の紙片を貼り付けてもよさそうなものに思えることがある。また、たくさんの紙片を貼り付けなくてもよさそうに見えたこともある。

きっと、「この1枚を貼ってコラージュは仕上がった」と完成時点を判断できるのが、プロのプロたるゆえんなのだろう。

わたし自身、小学生時代、ずっと美術塾に通っていて、コラージュを制作したことがある。しかし、コラージュは作り始めたら、いったい、どこで終えていいのかわからないのである。コラージュやインスタレーションは素人がチャレンジするにはとりわけ難しいアートだと思う。

王様の美術館

山高帽をかぶった男のシルエットが描かれているのがルネ・マグリット作のシュルレアリスム絵画『王様の美術館』だ。横浜美術館の所蔵品ではもっとも有名な作品のひとつである。
ルネ・マグリット『王様の美術館』1966年 横浜美術館所蔵
ルネ・マグリット『王様の美術館』1966年 横浜美術館所蔵
学芸員の金井真悠子さんの説明は次の通りだ。

「山高帽の男は無名のありふれた人物としてマグリットの作品には繰り返し登場しています。シルエットとなった男の内側には山、森、一軒の屋敷が描かれています。シルエットの内部の風景は本来であれば黒く塗ってある背景に描かれるものであるべきなのだけれど、そんな常識は覆されています。むろん、実際にはありえない風景が描いてあります。マグリットの作品は本作に限らず、時間、場所、位置関係を超えたものが多いのです」

シュルレアリスムとは「常識や固定概念を超えた世界を捉えることを目指した芸術運動」とされている。しかし、本来は「思考の真の動きを表現しようとする純粋な心的オートマティスム(自分の意識とは無関係に動作を行ってしまう現象)」だ。つまり、無意識を探求しようという試みだと言える。マグリットも現実離れしたことを追い求めたのではなく、目に見えるものよりも、目に見えないものを大切にした画家なのだろう。

馬さんの中華粥

馬さんの店 龍仙 本店は横浜美術館から車で10分ほどの中華街にある。午前7時から開いているので美術館に行く前に食べてもいいし、作品を見終わってからドライブしていってもいい。

そこにはさまざまな種類の中華粥がある。エビ、ホタテ、白身魚が入った龍仙粥を食べていたら、意外におなかが減っていることに気がついた。
手前がエビやイカ、ホタテ貝などの海鮮が入った龍仙粥、左奥は海老焼売、右奥が空心菜炒め
手前がエビやイカ、ホタテ貝などの海鮮が入った龍仙粥、左奥は海老焼売、右奥が空心菜炒め
美術館に1時間から2時間滞在して、多くの作品を見て回ることは想像以上の運動量だ。新型コロナの影響で自宅にいる時間が長くなったが、美術館はどこでも感染対策をしているし、入場者を制限している。

運動不足を解消する意味も含めて美術館へ行き、数多くの作品を見て回ればストレスも発散するし、コロナ太りにはならないだろう。


※現在、横浜美術館は改修工事のため休館中で再開は2年後の予定だが、「トライアローグ展」は以下の2館で見ることができる
愛知県美術館 2021年4月23日(金)~6月27日(日) 予定
富山県美術館 2021年11月20日(土)~2022年1月16日(日) 予定


横浜美術館
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
Tel.045-221-0300
3月1日(月)より改修工事のため2年を超える休館
※詳細はHPでご確認ください
https://yokohama.art.museum/


馬さんの店 龍仙 本店
神奈川県横浜市中区山下町218-5
Tel. 045-651-0758
営業時間:7:00〜翌1:00
定休日:年中無休
http://www.ma-fam.com/

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