まずは二見興玉神社へ
旅先が決まる経緯はその時々さまざまで、個人的に興味惹かれて、あるいは仕事で何度も繰り返し訪れることになる場所がある一方、旅の予定が一度はたっても中止になることが何度も重なる場所もある。そんなものは単なる偶然なのかもしれないが、行ったら何かあるからその時を待て、という暗示なのかしら、などと思って、さらにその場所が気になってしまう。
私にとっての伊勢はその「なぜか何度も行けなくなった」場所。この度、幸運にもついにその機会に恵まれ、初めての伊勢志摩を体験し、目撃することになった。遠い昔からみんなの憧れの地であり続ける伊勢。それだけに、私は周りからじっくりと、という具合に伊勢を散策し始めた。
伊勢といえばお伊勢参りが何よりのメインイベントになるだろう。しかしこの土地や神宮についてさほど知識がない私のような者としては、無礼のないお参りをしなければならないと思い、地元の人にどうしたらいいのか聞いてみると、まずは二見興玉神社で禊(みそぎ)をしてから、と教えられた。
二見浦の海岸に寄り添うように二見興玉神社はあった。神社はいずれも自然と融合したたたずまいが清々しく、力の集まる場所としての存在感を感じるものだが、この二見浦で見る絶え間なく動く波と不動の夫婦岩とのコントラストは、万人に何かしらを語りかけてくる。何を読み取るかはそれぞれ、感じ方を受け手に委ねられるところがアートのようだな、などと思いながら、お宮へ進む。
私にとっての伊勢はその「なぜか何度も行けなくなった」場所。この度、幸運にもついにその機会に恵まれ、初めての伊勢志摩を体験し、目撃することになった。遠い昔からみんなの憧れの地であり続ける伊勢。それだけに、私は周りからじっくりと、という具合に伊勢を散策し始めた。
伊勢といえばお伊勢参りが何よりのメインイベントになるだろう。しかしこの土地や神宮についてさほど知識がない私のような者としては、無礼のないお参りをしなければならないと思い、地元の人にどうしたらいいのか聞いてみると、まずは二見興玉神社で禊(みそぎ)をしてから、と教えられた。
二見浦の海岸に寄り添うように二見興玉神社はあった。神社はいずれも自然と融合したたたずまいが清々しく、力の集まる場所としての存在感を感じるものだが、この二見浦で見る絶え間なく動く波と不動の夫婦岩とのコントラストは、万人に何かしらを語りかけてくる。何を読み取るかはそれぞれ、感じ方を受け手に委ねられるところがアートのようだな、などと思いながら、お宮へ進む。

境内に入ると、輪っかになった珍しいしめ縄「輪注連縄(わしめなわ)」が重なっている。これで身体をさすり、納めて禊を済ませ、清らかな心身で本殿に向かう。私が本当の意味での禊を済ませるにはもっともっと時間が必要であろうと思われるが、とにかく輪注連縄を買い求め、頭と体をさすってみた。
ありがたい塩づくり

二見興玉神社のすぐ近くに、海水から塩を作っている工房があると聞いた。それは清めの塩ということか? さっき初めての禊を済ませたばかり、さらに清めの道を行くとしよう。伊勢の海から生まれる塩を作る現場を訪ねてみた。
岩戸の塩工房に入ると、内部は薪がくべられていて低温サウナさながらで、非常に温度が高いが、この蒸気と煙にあたっているだけで、身体に効いているような気さえしてくる。天井も壁も煤が塗り込められ重厚な雰囲気だ。汲み上げられた海水を丁寧に炊いて塩が出来上がるシンプルなプロセスは実に地道な作業。聞けば、こちらの塩作りは家族のために作られたものが評判となって始まったそうで、なるほど、一つ一つの工程が丁寧で手抜きがない。
岩戸の塩工房に入ると、内部は薪がくべられていて低温サウナさながらで、非常に温度が高いが、この蒸気と煙にあたっているだけで、身体に効いているような気さえしてくる。天井も壁も煤が塗り込められ重厚な雰囲気だ。汲み上げられた海水を丁寧に炊いて塩が出来上がるシンプルなプロセスは実に地道な作業。聞けば、こちらの塩作りは家族のために作られたものが評判となって始まったそうで、なるほど、一つ一つの工程が丁寧で手抜きがない。

職人が薪をくべ、釜の中で炊き上げられる海水のアクを丁寧に取り除く、そのキビキビとした所作にしばし見惚れる。人の体に絶対に必要な塩が、ここではこうして作られていく。鉄釜の中にじっくりと炊き出されつつある塩が浮かび上がってみえてくる。15時間かけてじっくりと炊かれた塩は、その後焼き上げる工程を経ることで苦味が旨味に変化し、ふくよかな味わいに生まれ変わるのだという 。
商家が立ち並ぶ河崎の昔風情

黒板塀の堂々とした古い家並みが残る街、河崎。人々が伊勢に来る理由は、大抵の場合お伊勢参りだと思われるが、こちら河崎の町をブラブラと散歩するのもなかなか楽しいので、そのための時間もとっておきたい。

この町に流れる勢田川が船での流通の要となり、江戸時代には、全国からあらゆる物資がこの町に集まってきた。さぞや賑やかで華やかな町だったことだろうと想像する。営みは変わっても街並みがそのまま維持されて、人々の暮らしも息づいているのが素敵だ。商家の立派な建物を、当時の文化とともに公開展示している伊勢河崎商人館に立ち寄って、この街の変遷を学ぶのも楽しい。

興味深いのは、各家の玄関先に飾られている個性的なしめ縄の数々。この地域では一年中しめ縄を飾るそうで、珍しい結び方で文言の記されたしめ縄が、あちらにもこちらにも見受けられる。どれも立派で、一つ一つが、職人が丁寧に作った作品だ。私にとってはとても興味深く、あたかも展覧会場のごとく、一軒一軒見て回った。


散策の合間に是非とも本場のものを試してみたかった(ゆえに一度もここまで食べずにきた)「伊勢うどん」を食べてみる。人生初がだんだん少なくなってきたこの頃にして、珍しく初めていただく食べ物だ。
柔らかいとの噂を聞いてはいたが、先入観を持たず、まずは一口すすってみると、あら? 想像していた、ひたすらふにゃりと柔らか過ぎる麺というのではない。確かに歯ごたえ、食感は柔らかだが、麺の中心には確かなコアが感じられる。
そしてさらに面白いのは非常に色の濃い汁だ。これまた見かけによらず決して塩気の強い味ではなく。出汁と醤油が香って、真っ白いうどんにほどよく絡む。柔らかな食感のせいでどっかりとお腹にたまる感じもないのが気持ち良い。何時間もかけて麺を茹でるそうだが、それを考えるとその上でふんわりぷるんとした食感を残すには、特別な茹で方なのか生地の配合なのか、何かしら秘密の技があるに違いない。
柔らかいとの噂を聞いてはいたが、先入観を持たず、まずは一口すすってみると、あら? 想像していた、ひたすらふにゃりと柔らか過ぎる麺というのではない。確かに歯ごたえ、食感は柔らかだが、麺の中心には確かなコアが感じられる。
そしてさらに面白いのは非常に色の濃い汁だ。これまた見かけによらず決して塩気の強い味ではなく。出汁と醤油が香って、真っ白いうどんにほどよく絡む。柔らかな食感のせいでどっかりとお腹にたまる感じもないのが気持ち良い。何時間もかけて麺を茹でるそうだが、それを考えるとその上でふんわりぷるんとした食感を残すには、特別な茹で方なのか生地の配合なのか、何かしら秘密の技があるに違いない。

外宮と内宮をお参りする

伊勢神宮とひと言でいっても、実のところそれは一つの神社を示すものではなく、実際にはこの地域に点在する125もある大小の宮社すべてでもって神宮なのだそうで、そうなると一つ二つ参ったところで全く十分ではないだろう。かといって、一度にすべてをお参りするのは難しい。今回初めての伊勢なので、外宮と呼ばれる豊受大神宮、内宮と呼ばれる皇大神宮(天照大御神がお祀りされている)をじっくりと参拝することにした。

神宮の内部の撮影は聖域ゆえ禁じられている。時にはそういうことがあるのは良いことなのかもしれないと思う。写真家として本能的に気になったものを撮るという感覚はしばし手放して、静かに一歩一歩ゆっくりとお参りすることができた。(ここでご紹介する写真はお宮へのアプローチでの様子を切り取ったもの)

普段は平日でも人がいっぱいと言われる時間帯に参ったが、こんなご時世ということか、人は少なく、キリッと引き締まった空気を強く感じながら一歩一歩参道を進む。木々も道も目に入るものすべてが整然として、清めあげられている。ここまで調和のとれた「静」を空間から感じることはおそらくこの場所以外にないのではなかろうか。
橋も参道も樹木もいにしえの人々の思いが込められ、洗練を極めたデザインが完成している。大切な神様をお祀りするにふさわしい環境をつくり、常に清めあげられた状態を維持し、あらゆるものから守り、継承していこう。そんないにしえの人々の神様への敬いの念に支えられこの宮が形成され、時代は繋がれてきたのだろう。静寂にしてとてつもない力を感じるのは、神と、神を敬う数多の人々の心でこの神宮ができているからなのではないか。神宮には「神様を祀る」ための人工美のきわだった凄み、力がある。それを感じられたのは伊勢神宮参拝の産物だった。
橋も参道も樹木もいにしえの人々の思いが込められ、洗練を極めたデザインが完成している。大切な神様をお祀りするにふさわしい環境をつくり、常に清めあげられた状態を維持し、あらゆるものから守り、継承していこう。そんないにしえの人々の神様への敬いの念に支えられこの宮が形成され、時代は繋がれてきたのだろう。静寂にしてとてつもない力を感じるのは、神と、神を敬う数多の人々の心でこの神宮ができているからなのではないか。神宮には「神様を祀る」ための人工美のきわだった凄み、力がある。それを感じられたのは伊勢神宮参拝の産物だった。

海の真ん前で目覚める

旅先の宿で目覚めた時の新鮮な気持ちや楽しさは格別なものだ。私はどこの旅先でも、たとえ宿泊先が味気ないビジネスホテルだったとしても、目覚めて一番に部屋からの眺めを確認する。それが私の旅先での密かな楽しみだ。何が見えたとしても(あるいは窓さえなかったとしてもそれはそれで面白い)、窓から外を眺めるという行為が好きだ。何か面白いことが起きていないか、美しいものが潜んでいないか、眺め回していると、今日は何を見ることになるのだろうかとちょっと気持ちが盛り上がる。

今回の旅では海まで十歩の部屋に宿泊した。コロナ自粛で狭い我が家の代わり映えしない寝室で眠ることにいよいよ行き詰まっていたので、ここではガラリと気分が変わる部屋を選んだ。

ドーム型テントは広くて丸い形状や天井の高さのせいだろうか、包み込まれるような安心感があって居心地がよい。(こんな別宅があったら)波音で目覚める気持ちよさは格別で、ベッドから起きて、すぐに目の前の浜に飛び出すことができるのだから素晴らしい。
昨日お参りした神宮の静寂と美を思い起こしながら、朝早く浜辺を散歩した。この土地を取り囲む環境はこの上なく豊かでたおやかだ。凪いで透き通った海に足を浸してたたずむと、自分のちっぽけさなど、どうでもいいものに思えてくる。そう、たまにはこういう時間も必要なのだ。伊勢をおとずれて、おおらかな心、謙虚な気持ちを少しだけ取り戻せそうな気がした。
昨日お参りした神宮の静寂と美を思い起こしながら、朝早く浜辺を散歩した。この土地を取り囲む環境はこの上なく豊かでたおやかだ。凪いで透き通った海に足を浸してたたずむと、自分のちっぽけさなど、どうでもいいものに思えてくる。そう、たまにはこういう時間も必要なのだ。伊勢をおとずれて、おおらかな心、謙虚な気持ちを少しだけ取り戻せそうな気がした。

・二見興玉神社
https://futamiokitamajinja.or.jp/
・岩戸の塩
http://www.iwatokan.com/shio/
・伊勢河崎商人館
http://www.isekawasaki.jp/info/
・グランオーシャン伊勢志摩
https://glampocean.jp/
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