JOURNEY

写真と音楽が融合していく──
写真家 ホンマタカシ

2020.07.01 WED
JOURNEY

写真と音楽が融合していく──
写真家 ホンマタカシ

2020.07.01 WED
写真と音楽が融合していく──写真家 ホンマタカシ
写真と音楽が融合していく──写真家 ホンマタカシ

変わり続ける時代のなかで、写真・映像作品の制作を続け、1990年代から今も活躍を続ける写真家・ホンマタカシ氏。彼の作品作りにおけるクリエイティブの源は何か。ホンマ氏の「現在」を聞いた。

Text by Rie Noguchi
Photographs by Kenta Yoshizawa

東京の変化を撮り続ける

写真家のホンマタカシ氏が大学時代を過ごしたのは1980年代前半だった。1990年代に独立し、1999年に『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版)で木村伊兵衛賞を受賞。第一線の写真家として20年以上、活躍を続けるホンマ氏にとって「撮りたいもの」は時代によって変化しているのだろうか。

「僕がどうこうというよりは周りが変化しています。だから僕も自然と変わっていくというのが正直なところです。僕が大学生だった80年代はいわゆるバブル期。バブルの時代と今では写真を取り巻く環境が全く違いますよね。

例えば80年代に(作家の)オリジナルプリントをギャラリーで売るなんてことは夢物語でした。そもそも市場が存在しないのですから。一方で広告業界は活気があったので広告制作会社に入社しました。逆に今はオリジナルプリントの市場はちゃんと成立したけど、広告という分野は、どうなんでしょうね……」
ホンマ氏にとって「撮りたいもの」は時代によって変化しているのだろうか。
ホンマ氏が広告代理店を退職し、写真家として独立したのはバブル後の1991年だった。「岡崎京子さんが“平坦な戦場”と言っていましたが、まさにその通りした」と当時を語る。

ホンマ氏が写真家として駆け抜けたのは、バブルが崩壊、リーマンショック、東北大震災など、社会が目まぐるしく変化した時代だ。街の姿はもちろん、人の生活も大きく変容した。そしてその変化に追随し、時代と並走するように、ホンマ氏は精力的に作品を発表し続けた。

ホンマ氏を作品の代表的なモチーフは「東京」だ。『東京郊外』をはじめ、『東京の子供』(リトルモア)、『ニュートーキョースタンダード』(ロッキング・オン)、『Tokyo and My Daughter』(Nieves)という「東京」がテーマの写真集を出版し、2019年6-7月には写真展「三井本館 Mitsui Main Building TOKYO 1929-2019|写真・ホンマタカシ」を開催。

東京という街、東京に暮らす人々を撮り続けるホンマ氏にとって、東京オリンピック・パラリンピックを控えて、変化をとげようとしている“いま”をどのように捉えているのだろう。

「写真家のいいところは、建築家なら未来の東京を(職業的責務として)提言しなくてはいけないと思いますが、僕らは常にあるものを撮るのが仕事です。

僕は東京の変化を撮り続けている写真家だから、オリンピックでまた都市の様相が変化するのは“オイシイ”のかもしれません。実際、変化がなかったら東京に住んでる意味がないとも思っています」

フィクションとノンフィクション

ホンマ氏は、写真と並行して映像作品も制作し続けており、2004年には『きわめてよいふうけい』、最新の映像作品としては、ペルー南部の町・アヤクーチョと、埼玉県秩父を舞台にした音楽ドキュメンタリー『アヤクーチョの唱と秩父の山』を発表している。

2000年代から映像制作を続けているが、写真と映像制作に違いはあるのだろうか。

「ドキュメンタリーは、写真の世界を少し拡張したもの。それが結果的に映像ドキュメンタリーになっています。写真集を作ったときに『これ映像の方がいいな』と思うこともあったりして。だから写真にこだわらず、適したものは映像作品にしています。そこからストーリー映画を作るのか、とたまに聞かれるのですが、その気はまるっきりないです(笑)」

ストーリー映画となると、完全にフィクションの世界。ホンマ氏自身は、フィクションとノンフィクションの差異をどのように捉えているのだろう。

「そこは僕の中でも大きなテーマです。みんな疑いもなく『写真』を受容しているけれど、本当にそうなのか。フォトグラフィーという英語の意味の中に『真実』という言葉はないんです。フォトは(ラテン語で)『光』だからフォトグラフィーは光の絵という意味です。最初に『光画』と日本語訳をした人がいましたが、実はそちらの方が正しいのかもしれない。しかし「写真(真実を写す)」という漢字を当てはめてしまった」

誰でも加工・修正ができるようになった今、映し出されたものが全て真実ではない。「写真(真実を写す)」という言葉がそういう役割を持たせてしまったということだ。

「映像も同じで、『ドキュメンタリー=本当のこと』だと思っている人が多いかもしれない。僕は、ドキュメンタリーという言葉自体を考えて、『何をもってドキュメンタリーと定義するのか』ということを考えて作品にしています」

ドキュメンタリー作品には作り手のメッセージ性の強い作品が多い。ホンマ氏は主張の強い作品を、ドキュメンタリーとは言わずに、メッセージ映画と呼べばいいと言う。それではホンマ氏の考えるドキュメンタリーとはどのようなものなのだろう。

「小津安二郎の映画において、小津作品には欠かせない常連の俳優、笠智衆は、作品ごとにどんどん年をとっていきます。それは当然のことなのだけど、そこは誤魔化せないんですね。僕はドキュメンタリーはこういうことだと思うんです」

ギターとピアノと仕事と生活

写真、映像作品と、ホンマ氏が精力的に活動を続けることができる”クリエイティブの源”は何なのだろうか。ホンマ氏に尋ねるとバックヤードからクラシックギターを取り出して来て、「ヒントになるかな」と語りながら、ポロンポロンと奏で始めた。
クラシックギターを取り出して来て、「ヒントになるかな」と語りながら、ポロンポロンと奏で始めた。
「5~6年前に急に思い立ってギターとピアノを始めたんです。僕、中・高校と野球部で、その後はテニス、スノボ、格闘技をやって、スポーツは一通り経験しているんです。それ以外の“青春の忘れ物”は何かなと(笑)」

青春の忘れ物とは、つまり、やり残したこと。「小・中学校のときは照れがあって素直にできなかったんです」とホンマ氏はギターを弾きながら笑う。現在は「大人だから時間を無駄にしたくない」と、先生についてレッスンしているという。

ギターの音色を聴きながら語らうと、穏やかな時間が流れる。ホンマ氏にとって、ギターとピアノはどんな存在なのだろう。


「嫌なことがあって、イライラしてもちょっとギターやピアノを弾くと『まあいいか』となる。普段は休みもなくて、生活が仕事になっているから、生活と仕事は切り離せない。写真のことを全く考えない時間はないんです。リラックスをして作品作りをするという点で、ギターとピアノは必要なんです」
撮影で地方に出張に出かけるときも、ギターを持参しているというホンマ氏。
撮影で地方に出張に出かけるときも、ギターを持参しているというホンマ氏。音楽は自身の作品にも影響しているようだ。

「僕はすぐ仕事に取り入れるので、音楽も作品に取り入れました。最新の『アヤクーチョの唱と秩父の山』は音楽ドキュメンタリーです。また、先日、『Trails』(写真集)のイベントを原宿で開催したのですが、映像を4時間観て、僕も含めた3組のミュージシャンが演奏をして。さらに、北海道から鹿肉送ってもらって実食したんですよ。においも充満して。五感で楽しんで。結局そういうことがやりたかったのかなと思います」

写真と音楽が融合していく。ホンマ氏はこれからも「隙あらば演奏を取り入れたい」という。写真という視覚の楽しみから、聴覚、嗅覚など、他の五感を使ったホンマ氏の「楽しむ」展示を、今後は見ることができるかもしれない。

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