JOURNEY

著名作家の版画作品が見られる美術館──
町田市立国際版画美術館

2020.06.29 MON
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著名作家の版画作品が見られる美術館──
町田市立国際版画美術館

2020.06.29 MON
著名作家の版画作品が見られる美術館──町田市立国際版画美術館
著名作家の版画作品が見られる美術館──町田市立国際版画美術館

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する連載「車でしか行けない美術館」。今回は、歌川広重や葛飾北斎の浮世絵から、デューラー、レンブラント、ルオー、ロートレック、ピカソ、アンディ・ウォーホルまで、豊富な版画作品を所蔵する町田市立国際版画美術館を訪ねた。

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Masahiro Okamura

文化先進国の日本

ミュージアムの充実に関する限り、日本は文化国家だと思う。

2014年、文科科学省が「諸外国の博物館政策に関する調査研究報告書」を示した。それによればアメリカのミュージアムの数は約1万7,500館で、うち美術館は3,850館。フランスは1,218館で、うち美術館が340館。
豊富な版画作品を所蔵する町田市立国際版画美術館
そして、日本は博物館も含めた数が1,262館で、うち美術館は452館。こちらの数字の出典は2011年の文部科学省「社会教育調査」。

つまり、日本に美術館の数は文化先進国と思われているフランスよりもやや多い。そして、内容ははるかに充実している。

ここからはわたしの体験だけれど、フランスの美術館とはルーヴルやオルセーといった一部をのぞけば、小規模であり、要するに「美術品が展示してある建物」にすぎない。部屋の中に作品が置いてあるだけで、展示替えもない。いつでも同じ作品を並べている。
エントランスから内部に歩を進めると、広々とした重厚感溢れるロビー空間が広がる
エントランスから内部に歩を進めると、広々とした重厚感溢れるロビー空間が広がる
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パリのギュスターヴ・モロー美術館、ドラクロワ美術館などはそんな感じだ。フランスの地方にある小さな美術館も似たようなものだ。

それに比べれば日本の市立美術館は充実している。ロビーがあり、カフェ、ショップが併設されているところは少なくない。説明する学芸員が待機していて、季節によって企画展をやっている。それほど充実しているし、また有名画家の作品もあるのだけれど、いつ行っても空いていることが多い。

実にもったいないことではないか。公立美術館へ行かないのは損だ。喫茶店で1時間、休むくらいなら、近所の小さな市立美術館を訪ねて、30分だけ作品を見て、残りの30分は館内のカフェ、もしくは近所の喫茶店へ行けばいい。
館内に併設されたカフェ「喫茶けやき」からは隣接する芹ヶ谷公園の豊かな自然を望むことができる
館内に併設されたカフェ「喫茶けやき」からは隣接する芹ヶ谷公園の豊かな自然を望むことができる
実際、わたしは編集者との打ち合わせではたいてい、美術館のカフェを使っている。

話は長くなったけれど、町田市立国際版画美術館はこうした混雑することがほとんどない美術館のひとつである。

もっとも版画作品は充実している。歌川広重や葛飾北斎の浮世絵はもちろん、棟方志功、畦地梅太郎の作品がある。海外の作家では、デューラー、レンブラントから、ルオー、ロートレック、ピカソからアンディ・ウォーホル、リキテンスタイン……。

いつ行っても、著名作家の版画作品が見られる美術館だ。

谷戸という地形

同館のホームページには最寄りの町田駅から徒歩15分と書いてある。しかし、実際に歩くとそれではまず無理だ。美術館までの坂道はアップダウンがきつい。お年寄りが歩いていくのに15分では不可能だ。
銅版画家であり、東京藝術大学の教授でもあった駒井哲郎(1920-1976年)が愛用したプレス機も展示
銅版画家であり、東京藝術大学の教授でもあった駒井哲郎(1920-1976年)が愛用したプレス機も展示
そのあたりの地形は「谷戸(やと)」と呼ばれている。丘陵地が浸食されてできた谷状の地形で、急傾斜の坂道が多い。入館者を見ていると、自分の車で行くか、もしくは駅からバス、タクシーを利用している。

さて、今回、見るのは西洋の版画である。浮世絵については、何度か本連載で取り上げたので、西洋の版画について、どうやって見たらいいのか。楽しみ方のコツはあるのかを学芸員の藤村拓也氏に聞いた。
2Fにある常設展示室
2Fにある常設展示室
最初に見たのは16世紀前半の版画。オランダ人、ルーカス・ファン・レイデンの「サムソンとデリラ」という作品である。大きさは幅が20センチで縦が28センチ。

藤村氏は言う。

「これはエングレーヴィングという技法の作品で、版に直接、彫って凹部を作る。凹部にインクがたまってそれを紙に移すので、凹版と呼ばれるものです」

わたしたちが子どもの頃、芋版や年賀状のために木片に彫った版画は凸版だ。

たとえば、「お正月」という文字を紙に刷るには、文字以外の部分を彫ってしまう。すると、「お正月」という文字部分は紙に黒く残る。もっとも左右が反転するので、凸版には反転した文字を残すように彫らなくてはならない。

他に版画の種類にはリトグラフに代表される平版、スクリーンプリントに代表される孔版がある。スクリーンプリントとはTシャツをプリントする時に使われる技術。孔版だけは左右が反転することはない。
ルーカス・ファン・レイデン「サムソンとデリラ」1508年 エングレーヴィング 町田市立国際版画美術館所蔵
ルーカス・ファン・レイデン「サムソンとデリラ」1508年 エングレーヴィング 町田市立国際版画美術館所蔵
さて、「サムソンとデリラ」に戻る。

版画が絵画と違う点は筆で描くのではなく、彫刻刀で彫って線や面を表現することだろう。当然、時間と手間がかかる。だから、ピカソの「ゲルニカ」(3.49×7.77メートル)のような大画面の木版画はない。作ろうと思えばできるのだろうけれど、ひとりで彫ろうとしたら何年かかるかわからない。つまり、版画は絵画よりも小さいのが通例だ。

画面は小さいけれど、作家は技術の限りを尽くしてディテールを表現する。たとえば、「サムソンとデリラ」の画面中央にいる女性は帽子をかぶっているけれど、額には薄いベールがかかっている。薄いベールは実に見事な表現だ。
「サムソンとデリラ」に描かれた女性
「サムソンとデリラ」に描かれた女性
透明に近い薄い布を絵の具で描くことはできる。しかし、彫ることでそれを表現しているのだから、びっくりというか感心してしまう。超絶技巧とはこのことだ。思うに、版画を見る楽しみは超絶技巧を見つけることにある。

薄いベールに感心していたら、藤村氏が声をかけてきた。

「野地さん、これを使えばいいです」

ルーペだった。虫眼鏡である。この美術館では版画を見るためのツールとしてルーペを貸し出している。

そして、もし、ハズキルーペを持っているのならば、版画を鑑賞する時にはかけるといいだろう。

ルーペがあれば超絶技巧の箇所を拡大して見ることができ、ますます作家の力に感心する。

小さな版画と色彩版画

アルブレヒト・アルトドルファー「人類の堕落と救済」1513年 木版 町田市立国際版画美術館所蔵
アルブレヒト・アルトドルファー「人類の堕落と救済」1513年 木版 町田市立国際版画美術館所蔵
ルーカス・ファン・レイデンの作品の次に展示してあったのがドイツ人画家、アルブレヒト・アルトドルファーの連作4点。

タイトルは「人類の堕落と救済」。

4.9×7.2センチと、手のひらに載るくらいの大きさで、いずれも16世紀前半のものだ。
「人類の堕落と救済」の連作のうちの2点。左から「聖母の戴冠」「人類の堕落」
「人類の堕落と救済」の連作のうちの2点。左から「聖母の戴冠」「人類の堕落」
藤村氏の解説。

「こうした作品は小さくて、よく見ると女性の裸体を描いています。当時はコレクターズアイテムというか、写真がない時代ですから、ポルノグラフィーの役割を果たしたものだと思われます。

そもそも、その頃までの絵画はダ・ヴィンチにせよ、レンブラントにせよ、注文制作でした。スポンサーがいて、『こういう絵を描いてくれ』と頼まれて制作したものです。時間もかかりますし、材料費もバカになりませんから絵画を自分自身のリスクで制作することはなかったと言えます。

一方、版画は作家が主体的にテーマを決め、制作し、プリントして販売できます。自分で制作する自分のメディアとして発達したのが版画です」
「人類の堕落と救済」の連作のうちの2点。左から「楽園追放」「拒絶されるヨアヒムの捧げ物」
「人類の堕落と救済」の連作のうちの2点。左から「楽園追放」「拒絶されるヨアヒムの捧げ物」
16世紀の西洋版画も17世紀の浮世絵も、作家はこつこつと自分の好きな下絵を描き、自分で彫るもしくは彫り師に頼んだ。

注文制作とはまた別の楽しみがあったのだろう。

一版多色刷りの版画

原画がペーテル・パウル・ルーベンスの「マリー・ド・メディシスの生涯」を版画にしたものもここにはある。彫った人の肩書は「版刻」。J.Lブノワ、J.デュテとなっている。ルーベンスは16世紀から17世紀に生きた画家で、版刻のふたりは19世紀の人間だ。かなり年代を経てから版画にしている。
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」町田市立国際版画美術館所蔵
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」町田市立国際版画美術館所蔵
版画作品には複製版画というものがある。

画家が描いた油彩画などの原画を元に、版刻をする人間が制作したものだ。原画は版画にすることを目的としないで制作されている。だから、版刻する人間は画家本人もしくは遺族の了承を得るのが前提だ。

ただし、この作品の場合は時代が離れているから、作家や遺族の了承を得たとは言い難い。

しかし、版刻者はどうしても、この原画を版画として表現したかったのだろう。著作権意識が発達した現代では、著作権が切れた作品でしか、こうした制作はできないと思われる。

さて、本作の見どころは一版多色刷りであることだ。
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」の各作品
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」の各作品
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」の各作品
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」の各作品
J.Lブノワ、J.デュテ「マリー・ド・メディシスの生涯」の各作品
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浮世絵では赤、青といった色を載せようとすればそれぞれの色ごとに版を彫る。そうして、紙に刷り重ねていって完成させる。それが多版多色刷りだ。

一方の一版多色刷りは一枚の版に何度もそれぞれの色を置いて刷る。それぞれの色が混じらないように神経を使う。

「マリー・ド・メディシスの生涯」は、説明を聞かなければ一版に色を重ねていったとは思えない。それほど丁寧な仕事の作品である。

体験工房とコーヒー

この美術館へ行ったら体験工房をちらっとでもいいからのぞいてみることだ。複製版画のことを前述したけれど、素人が版画の制作をする場合、なんといってもハードルが高いのは下絵を構想して描くことだ。それが複製版画であれば、版画になりそうな下絵を探して、彫ればいい。

芸術作品は見るだけではなく、実際に体験すると理解力が増す。油絵を描くには時間とお金がかかるけれど、版画ならばそれほどではない。しかも複製版画であれば下絵を描くための生みの苦しみを感じなくてもいい。誰がやってもそこそこの作品ができるのではないかと思うのだが……。

文化国家の日本には美術館に体験工房が併設されていたり、美術教室を開催しているところが多い。ただ見るだけでなく、なんでもかんでも利用してみればいいのではないか。
町田市立国際版画美術館を望むように立つカフェ「maison de miel」
ギャラリーカフェmaison de mielの店内。イラストレーターの桑原節氏や写真家の広川泰士氏の作品を展示販売している
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美術館の帰りにはすぐ近くのカフェ「maison de miel」でコーヒーを飲む。カフェからは美術館とその周りの芹ヶ谷公園の景色が見える。

ふと「この風景を版画にしてもいいな」と思う。
季節のパスタ、ソフトドリンク、スペシャルコーヒー、デザートからなるランチコースセット
季節のパスタ、ソフトドリンク、スペシャルコーヒー、デザートからなるランチコースセット
町田市立国際版画美術館
東京都町田市原町田4-28-1
Tel.042-726-2771
開館時間:10:00〜17:00(平日)
     10:00〜17:30(土・日・祝日)
     ※入場は閉館30分前まで
休館日:毎週月曜日(祝日・振り替え休日の場合は翌日)
    12月28日〜1月4日
http://hanga-museum.jp/

maison de miel
東京都町田市高ケ坂2-28-15
Tel.042-785-4518
営業時間:12:00〜16:00
定休日:月曜日

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