JOURNEY

尾張徳川家に伝えられた大名道具を収蔵する美術館──
徳川美術館

2020.03.11 WED
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尾張徳川家に伝えられた大名道具を収蔵する美術館──
徳川美術館

2020.03.11 WED
尾張徳川家に伝えられた大名道具を収蔵する美術館──徳川美術館
尾張徳川家に伝えられた大名道具を収蔵する美術館──徳川美術館

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する連載「車でしか行けない美術館」。今回は、尾張藩2代藩主である徳川光友の隠居所があった場所に立ち、尾張徳川家に伝えられた大名道具を所蔵している「徳川美術館」を訪ねた。

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Atsuki Kawano

甲冑の見方とは

徳川美術館はその名の通り、尾張徳川家に伝えられた大名道具が収蔵されている美術館だ。本来ならばかつて居城だった名古屋城の中にあってもよかった。しかし、同家は明治維新の際、居城を新政府に献上したため、二代徳川光友の隠居所の跡で尾張徳川家の別邸だった大曽根屋敷に美術館をつくったのである。

同美術館は名古屋の繁華街からは離れていて、JR・地下鉄の駅からも近いわけではない。車で行った方が便利な場所にある。
[采配]白熊毛采配 桐紋蒔絵柄 徳川義直(尾張家初代)所用 、[甲冑]黒塗勝糸威具足 松平勝長(尾張家8第宗勝6男)着用
[采配]白熊毛采配 桐紋蒔絵柄 徳川義直(尾張家初代)所用 江戸時代 17世紀、[甲冑]黒塗勝糸威具足 松平勝長(尾張家8第宗勝6男)着用 江戸時代18世紀 徳川美術館所蔵
所蔵しているのは刀剣、武具、具足、茶道具、装束、調度品などで、尾張徳川家は武家だから、刀剣、武具、具足のコレクションは充実している。

なかでも具足はエントランスを入ってすぐのところに必ず一領が展示されている。

しかし、具足や甲冑なんてものは、いったいどうやって鑑賞すればいいのか。どこを見ればいいのだろうか。

ちなみに、甲冑と具足の違いだが、甲冑は兜と鎧のこと。籠手(こて)、臑(すね)当て、佩楯(はいだて ひざから下の防具)などは含まない。一方、具足は兜や鎧だけではなく、籠手、臑当て、佩楯、面具なども入った一揃いをいう。
銀箔置白糸威具足 松平忠吉(徳川家康4男)着用 桃山時代16世紀 徳川美術館所蔵
銀箔置白糸威具足 松平忠吉(徳川家康4男)着用 桃山時代16世紀 徳川美術館所蔵
同館の学芸員薄田大輔氏は「武具はディテールを見ると感心しますよ」と教えてくれた。

例えば、鎧をよく見てみる。胴の部分は鉄、もしくは革にうるしを塗ったりして加工してある。

腕の部分や胴の下のスカートのような部分は小札(こざね)という鉄片、もしくは木片をより合わせた絹糸で結び合わせてある。1枚の板ではなく、小札が何枚もつなぎ合わせてある。

そして、小札を結び合わせたひもを縅毛(おどしげ)、結び合わせることを縅(おどし)という。鎧の名称で「黒糸縅し」「白糸縅し」と書いてあるのは、それぞれ黒や白の糸が全体の基調になっているということだ。

なお、使われている縅毛はほぼ絹である。なぜなら、日本で木綿の本格的な栽培が始まったのは戦国時代末期からだ。
錐形兜 徳川義直(尾張家初代着用)尾張徳川家伝来 江戸時代17世紀 徳川美術館所蔵
錐形兜 徳川義直(尾張家初代着用)尾張徳川家伝来 江戸時代17世紀 徳川美術館所蔵
鎧や兜を鑑賞していて、「ほんとによくできている」と思うのは小札と縅の部分だ。

例えば徳川家康の四男、松平忠吉が関ヶ原の戦いで着用した具足「銀箔置白糸縅具足」は、鉄板に銀箔を置いて、白の絹糸で縅してある。関ヶ原の戦場において、松平忠吉は銀色と白の鎧で活躍したのである。武具、防具というより、おしゃれな出で立ちで戦いに臨んだわけだ。

薄田さんも「ほんとにきれいですよね」と同意する。

「日本の武具は装飾されており、華やかです。なお、松平忠吉の具足には、関ヶ原合戦の時の鮮血が付着したという言い伝えがあります」

日本の宝、「源氏物語絵巻」

この美術館には、まさに日本の宝である「源氏物語絵巻」が展示されている。

現存する最古の物語絵巻で、教科書にも載っているし、記念切手にもなっている。誰もが、どこかで見た記憶がある美術品だ。前回の東京オリンピックの年(1964年)、フランスからミロのヴィーナスがやってきた。国立西洋美術館で特別展が開催されたのだが、その時、代わりにフランスの展覧会に貸し出したのが「源氏物語絵巻」。世界的にはミロのヴィーナスと同様の価値がある美術品だ。
源氏物語絵巻(複製)をパネルにして展示している
源氏物語絵巻(複製)をパネルにして展示している
源氏物語絵巻は12世紀前半にできたもので、徳川美術館と東京の五島美術館にしかない。前者には三巻十五場面、五島美術館には一巻四場面があり、もともとは同じセットから分かれたものである。

徳川美術館では秋、五島美術館では春の、それぞれ一週間程度だけ現品を展示している。

なお、源氏物語それ自体は絵巻の完成よりもさらに150年近く前に執筆されたもので、竹取物語、宇津保(うつぼ)物語と並んで日本文学では最古と呼べる。

源氏物語絵巻に対しての評価は徳川美術館のガイドブックにもある。

「研ぎすまされた感性による絵画表現、美麗に装飾された料紙にしたためられた詞書(ことばがき)の優美な書など、多くの『源氏絵』(注:色紙絵、扇面画、障壁画などがある)のなかでもひときわ高い格調と説得力をもって見るものを魅了してくれます」
国宝 源氏物語絵巻(複製)徳川美術館所蔵
国宝 源氏物語絵巻(複製)徳川美術館所蔵
わたし自身が目を留めたのは、色のみずみずしさだ。高温多湿な日本で、900年も前に描かれた絵なのに、絵の具は鮮烈な色のままだ。尾張徳川、蜂須賀両家が家宝として保存したことは想像できるが、二つの家に渡るまでの数百年間、いったい、誰がどのように保管していたのかを考え込んでしまう。

薄田さんは「両家が絵巻を所蔵するまでの経緯は分かっていないんです」と言った。

ただ、仮説はある。

例えば………。

尾張徳川、蜂須賀家の両家に嫁いだのが公家の鷹司家の子女だったという事実がある。そのため鷹司家の子女が婚礼に際する調度品として尾張徳川家へ持っていったのではないかという説だ。
源氏物語絵巻 柏木(三)絵 徳川美術館所蔵
源氏物語絵巻 柏木(三)絵 徳川美術館所蔵
名古屋の婚礼は今もなお派手だとされている。だから、尾張徳川に嫁ぐ娘は三巻、阿波の蜂須賀家へは「一巻でいいや」となったのかもしれない。

源氏物語絵巻にはミステリーがある。絵の前でいろいろ来歴を想像するのも楽しいのではないか。

徳川園の楽しみ方

徳川園は美術館の隣にある日本庭園だ。龍仙湖という湖の周りに石や木が配された、「池泉回遊式」の庭園である。

そして、中央にある龍仙湖にそそぐ水流の一つが「龍門の瀧」。かつて尾張徳川家の江戸下屋敷「戸山荘」にあった遺構だという。滝自体が遺構なのではなく、滝に使われている石などを運んできたものだ。

木立のなかにある小さな滝だけれど、それでも滝は滝だ。御三家の下屋敷ともなると、滝の一つくらいは必ずつくっていたのだろう。往時の徳川御三家の盛運を感じさせる。
徳川園内にある「龍門の瀧」
徳川園内にある「龍門の瀧」
かつての「龍門の瀧」は滝の下にある飛び石を渡ると、急激に水量が増して、飛び石が水没するという仕掛けが施されていたそうだ。そして、現在でも水量を調節して、当時の趣向を再現している。

つまりは、「軽々しく、滝の飛び石を渡ってはいけない」という「趣向」だろうか。

徳川園の楽しみ方だけれど、大名の気分で鷹揚に風景を眺めながら、庭を散策し、池の鯉に餌でもやればいい。鯉の餌は自動販売機で売っている。

「鯉に餌をやってはいけません」という庭園が多くなる一方の時代に、堂々と鯉の餌を売っているところはそうは多くない。

チャーハンとスープ

徳川美術館から車で10分ほど走ると、中華料理店「菜の花」に着く。主人は香港で修業した本格的で正統派の中華料理人だ。しかし、値段はリーズナブル。
XO醤チャーハンとズワイガニ入りふかひれスープ
リーズナブルな価格で本格的な中華料理を楽しめる
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大名の気分でズワイガニ入りふかひれスープを頼み、その後、一般人の気分でXO醤を使ったチャーハンを注文した。

武具を見て武家の気持ちになり、源氏物語絵巻を見て、公家の生活を想像した。さらに、一般人としてチャーハンをかきこみ、心から楽しんだ。

徳川美術館
愛知県名古屋市東区徳川町1017
Tel.052-935-6262
開館時間:10:00〜17:00(徳川園は9:30〜17:30)
     ※入館受付は閉館30分前まで
休館日:月曜日(祝日、振替休日の場合は直後の平日)
    年末年始
https://www.tokugawa-art-museum.jp/

菜の花
愛知県名古屋市千種区若水3-18-2
Tel.052-712-1182
営業時間:11:30〜14:00(L.O.13:30)
     17:30〜21:00(L.O.20:00)
定休日:木曜日、第3金曜日
※営業時間、定休日は変更になる場合があります

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ご回答いただきありがとうございました。

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