JOURNEY

「真鶴の巨人」と呼ばれた画家の個人美術館──
中川一政美術館

2019.10.21 MON
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「真鶴の巨人」と呼ばれた画家の個人美術館──
中川一政美術館

2019.10.21 MON
「真鶴の巨人」と呼ばれた画家の個人美術館──中川一政美術館
「真鶴の巨人」と呼ばれた画家の個人美術館──中川一政美術館

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する連載「車でしか行けない美術館」。今回は、真鶴半島を拠点に油絵、日本画、書など多彩な活動をした芸術家、中川一政のプライベートミュージアム「真鶴町立中川一政美術館」を訪ねた。

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Atsuki Kawano

真鶴半島がアトリエ

西湘バイパスから熱海を通って伊豆へ行くのはドライブルートとしては定番だ。だが、その途中、真鶴半島を回っていこうという人は少ないのではないか。

「あー、もったいない」

わたしはそう思う。

JR真鶴駅から半島の先端に向かう道には房総半島と伊豆半島を両方、一度に眺めることができる場所がある。地図を開けば分かるけれど、海の向こうに房総と伊豆の二つの半島を望むことができるのは三浦半島と真鶴半島の先端部分であり、しかも高台しかない。

晴れた日に相模湾、東京湾を隔てて見ることができる房総の山容は幻想的だ。車を止めて、両方の半島を眺めた方がいい。
中川一政の個人美術館の看板
そして、真鶴半島には洋画家、中川一政の個人美術館がある。絶景を眺めてから美術作品を見に行く。

中川一政は油絵、日本画、書、篆刻、陶芸など多彩な活動をした芸術家で、大ファンだと公言していた俳優、緒形拳(故人)は多芸な天才画家を「真鶴の巨人」と呼んで私淑していた。

中川一政は風景画、花の絵で知られる画家だけれど、一般の人が「ああ、あれがそうなのか」と納得するのは特徴のある題字、装画かもしれない。
優れたデザイン感覚を持っていた中川一政。文壇との交わりが深かったこともあり、多くの装丁を手がけた
優れたデザイン感覚を持っていた中川一政。文壇との交わりが深かったこともあり、多くの装丁を手がけた
向田邦子の著書と、それを原作としたテレビドラマ、同じく高倉健主演の映画『あ・うん』の題字を書いたのは中川だ。むろん原著書の装画、装丁も彼である。

狛犬の阿形と吽形を描いた絵、および「あ・うん」という題字は向田邦子作品のイメージを決定づけた。

中川一政美術館に入ると、エントランスのガラスケースに『あ・うん』の著書が陳列されている。題字、装丁を眺めているうちに、テレビドラマ、映画の『あ・うん』を見たくなってしまう。

見るべき二つの風景画

油彩から書、版画まで約700作品が所蔵されている
油彩から書、版画まで約700作品が所蔵されている
風景画で見るべきなのは二つだ。彼自身が「第一のアトリエ」と呼んでいた真鶴半島の福浦漁港を描いたそれ、そして「第二のアトリエ」、箱根の駒ケ岳を題材としたものだ。

福浦漁港の絵画は彼が突堤に画架を立て、海ではなく、半島側の丘陵と住居群を描いたものである。

日曜画家であれば突堤に立ち、海やカモメや船を描くだろう。しかし、中川は海を背にして、ひたすら真鶴半島の自然を描いた。自然を具象的に表現したのではない。彼は自然の風景が持つボリューム感とエネルギーに触発されたようだ。
中川一政「福浦港」1958年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
中川一政「福浦港」1958年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
自然の風景は画家にのしかかり、圧倒しようとしている。突堤に立つ画家は自然の風景に押されているのだけれど、後ろが海だから、それ以上、下がることはできない。自然の風景に負けずに、自身の身体から精一杯のエネルギーを放出し、それを画面にたたきつけた。自然に対する闘いの絵でもある。

駒ケ岳の絵にも画家の闘争心とエネルギーが現れている。駒ケ岳は画家に覆いかぶさるように屹立している。画家は負けじと足を踏ん張って絵筆をとり、自然の風景と戦った。
中川一政「駒ヶ岳」1982年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
中川一政「駒ヶ岳」1982年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
福浦漁港の絵にせよ、駒ケ岳にせよ、画面にあるのは画家のエネルギーだ。

同美術館の学芸員、加藤志帆さんはこう言った。

「中川一政は見た景色を美しく描いたわけではありません。自然の持つ躍動感をキャンバスに再現したのです。現場主義の人ですから、画架を持っていって風景に対峙し、描いたものをアトリエに持って帰りました。そうして満足できない部分は絵の具をそぎ落として、もう一度、絵の具をのせました。時間をかけて写生をし、絵を描く人でした」
1949年、中川一政が56歳の時に構え、97歳で生涯を閉じるまで使用していたアトリエが復元されている
1949年、中川一政が56歳の時に構え、97歳で生涯を閉じるまで使用していたアトリエが復元されている
中川は福浦漁港には20年、駒ケ岳には16年通った。福浦漁港について、画家はある日、たまたま同行した緒形拳にこんなことを呟いた。

「景色が変わっちゃってね。よく変わるんならいいけど、たいてい悪く変わるね。

ここで絵を描いていると長いから漁師となじみになって、僕の絵を見て、この頃うまくなったななんて云うんだ。これでメシくうのも大変だな、なんてね。

返事のしようがないから、ウンて言うんだ」(『恋慕渇仰』緒形拳著)

中川の風景画には強いエネルギーがほとばしっているが、本人はおだやかでユーモアにあふれる人だったと思われる。

薔薇と向日葵

中川自身は正式の美術教育を受けた人ではない。

「第一の先生は自然。第二の先生はルーヴル美術館」

「画家では私と同じように正式の教育を受けていないゴッホとセザンヌが好きだ」

「人物画であろうが、風景画であろうが、生きていなければならぬ。手放しでも歩きださねばならぬ。動いてもいい。静止してもいい。とにかく口にさわれば呼吸しており、手にさわれば脈をうっている。そういう画がかければよいと私は考えてきた」

いずれも画家本人の言葉だ。
花を描いた作品も数多く手がけている
花を描いた作品も数多く手がけている
花を描いた作品にも躍動感がある。

「中川は花を描く時、自分で花を活けて形を整えました。生きていて躍動感がある花を描きました。ただし、『生きている』状態とは花そのものがみずみずしく咲いている状態だけではありません。たとえば、チューリップを描いた作品では茎がしおれている様子を表現しています。中川にとっては、しおれた茎もまた『生きている』状態だったのでしょう」(加藤学芸員)

薔薇と向日葵(ひまわり)を描いた作品は数多い。丹念に見ていくと、晩年になって描いた作品の方が花の輪郭はあいまいになっていて、花のようには見えない。花弁を表す赤や黄色の絵の具が画面上に散在している。
中川一政「向日葵とピカソ壺」1963年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
中川一政「向日葵とピカソ壺」1963年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
中川一政「向日葵」1990年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
中川一政「向日葵」1990年 油彩・キャンバス 中川一政美術館所蔵
たとえば70歳の時に描いた「向日葵とピカソ壺」(1963年)と97歳で描いた「向日葵」(1990年)を比べると、形としての花は前者の方が的確に描写している。ただ、後者にはリズム感とういういしさがある。そして絶筆の「静物 薔薇」(1990年)は薔薇の形自体も判然としなくなっている。しかし、薔薇の花弁と思しき赤い絵の具には生きるエネルギーが感じられる。

中川一政の絵を見る時は離れて見るのではなく、なるべく絵に近づいた方がいい。ジャクソン・ポロックの絵と同じように、躍動感のある絵画を見る時は目を凝らして、画面に近づくことだ。そうすると、画家が残したエネルギーの痕跡が感じられる。ただし、美術館の人たちを心配させない程度の近距離から見ることが肝心だ。

画家のセンスを感じさせる書

書に関しても、中川は独学だった。美術館にある書にはセンスの良さを感じる。むやみにエネルギーを放出しているわけではない。文字の置き方、墨の色は書家ではなく、画家のセンスだ。人が見て楽しむものを書いてやろうと思ったのではないか。
書が展示されている第四展示室。書だけでも170点ほどの作品が所蔵されている
書が展示されている第四展示室。書だけでも170点ほどの作品が所蔵されている
この人の書は、やや高級でセンスのいい和食店に掲げられていたらピッタリくるのではないか。書が放つ気配は温かい。そして面白味が感じられる。食事をしている時、ふと掲げられた書に目が行くと、楽しい気分になる。『あ・うん』の題字が好例で、人を安心させる文字の形であり、文字の色だ。

ただ、そうした文字を書くのは簡単なことではない。何度も何度も文字を彫り込むように書いていって、やっと、この形と色に到達したのだろう。

エネルギーを食べて帰る

美術館を出たら、帰りには中川が「第一のアトリエ」と呼んだ福浦漁港に立ち寄るといい。真鶴半島には真鶴、岩、福浦という3つの漁港があり、福浦がもっとも規模が小さい。中川が絵を描いていた突堤に立つこともできる。背後の景色は普通の住宅としか言いようがない。今の福浦漁港の景色よりも、中川の絵の方が光にあふれていると、わたしは思った。
江戸時代に創業し、2002年より休業していた富士屋旅館。2019年2月にリニューアルオープンした
食事処「瓢六亭」は宿泊客でなくても利用できる
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その後、真鶴の隣の湯河原へ。立ち寄り温泉に入ってもいいし、温泉旅館に泊まってもいい。

近頃、リニューアルされた富士屋旅館の食事処「瓢六亭」は宿泊しなくとも食べることができる。名物は地焼きの鰻だ。蒸さずに、そのまま焼いている。食べると全身にエネルギーがいきわたる。
食事処「瓢六亭」名物の地焼きの鰻
蒸さずに焼いているため、香ばしい薫りとしっかりした食感が楽しめる
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中川一政の絵と湯河原の鰻でエネルギーを補給して、そして、前向きに生きていく。人生は楽しいことでいっぱいだ。

中川一政美術館
神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1178-1
Tel.0465-68-1128
開館時間:9:30〜16:30
     ※入館受付は閉館30分前まで
休館日:毎週水曜日(祝日の場合は開館)
    12月28日〜1月3日
http://nakagawamuseum.jp/

富士屋旅館 瓢六亭
神奈川県足柄下郡湯河原町宮上557
Tel.0465-46-6091
営業時間:11:30〜15:30(L.O.14:30)
     17:30〜22:00(L.O.20:00)
https://fujiyaryokan.jp/hyorokutei/

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