執念を作品に落とし込む
木工作家 吉川和人氏のアトリエがあるのは、世田谷の閑静な住宅街にほど近い一角。広々とした入り口から一歩足を踏み入れると、やさしい木の香りが我々を迎えてくれた。
機械や作業台が整然と置かれたインダストリアルな空間には、さまざまな木材はもちろん、家具やカトラリーのサンプルなどが所狭しと詰め込まれている。
機械や作業台が整然と置かれたインダストリアルな空間には、さまざまな木材はもちろん、家具やカトラリーのサンプルなどが所狭しと詰め込まれている。

一見、どこにでもあるような木材は、吉川氏の手によってどのように姿を変えていくのだろうか。吉川氏に製作工程について聞いた。

生木を仕入れた場合、丸太から木地(荒挽き・荒削りした材料)にして作品に仕上げるまで、乾燥を含めると1年ほどを要する。
まずはさまざまな木地のなかから、つくりたいイメージに合うものを選び、型取りを行う。その後、型に添って切り出したら、カンナやヤスリで削りながら形を整えていく。
まずはさまざまな木地のなかから、つくりたいイメージに合うものを選び、型取りを行う。その後、型に添って切り出したら、カンナやヤスリで削りながら形を整えていく。

「最終的には、微妙な表面の凹凸を正確に感じ取れる紙ヤスリを使って仕上げます。紙ヤスリ越しに押し当てた指先の肉がへこみ、それがなめらかな曲面をつくります。奇妙な表現かもしれませんが、僕の指の柔らかさや体温を、作品に乗り移らせているのかもしれません」
そうしてつくり出されるなめらかな曲線はスッと手になじみ、なんともいえないフィット感を生み出している。
そうしてつくり出されるなめらかな曲線はスッと手になじみ、なんともいえないフィット感を生み出している。

吉川氏が生まれ育ったのは、自然豊かな福島県の田舎町。
家のすぐ裏には森があり、幼い頃から木で物をつくって遊んでいた吉川氏にとって、切り出された木材よりも、むしろ森に立っている木の方が、なじみがあったという。
「大学卒業後、生活の中で使えるアートに携わりたいという思いから、木工製品を扱うデザイン系の家具屋で営業職や企画職などを担い、12年間務めました。でも現場の職人と接するうちに、自分でもつくってみたいと思うようになったのです」
そんな吉川氏の転機となったのは、東日本大震災だった。
「人生について改めて考えさせられました。一度しかない人生なら好きなことをやろうと決意し、会社を辞めて、岐阜県にある木工の学校で一から勉強することにしたんです」
家のすぐ裏には森があり、幼い頃から木で物をつくって遊んでいた吉川氏にとって、切り出された木材よりも、むしろ森に立っている木の方が、なじみがあったという。
「大学卒業後、生活の中で使えるアートに携わりたいという思いから、木工製品を扱うデザイン系の家具屋で営業職や企画職などを担い、12年間務めました。でも現場の職人と接するうちに、自分でもつくってみたいと思うようになったのです」
そんな吉川氏の転機となったのは、東日本大震災だった。
「人生について改めて考えさせられました。一度しかない人生なら好きなことをやろうと決意し、会社を辞めて、岐阜県にある木工の学校で一から勉強することにしたんです」
木が生きた痕跡を作品に落とし込む
素材の持つ魅力を最大限に活かした吉川氏の作品は、1点1点大きさも違えば、色も模様も異なる。
「バクテリアなどがつくり出す模様がすごく好きなんです。木は生き物ですので、皮が剝がれ落ちたり、腐ったり、虫に食われることもあります。年輪や節、朽ちは、木が自然の中で生き抜いた証し。そういう一連の営みを作品に反映させたいと思っているのかもしれません」
「バクテリアなどがつくり出す模様がすごく好きなんです。木は生き物ですので、皮が剝がれ落ちたり、腐ったり、虫に食われることもあります。年輪や節、朽ちは、木が自然の中で生き抜いた証し。そういう一連の営みを作品に反映させたいと思っているのかもしれません」

例えば最初のヒット作品となったというお椀は、高台がないシンプルな形が特徴だ。
吉川氏が一人暮らしをしていた時に、具沢山の汁物が食べられるような大きい容量のお椀が欲しいという思いから、高台を省いて中を深く削り出した大ぶりなフォルムを考案したのだ。
吉川氏が一人暮らしをしていた時に、具沢山の汁物が食べられるような大きい容量のお椀が欲しいという思いから、高台を省いて中を深く削り出した大ぶりなフォルムを考案したのだ。

それは時に、邪道だと言われることもあるというが、「一つひとつ違うというのが木の魅力です。それぞれ自分の手に合うMy椀を見つけて、使っていただけたらうれしいですね」と吉川氏は語る。
「木は使うほどに色が変化し、シミもできる。割れたり削れたりもしますが、それがいいと思うんです。燃やせば土に戻るという潔さも好きですね。デザインに関しては、自分が感動できるものしか作らないようにしようと思っています」
「木は使うほどに色が変化し、シミもできる。割れたり削れたりもしますが、それがいいと思うんです。燃やせば土に戻るという潔さも好きですね。デザインに関しては、自分が感動できるものしか作らないようにしようと思っています」

SNSがもたらす新たな販路
木工の専門学校在学中から木の小物を製作し、セレクトショップに作品を置かせてもらっていたという吉川氏。卒業した年の秋には、個展を開いたというから驚きだ。
今では日本のみならず、パリやロンドン、イスタンブールなど世界各国のコレクターやレストランなどから注文が来るという。
その名声を広めたのは、インスタグラムをはじめとするSNSだった。
「昔は、つくり手が面白いと思う作品を製作しても、それを自由に発信するすべがありませんでした。また、流通に乗せるためには売り手と組んでプロダクト化する必要があり、時として、つくり手の最初の思いが消えてしまったもの、企業や流通の論理が優先されるものになっていってしまったものもあると思います。しかし、今はインスタグラムにアップすれば、世界中から直接問い合わせが来ます。たとえ日本での流通の仕組みに乗らなくても、世界の誰かには刺さるかもしれない。可能性が無限に広がりました。つくり手にとって、良い時代が訪れたのだと思います」
今では日本のみならず、パリやロンドン、イスタンブールなど世界各国のコレクターやレストランなどから注文が来るという。
その名声を広めたのは、インスタグラムをはじめとするSNSだった。
「昔は、つくり手が面白いと思う作品を製作しても、それを自由に発信するすべがありませんでした。また、流通に乗せるためには売り手と組んでプロダクト化する必要があり、時として、つくり手の最初の思いが消えてしまったもの、企業や流通の論理が優先されるものになっていってしまったものもあると思います。しかし、今はインスタグラムにアップすれば、世界中から直接問い合わせが来ます。たとえ日本での流通の仕組みに乗らなくても、世界の誰かには刺さるかもしれない。可能性が無限に広がりました。つくり手にとって、良い時代が訪れたのだと思います」
森と人、木と人とをつなげる拠点づくり
吉川氏は今、森と人をつなげる「トヨタ三重宮川山林 フォレストチャレンジ」というプロジェクトに参加している。
ここには、持続可能な社会のため、地域や社会の基盤である大切な森を活用しながら保全することで、未来に残したいという、トヨタ自動車の強い想いが込められている。
吉川氏は、木工作品を開発・販売するだけでなく、地域の学校を巻き込み、教育に活かすという取り組みを提案し、見事採用された。
「刃物を使って、自分の手でものづくりをするというのは、教育でありエンターテインメントでもありますよね。運動神経や危険察知能力に加え、自由な自己表現ができる機会でもあります。そもそも無垢の木に触れられる機会自体が、今の時代は貴重なのではないでしょうか」
ここには、持続可能な社会のため、地域や社会の基盤である大切な森を活用しながら保全することで、未来に残したいという、トヨタ自動車の強い想いが込められている。
吉川氏は、木工作品を開発・販売するだけでなく、地域の学校を巻き込み、教育に活かすという取り組みを提案し、見事採用された。
「刃物を使って、自分の手でものづくりをするというのは、教育でありエンターテインメントでもありますよね。運動神経や危険察知能力に加え、自由な自己表現ができる機会でもあります。そもそも無垢の木に触れられる機会自体が、今の時代は貴重なのではないでしょうか」

現在は、地元の学校で木工の授業を行う傍ら、現地の工業跡地を再利用し、山の木を使った製品の開発・製造を行う拠点を計画中だ。将来的には、ワークショップなども開催し、木にまつわる体験ができるエンターテインメント施設のような拠点づくりを目指しているという。「森に行く日」というアカウント名でインスタグラムで準備の様子も更新中だ。
「僕1人ではできないので、地元の方も巻き込みながら、盛り上げていきたいと思っています」
吉川氏の作品はもちろん、今後の活動からも目が離せない。ぜひ一度、手にとって木の質感を感じてみていただきたい。
吉川和人
https://www.kazutoyoshikawa.com
「僕1人ではできないので、地元の方も巻き込みながら、盛り上げていきたいと思っています」
吉川氏の作品はもちろん、今後の活動からも目が離せない。ぜひ一度、手にとって木の質感を感じてみていただきたい。
吉川和人
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