ART / DESIGN

見るものすべてがクリエイティブに通じる──
祐真朋樹

2019.08.12 MON
ART / DESIGN

見るものすべてがクリエイティブに通じる──
祐真朋樹

2019.08.12 MON
見るものすべてがクリエイティブに通じる──祐真朋樹
見るものすべてがクリエイティブに通じる──祐真朋樹

『Casa BRUTUS』や『GQ JAPAN』をはじめとする数々の男性誌のファッションページのディレクターを務める祐真朋樹(すけざね・ともき)氏。彼の肩書きは、「スタイリスト」であり、「ファッションエディター」であり、「ファッションディレクター」であり、そして『Web Magazine OPENERS』の「編集大魔王(編集長)」、ときにはフォトグラファーとしてクレジットされることもある。それほどに彼の肩書きは多種多様。さて、そんな彼の“枠”にはまらないクリエイティブの源泉とは何なのだろうか。

Text by Rie Noguchi
Photographs by Akira Maeda

バスキアに憧れた高校時代

「本当はニューヨークに行きたかったんです」

そう話すのは、数々の男性誌のファッションページのディレクターを務める祐真朋樹氏だ。彼のクリエイティブの源泉を探るべく、キャリアをスタートしたころの話を尋ねると、ストリートアートに没頭していた10代のころについて語った。

「僕が10代の頃は、ニューヨークのソーホーを中心としたストリートアートが全盛期で、当時のヒーローはジャン=ミシェル・バスキアでした。留学から帰ってきた高校の同級生が、そういう話を教えてくれたんです。『落書きがアートになるのか』と衝撃を受けました」

祐真氏が青春時代を送った1980年代、キース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキア、リチャード・ハンブルトンといった芸術家たちは、ニューヨークの街角でストリートカルチャーから発生したポップアートやグラフィティアートといった芸術活動をしていた。

祐真氏はこの文化に対し「ストリートアートに関心があったから、自分もやってみたいと思っていたんでしょうね。でも、10代の自分がいきなりそこに行けるのかといえば、実際問題不安だし、何も分からなかったんです」と、当時を振り返る。

そんなバスキアに憧れつつ、高校卒業後は地元・京都で就職。ほどなく出合ったのが雑誌『POPEYE』の取材チームだった。

「僕がよく行っていたショップに編集部の人が取材に来ていたんです。取材は終わったんだけど、タクシーがつかまらないというので、僕の車で四条河原駅まで送りました。それが縁で東京の編集部にも行く機会ができたんですよね」
数々の男性誌のファッションページのディレクターを務める祐真朋樹(すけざね・ともき)氏

アートからファッションへ

そして東京に移り住み、編集という仕事がどのようなものかも分からないまま、『POPEYE』編集部で働くこととなった。

「編集会議に出ていたら、とある企画で『アンディ・ウォーホルに描いてもらおうよ』という話になったんです。それで『この人たちは本気で言っている。ハッタリでも冗談でもない世界なんだ』と感じて。この編集部に入ったら、自分が憧れていたストリートアートと近い世界にいられるんじゃないかなと思いました」

そして、その憧れはすぐに現実となる。

「東京に上京して1年でキース・ヘリングに会えて、インタビューができたんです。もちろん編集というのはアートの仕事ばかりではありません。街のかわいい女の子を探したり、おいしいお店を探したりと、本当に毎日が忙しく、1年が経つ頃には『このままだと忙しくて死ぬな』と思ったんです(笑)」

そんな多忙を極める編集部のなかで祐真氏が考え、実行に移したことは、「仕事のジャンルを絞ること」だった。

「編集部に、『僕はファッションだけをやりたい』と言いました。で、まずはスタイリストと名乗ることにしました。スタイリストといってもスタイリングだけではなく、企画、キャスティング、デザインの指定、原稿書きと、ページになるまでのすべてのことを自分で考えてやっていました。ただ、とにかく、ファッションというジャンルに専念したかった」

誰かに文章を教えてもらったことはなく、何回も何回も書き直し。デザイナーにはレイアウトの指定で怒られる。祐真氏は先輩編集者や上司であるキャップと鍛錬の日々を過ごしながら、『POPEYE』のスタイリストとして着実にキャリアを積んでいくことになる。

「それでも楽しいというか、勉強させてもらっていた感じですね。僕が入って5年くらい経った1991年に、『POPEYE』が週刊化しました。それを機に、というわけでもないのですが、僕は『POPEYE』だけでなく、他の雑誌でもスタイリングをさせてもらうようになりました。90年代に入ると、『ミスター ハイファッション』というメンズモード誌のページをつくるようになりました。その頃から、もっと深くファッションの世界に入っていきたいと思うようになり、パリやミラノのコレクションを見に行き始めたんですね」

柔軟にフラットに吸収する

数々の男性誌のファッションページのディレクターを務める祐真朋樹(すけざね・ともき)氏
祐真氏は以降、スタイリストとして数々の有名誌のファッションページをディレクションすることになる。彼はスタイリングをするときに心がけていることを次のように語る。

「まずは自分が感動するのが一番大事です。さまざまなものに興味がないとダメですし、自分がすごくいいなと思うものを読者に伝えたい。そういう想いがあってこそ、見ている人に『いいな、楽しいな、素敵だな』と感動してもらえるファッションページができる。映像でも、写真でもときには言葉でもいいのですが、常に見る人が少しでも感動してくれたらいいなという想いを込めています」

見る人を感動させることが活動するうえでの軸だという祐真氏。普段どのようなものに影響を受けているのかと尋ねると「見るものすべて」だという。

「最近、1日1万歩歩くことを習慣づけています。そうすると街の中で、車で通り過ぎていたときには気がつけなかった発見をすることがあります。

例えば青山の外苑付近に小さな魚屋さんがあるのですが、『何でこんなところに魚屋さんがあるんだろう』と思いながら、その店に立ち寄ったりするんです(笑)。店頭には『SINCE1950』と書いてある立派な看板があって『へえー』と驚いたのですが、そこのオヤジさんの格好がいいわけ。『このオヤジ、ネイビーのシャツに結構こだわってるな!』とか」

一見、ファッションと関係がなさそうな鮮魚店からの発見も、祐真氏にとっては自身のクリエイティブな発想につながっていくようだ。自身が大切にしている時間も、やはり街を歩いている時間だという。

「忙しくてそんな余裕がないときもありますけど、フラットな状態で街を見ることが大切だと思います。地下鉄にも頻繁に乗っていて、よく人を観察します。表参道の駅とか、女性誌の広告が貼ってあったりして面白いですよね。

僕のスタイリングには、見たもの、聞いたもの、すべてが関係していると思います。『この牡蠣、おいしいな。モン・サン・ミッシェルで採れたものなのか』と思えば、自然とあのサン・マロ湾に浮かぶ修道院が脳裏に映し出される。

その入り江で飼育され、満潮時は海に沈む草原の草を食べる羊の肉はパリの高級店でもめったにお目にかかれないらしい。僕は死ぬ前に一度食べてみたいと思っているのだが、さて、その羊を飼う羊飼いたちはどんな格好をしているのだろうか。…などと妄想を繰り返すのがクセになっている。

結果的にそういうものがすべてスタイリングにも関係してくるんじゃないですかね」

街を散歩することで、さまざまなものを吸収する。そしてどんな場所でも常に新しい発見ができるよう、柔軟でフラットな状態を保つ。この好奇心あふれる姿勢が祐真氏のクリエイティブの根源のようだ。

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