VISIONARYMAGAZINE BY LEXUS

EXPERIENCE

“このように書かれなければならない”ものを
書くために──作家 川上未映子

2019.07.12 FRI
“このように書かれなければならない”ものを書くために──作家 川上未映子

2008年に『乳と卵』で芥川龍之介賞を受賞した川上未映子氏。11年後の今年7月刊行の『夏物語』は、その続編的内容となっている。強い何かに惹きつけられて書いたと語る川上氏のクリエイティビティの源泉に迫った。

Text by lefthands
Photographs by Yoko Ohata
Hair & Makeup by Mieko Yoshioka

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「書くということはペンと紙だけあったらどこでもできる」

「子供の頃から小説を書きたいと思っていたわけではなかった」と述懐する川上氏は、音楽家活動から作家へと転身した異色の経歴を持っている。小説家として有名な氏だが、実はもともと書き始めたのは小説ではなく詩だった。

一つの曲を作るために様々な人が関わり、そして自身も多くのことをこなさなければならない音楽活動が一段落ついたときに、言葉で表現することの魅力に気が付いたのだという。

「一人だけでできること、全部が自分の責任においてできる言葉だけの表現というのが、ひときわ輝いて見えたのです。それで詩を書き始めました」
作家 川上未映子
『乳と卵』は東京で暮らす夏子と、その姉の巻子、巻子の娘 緑子が主な登場人物だ。巻子が豊胸手術を受けるために、大阪から緑子を連れて夏子のもとにやってくるのが物語の冒頭となっている。三人が巻子のアパートで過ごす二泊三日が物語の内容だ。

ある理由から、緑子は言葉を発しないで筆談で会話するようになっているのだが、物語の冒頭で彼女はこう記している。

「書くということはペンと紙だけあったらどこでもできるしただやし、なんでも書けるので、これはとてもいい方法」

「ただ(無料)だし」を意味する「ただやし」という大阪弁を小気味良く用いつつ、「どこ〈で〉も〈で〉きる〈し〉ただや〈し〉なん〈で〉も書けるの〈で〉」とリズム良く韻を踏んでいく。まさに書くことの楽しさを体現した一文だろう。

緑子の言は、言葉に魅了され書き始めた川上氏自身の感情に通じているのだろうか。だが意外にも、氏から返ってきたのは「そういう気持ちは私も持っています」という少し突き放したような言葉だった。しかし、氏の創作の秘密の一端はそこにあった。

「いつも誰かがそこに待っている気がします」

最新作『夏物語』に寄せたコメントにて、「小説を書くときはいつも怖いし、困っているし、不安でたまらない」と氏は述べている。「でもこの作品を書いているときは、そんな自分の感情や都合が入り込めないくらいの強い何かにずっとずっと惹きつけられていました」。氏を惹きつけるものとは、何なのだろうか。

「不思議なもので、小説には“このように書かれなければならない”という形があるのです。それがどのような形なのかは表現できないのですが、“物語そのもの”というようなものです。仕事場に行くと、いつも誰かがそこに待っている気がします。それを完成させるために、ひたすらに労働を重ねるという感覚があるのです」

『夏物語』の執筆期間中、氏を待っていたのはこの小説に登場する人物たちだった。

「この数ヶ月のあいだ、わたしは『夏物語』の登場人物たちの喜びや悲しみや苦しみ、そして笑顔や生きてきたみんなのさまざまを聞く、耳や目そのものにでもなったようでした」

小説家というのは自らの想像力によって登場人物を創造するわけだが、それは必ずしも同時に自身の分身を作ることを意味しない。むしろ自分を超えた他者を生み出すことが、川上氏の執筆という営みなのだ。
作家 川上未映子

選べない言葉と選べない身体

川上氏が小説を書き始めたのは、詩を書いていた頃に担当の編集者から「小説も書いてみないか」と勧められたのがきっかけだ。「自分が小説を書けるとは思っていなかったですね」と氏は振り返るが、2作目の小説『乳と卵』で見事に芥川賞を受賞している。

この短編の特徴として挙げられるのは、先述の緑子が記す一文のように、大阪弁が軽妙に用いられた独特の文体だ。

「大阪弁で喋れる人が皆大阪弁で文章を書けるわけではないし、標準語で喋る人が皆リズムよく標準語の文章を書けるわけでもない。本当の身体と文章の身体というのが、どういう関係にあるのかというのを考えたのです」

そこには、詩を書いていた経験が活きていると同時に、別の問題意識も込められている。私たちは生まれてくる場所を選べないように、自らの言語を選ぶこともできない。どの国に生まれてくるかによって、何語を話すかがあらかじめ決まっているからだ。さらに、どの地方に生まれるのか次第で、方言も決まってしまう。そして、それは例えば豊胸手術に固執する『乳と卵』の巻子のように、自らがどのような身体で生まれてくるかを自分では選べないということと相似している。

「『乳と卵』では、選べない身体というテーマと合致していたので、選べない言葉としての方言を使う必要がありました」

『乳と卵』が生まれ変わった『夏物語』

新刊の『夏物語』は、『乳と卵』の続編と呼ぶべき内容だ。三人が再び登場するだけでなく、実は物語の前半部が『乳と卵』のリライトとなっている。しかし、単に加筆修正したというわけではない。

『乳と卵』の読者にとって喜ばしいことに、主人公である夏子の内面描写や、彼女が抱える問題が新刊では濃密に語られている。『乳と卵』で語り手だった夏子の想いというのは実はほとんど明らかにされていなかったのだと、『夏物語』を読むことで気付かされる。そんな仕掛けになっているのだ。

両作で描かれているのは生殖倫理の問題である。

「私たちにとって取り返しのつかないものの筆頭は死です。ということは、生まれてくることも取り返しのつかないことなのです。それを取り上げたいと考えたときに思いついたのが、生殖倫理でした」

「生まれてきた命に対して、私たちは最大のリスペクトを払うべきで、すべての命は生きるに値するのですが」と前置きしたうえで、氏は重大な問いを投げかける。

「では、生まれてくるに値する命というのはあるのか。それがあるのだとしたら、どう定義すればいいのか」

夏子の姪である緑子は、母親の巻子に対して、なぜ自分を産んだのか、生まれてきたくなかったという感情を抱いている。彼女は「子供の立場からの反出生主義者」だ。

「生きてきたもの生まれてきたものが死ぬのは辛いが、生まれてこなかったら最初から悲しいとか嬉しいとかもないのではないか。そういった緑子の直感的な実感と今回の生殖倫理というテーマは、ずっと結びついていたのです」

『夏物語』で新たに書き記されているトピックのひとつは、精子提供による出産だ。それもまた、生むこと/生まれることがテーマとなっている。同時に、生殖倫理は女性の身体と深い関わりあいのある問題なのだ。

「女性の身体を書くことになるので、『乳と卵』の登場人物たちをもう一度召喚して、彼女たちが生きてきた背景を書き尽くすこと、そして様々な人の声を書き込むことによって、物語がどうなっていくのか見届けたいと思いました」
作家 川上未映子

花が見せつけるもの

「子供の頃から、人の生き死にや善悪など、倫理全般にすごく関心が高いのです」と川上氏は述べる。

「今、子育ての最中で、様々な子供に触れるのですが、そうした中で自分の子供時代を振り返ったり、当時抱いていた違和感を思い出すことが原動力となって、書くことにつながっている気がします」

そんな氏にとって、インスピレーション源になるもうひとつの存在が花なのだという。

「以前、受賞記念にいただいた花が一斉にすべて枯れてしまったことがありました。花は、短い期間で私たちに時間の経過や変化をすごく直接的に見せる。人間にはない時間のスパンを持っているのです」

花を愛でるというのは、育てるということだけでなく、ときにはその命を奪うことも意味する。しかも、食べ物にするために動物の生命を奪うことと違い、人間にとって絶対に必要な行為ではない。

「花と人間の関係は、すごく微妙な密約のような気がします」
作家 川上未映子
花と関わることには後ろめたさがある。何度も枯れていく様を見せつけられる。それでも私たちは飽きることなく花を愛で続ける。

「誰かが死んだときに、花とともに送り出してあげたい。誰かが生まれてきたときに、花とともに迎えてあげたい。“花性”というのは何なのでしょうね」
花束
花は生と死という最も倫理的な出来事に密接に関わっている。川上作品の多くで倫理的な問いかけが提示されているのは、花を愛する氏の経験が作品として見事に昇華されているからなのだ。

『夏物語』
定価 : 本体1,800円+税
発売日 : 2019年7月11日
https://books.bunshun.jp/sp/natsumonogatari

撮影協力 : OEUVRE
品川区上大崎3-10-8
Tel. 03-6721-6779
https://www.oeuvre-tokyo.com
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