JOURNEY

「日本のお茶」から「世界の日本茶」へ──
日本茶専門カフェ「INARI TEA」の挑戦

2019.01.28 MON
JOURNEY

「日本のお茶」から「世界の日本茶」へ──
日本茶専門カフェ「INARI TEA」の挑戦

2019.01.28 MON
「日本のお茶」から「世界の日本茶」へ──日本茶専門カフェ「INARI TEA」の挑戦
「日本のお茶」から「世界の日本茶」へ──日本茶専門カフェ「INARI TEA」の挑戦

2018年8月、東京・恵比寿に日本茶専門のカフェ「INARI TEA」が開店した。席はカウンターのみで、5人も入れば満席になる。しかしこの店は日本茶を「世界の日本茶」にするという志を持った男たちの「大きな夢」の第一歩だ。

(読了時間:約9分)

Text & Photographs by Yasuhito Shibuya, INARI TEA

急須で淹れるおいしい日本茶

JR恵比寿駅東口を出て山手線内側方向、都道305号を渡ってすぐの小路にその店「INARI TEA(イナリ・ティー)」はある。

カウンターに座り、メニューにあるお茶のリストから「これを」とお願いすると、店主の重松弘毅(しげまつ・こうき)氏が自らの手で、そのお茶に合わせた正しい手順であなたのための一杯をていねいに淹れてくれる。
店に立つ「INARI TEA」の重松弘毅氏。ショービジネスのプロデューサーとしての顔も持つ
店に立つ「INARI TEA」の重松弘毅氏。ショービジネスのプロデューサーとしての顔も持つ
茶葉から丁寧に淹れたばかりの温かい日本茶は、ペットボトル入りの緑茶とは色も香りも味もまったく違う。深みのある緑の色は美しく、ほのかに爽やかな香りを放ち、口に含むと日本茶独特の、まろやかな甘味や旨味やコクが広がる。しかも品種や生産地や栽培方法で、また淹れ方を変えるだけでもその味はドラマティックに変わる。

商社マンを出発点とした異色のキャリア

東京・国立市に生まれ、思春期を海外で過ごした重松氏は、そもそもは日本茶とは無縁の生い立ちだ。日本茶に興味を持ったのは、大学時代に同級生のお母さんから茶道を習ったことがきっかけ。大学を出てから資源担当の商社マンとして5年間働いた後、「夢だった映画の仕事に挑戦したい」と映画会社のバイヤーに転身する。しかしこちらでも「できることはやり尽くした」と感じて独立する。

「これまで私は、海外から何かを日本に持って来る仕事をしてきました。その中で、この『一方通行』は自分らしくない。海外の人々の生活に彩りを与える何かを日本から持って行く、発信する仕事がしたい、と考えていました。では何を持って行きたいか。考えた末にたどり着いたのが日本茶だったのです」

映画の配給会社時代に親交を得た著名な映画監督たちの、日本の食や文化に対する敬意や愛情に触れるうち、日本茶の価値や魅力を再認識したと重松氏は語る。

「日本茶は日本を代表する飲み物であり誇れる文化。流行に左右されない、独自の長い歴史と伝統があります。コーヒーや紅茶や中国茶とも違う、日本茶独特の香りや味を世界の人に知ってほしい。もっと世界に広めたい。そのために『INARI TEA』を、コーヒーや紅茶における世界の著名ブランドのような存在に育て、日本茶の魅力と文化を世界に発信したいのです」
提供されるお茶はほうじ茶から、煎茶、抹茶、冷抹茶、玉露まで多彩
提供されるお茶はほうじ茶から、煎茶、抹茶、冷抹茶、玉露まで多彩
お茶とともに、「INARI TEA」のオリジナルサブレも供される
お茶とともに、「INARI TEA」のオリジナルサブレも供される
重松氏は当初、アメリカでの起業を考えていた。アメリカではすでに富裕層を中心に、抹茶を中心にした日本茶のブームが起きている。またシリコンバレーではペットボトル入りの緑茶飲料は無糖の健康飲料としてすっかり定着している。日本食ブームも追い風となり、農林水産省が毎年発表している「お茶をめぐる情勢」(平成29年度版)によれば、日本からアメリカ向けの緑茶(リーフ茶)の輸出も劇的に増加。この10年間で約4倍になっている。

だが自分はまだ日本茶をより深く理解し、経験と知識を蓄積する必要があると重松氏は語る。そこで、まず足元の日本で日本茶専門のカフェを開店。その魅力や価値を発信しながら、茶匠やレストランのシェフなど、日本茶に対して同じ愛情や志を持つアドバイザーやパートナーたちとともに、日本国内や海外での発信の方法、つまり喜ばれる日本茶の飲み方やバリエーションを徹底的に研究し、次の海外展開の準備を行うことにしたのだ。

同じく恵比寿にあるイタリアンレストラン「Nomad」の宮崎勝仁オーナーシェフは、そんなパートナーのひとり。「これまで日本茶には興味がなかったのですが、INARI TEAで初めてその本当の魅力を知って驚きましたし、感動しました。自分の店でイタリアンのメニューにもぜひ日本茶を活かしたいと考えています」

福岡・朝倉から日本茶の魅力を発信

この日本茶専門喫茶店「INARI TEA」が頼りにする最強のパートナーが、日本茶鑑定士で日本茶インストラクター、茶匠の山科康也(やましな・やすなり)氏だ。
「八女茶・九州緑茶専門製茶問屋 山科茶舗本店」の店内奥の低温室に並べられたオリジナルの日本茶と山科氏
「八女茶・九州緑茶専門製茶問屋 山科茶舗本店」の店内奥の低温室に並べられたオリジナルの日本茶と山科氏
INARI TEAで出す緑茶のすべてをセレクト・提供している山科氏は、福岡県の朝倉市で「八女茶・九州緑茶専門製茶問屋 山科茶舗本店」を経営する日本茶のプロフェッショナル。製茶問屋の三代目として研究を重ね、独自のアプローチで日本茶の魅力を発信し続けてきた。

山科氏は毎年、九州内の茶農家を訪ね歩いて、年ごとに良い出来の品種は何か、産地ではどこが良いか、どの生産者のお茶がおいしいのかを綿密に調査してきた。そして「これは!」と思った茶葉を買い付け、自社工場で製茶。産地の特徴を活かした日本茶、経験とノウハウでブレンドした日本茶を作り販売してきた。

“卑弥呼の里”として知られる福岡県朝倉市にある山科茶舗本店には、週末になると九州地区はもちろん、全国からも日本茶好きの人々が日本茶を購入しに訪れる。また山科茶舗の日本茶はオンラインショップ、また今グルメの間で評判のお米を中心にした人気のライフスタイルショップでも販売され、根強いファンを獲得している。
「山科茶舗本店」は国道322号線沿い、二日町交差点の近くにある
「山科茶舗本店」は国道322号線沿い、二日町交差点の近くにある
「今、茶農家にとって最も大切な顧客は私たちのような茶問屋ではなく、ペットボトルの茶飲料を作る飲料メーカーになりつつあります。また、急須のない家も増えています。急須のないお宅のお子さんはもちろんお年寄りにとっても日本茶は急須で淹れるものではなく『ペットボトルで飲むもの』になって来ているのです」

「茶をめぐる情勢」でもこの状況は指摘されている。お茶に対する一世帯当たりの年間支出額はこの20年間、1万500円前後でほぼ変わらない。だが2007年(平成19年)を境に、緑茶(リーフ茶)と茶飲料(ペットボトルや缶入りの緑茶など)の支出額が逆転しているのだ。
「山科茶舗本店」はオリジナルの日本茶に加えて茶器なども扱う。右奥には日本茶を味わうコーナーもある
「山科茶舗本店」はオリジナルの日本茶に加えて茶器なども扱う。右奥には日本茶を味わうコーナーもある
「私は日本茶の特徴であり魅力は、紅茶や中国茶やコーヒーともまったく異なる、独特のコクと旨味にあると考えています。そして日本茶には現在60種を超える登録品種があり、それぞれに個性的で魅力ある香りや味があります。しかしこうした事情から、日本茶の豊かな個性や本当の味、魅力を知る人はさらに減っていくのではないかと危惧しています。ペットボトル用の日本茶を効率良く生産するために、九州でも茶の大産地ほど茶園の大規模化、製茶機械の大型化が急速に進んでいます」

現在、日本で栽培されている品種の実に75%が「やぶきた」種だ。どんな風土にも根付き生育が早く収穫期も早く収量も多いのが特徴で、煎茶としての品質も優れていたため、昭和30年代から一気に日本中に広まった。しかし、やぶきた品種に偏った日本茶の製造が、味の画一化を産み、日本茶の広がりを阻害しているのではないかという指摘もある。

「この反省から今、各地でさまざまな品種の栽培に力を入れる茶農家が増えています。特に九州では、すでに多くの品種が栽培されています。私たち茶業者が、こうした品種を消費者の皆様にもっとご提案して、お茶の個性や多様な味わいを知っていただく努力をしなければと日々感じています」

多彩な品種それぞれに魅力的な個性がある。そのことを消費者に知ってもらうこと。それが「急須で淹れて楽しむ」という、日本茶本来の飲み方を、消費者に再度始めてもらうためにまず必要なことだと思うと、山科氏は静かに語る。

「ペットボトルの緑茶飲料の登場で、日本茶の新しい飲み方、楽しみ方が生まれたのは素晴らしいことです。ただ『日本茶=ペットボトルで飲むもの』になってしまうと、また生産される茶葉が画一化されてしまうと、日本茶の持つ長い伝統や奥深い魅力は忘れられ、その文化の多くは失われてしまうかもしれません。日本茶の未来のために、ペットボトルでは味わえない『日本茶のおいしさ』をもっと多くの人に知っていただき、消費者に届く販路を作って、おいしい日本茶を生産する農家を応援しなければ。私はそう考えています」

重松氏と山科氏が出会ったのは、店舗をオープンするわずか数ヵ月前。鹿児島県で開催された、お茶のプロフェッショナルだけが参加できる日本茶の買い付け市場でのこと。買い付けに来ていた山科氏はオブザーバーとして来ていた重松氏と話し合い意気投合。重松氏は山科氏のアドバイスと協力を得て、INARI TEAの開店を決意したのだ。
重松弘毅氏。「INARI TEA」の店頭にて
重松弘毅氏。「INARI TEA」の店頭にて

「日本のお茶」から「世界の日本茶」へ

茶葉を蒸して酵素の働きを抑えて発酵を止め、緑の色や栄養素を維持し、揉んで仕上げる日本茶は、発酵茶である紅茶にも中国茶にもない、不発酵茶ゆえの独特の味わい、茶道に象徴される偉大な伝統や文化を持っている。また栄養価の面でも優れ、日本茶に含まれるカテキンやカフェイン、テアニン、フッ素やミネラル、サポニンなど優れた栄養素の効用は、今や世界でも知られている。

1999年に社団法人日本茶業中央会により日本茶インストラクター協会が設立され、日本茶インストラクターや日本茶アドバイザーの資格が誕生するなど、さまざまな団体がさまざまな形で日本茶の魅力を発信しようと努力を続けている。しかし日本独自のものなのに、これまでありふれたものであったことが災いしているのか、「シングルオリジン」や「ファーストフラッシュ」など、マニアックな用語までメディアに登場しているコーヒーや紅茶と比べると、残念ながら同様のレベルまで知識があり、その魅力を認知している人は少ない。

ペットボトル入りの日本茶が誕生したのは1990年。その結果、日本茶は「家で飲むもの」から「いつでもどこでも飲めるもの」になり、日本茶に新しい世界が生まれた。だが日本茶にはペットボトルの緑茶飲料では味わえない、奥深い世界がある。この日本茶の伝統や奥深い魅力をもっと多くの人に、特に若い世代に認知してもらうためには、これまでにない発想と工夫が必要だろう。
「INARI TEA」が供するオリジナルの抹茶カクテル
こちらはマカロン
重松氏と恵比寿のイタリアンレストラン「Nomad」の宮崎勝仁オーナーシェフ
11
INARI TEAは、喫茶店として営業する一方で、この「日本茶の新しい世界」に挑戦している。超一流のバーテンダーやパティシエ、イタリア料理のシェフとパートナーシップを組み、日本茶を使ったカクテル、日本茶に合うスイーツなど、日本茶をさまざまな食の中に採り入れる研究を行っているのだ。

日本茶の新しいスタイルとして提供されているオリジナルのカクテル、スイーツ、イタリアンは、すでに日本人にも外国人のどちらにも、新鮮な驚きとともに喜ばれ楽しまれている。

これはわずか数名の男たちによる、日本茶の未来へのささやかな挑戦の一つ。しかもこの挑戦はまだ始まったばかり。だが、その可能性は計り知れない。


INARI TEA
東京都渋谷区恵比寿1-5-2
こうげつビル101
Tel. 03-6721-6420
営業時間:平日8:00〜24:00 土曜日12:00〜24:00
定休日:日曜日 祝日

この記事はいかがでしたか?

ご回答いただきありがとうございました。

RECOMMEND

LATEST