JOURNEY

マーク・ロスコを体験する──
DIC川村記念美術館

2018.11.12 MON
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マーク・ロスコを体験する──
DIC川村記念美術館

2018.11.12 MON
マーク・ロスコを体験する──DIC川村記念美術館
マーク・ロスコを体験する──DIC川村記念美術館

ノンフィクション作家であり、美術評論家でもある野地秩嘉氏が、車で訪れたい美術館を全国から厳選して紹介する新連載「車でしか行けない美術館」。第4回は、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館を訪ねた。

(読了時間:約6分)

Text by Tsuneyoshi Noji
Photographs by Masahiro Okamura,Kawamura Memorial DIC Museum of Art

車でしか行けない

千葉の佐倉にあるDIC川村記念美術館は地理的に「車でしか行けない」。公共交通機関の駅からは距離がある。片道20分かかる送迎バスはあるけれど、JR佐倉駅前の美術館行きバス停は屋根だけなので、雨が降り込んでくると濡れる。どうしたって、車で行くしかない。ただ、そこはどうしても一度は行っておきたい美術館だ。
DIC川村記念美術館まではLC500でのドライブを楽しんだ
DIC川村記念美術館まではLC500でのドライブを楽しんだ
東関東自動車道佐倉インターチェンジよりほど近い場所にある
東関東自動車道佐倉インターチェンジよりほど近い場所にある
まず美術館のある環境は抜群だ。3万坪の庭園には自然散策路と芝生の広場がある。5羽の白鳥が優雅に泳ぐ池もある。季節ごとに薄紫色の花をつけたカタクリ、ピンク色の桜、赤いつつじが咲き、睡蓮、山百合も見事だ。館内に入らないで、敷地を散策するだけでも心が平静になる。
美術館敷地内の豊かな自然も魅力
美術館敷地内の豊かな自然も魅力
美術館に一歩入ると、中世の教会に迷い込んだような錯覚に陥る。館内の照明は落としてあり、ステンドグラスからの光が空間を照らす。そして、エントランスホールにある天井装飾は布でできたシャンデリアのようだ。ホール床面の模様も美しい。建物の細部(ディテール)にさまざまな工夫がされている。
エントランスホールに歩を進めると、まるで中世の教会のような空間が広がる
エントランスホールに歩を進めると、まるで中世の教会のような空間が広がる
エントランスホールに歩を進めると、まるで中世の教会のような空間が広がる
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「美しいものを見せる」という目的に徹して、建物を設計したことが感じ取れるのである。トイレや展示室を指し示すサインだって、デザインと色彩に非常な美意識がある。公共建築物のサインに使われる色はたとえば男子用トイレなら真っ青、女子用なら真っ赤というのが通例だ。いずれも目立てばいいという、だけの強烈な色だ。ところが、同美術館のサインの色はいずれもマット(つや消し)な色彩で、目にやさしいし、館のインテリアとも調和している。
グラフィックデザイナーの色部義昭氏が手がけた館内のサイン
グラフィックデザイナーの色部義昭氏が手がけた館内のサイン

肖像画の部屋

生真面目で繊細に見える学芸員の岡本想太郎氏は館のプロフィールを次のように教えてくれた。

「17世紀のレンブラントの肖像画、モネやルノワールなどの印象派絵画に始まり、ピカソ、シャガールなどの巨匠を含む20世紀前半のヨーロッパ近代美術、そして戦後のアメリカ美術や日本の現代美術に至るコレクションがあります。数がものすごく多いわけではないのですが、一点一点、とても貴重なものばかりです」

同館の目玉作品、レンブラントの「広つば帽を被った男」は(その絵のために設けられた)独立した一角に飾ってある。

肖像画を見る時、わたしは描かれた人物の耳に注目する。耳はもっとも描くのが難しいからだ。
DIC川村記念美術館の目玉作品、レンブラントの「広つば帽を被った男」
DIC川村記念美術館の目玉作品、レンブラントの「広つば帽を被った男」
そもそも、わたしたちは他人の目、鼻、口の形は覚えていても、耳の形を覚えていることはない。耳をちゃんと見たことがないから、記憶に残っていない。

整形外科医に聞いても、人の耳を修復するのは非常に難しいという。なぜなら、耳が写っている写真を持っている人はほぼ皆無だからだ。

つまり、人の記憶に残っていない耳の形や質感を上手に描けるかどうかは画家の力量を判断する際のひとつの目安となりうる。

そこで、つねに肖像画を見る時は耳をチェックするようにしている。

レンブラントという画家は細部を描くのが上手だ。だから、彼が描いた肖像画は人物が生き生きとして見える。

さて、ここまで書いておいて、「なーんだ」と言われるかもしれないけれど、「広つば帽を被った男」には耳は描かれていない。人物は長髪で、しかも、帽子で髪の毛が上から押さえられているから、耳は描かれていない。しかし、耳の代わりに注目するべき細部の描写がある。それが「ひだ襟」と肩から垂れているネクタイのような布である。

近くに寄ってみると、ひだ襟は白い絵の具で描かれたものだとわかる。だが、少し離れて眺めると、ひだ襟はレースの布そのものだ。風が吹くと揺れてしまいそうな質感に描かれている。ネクタイのような布の場合は光沢が本物と同様。細部を描くことができるというのは細部をよく見ている証拠だ。レンブラントという画家のものを見る目は一流のジャーナリストの目と同じだと思う。
自然豊かな環境に建てられた美術館ゆえ、窓の景色も絵画のよう
自然豊かな環境に建てられた美術館ゆえ、窓の景色も絵画のよう

絵を見るための部屋ではない

レンブラントの肖像画と、もうひとつ、同館でわたしが必ず「体験する」のはマーク・ロスコの部屋だ。

学芸員の岡本さんはまず、この作品と部屋について、次のように解説してくれた。

「ここにある作品はすべて『シーグラム壁画』と呼ばれるシリーズのなかのものです。もともとはニューヨーク、シーグラム・ビルのレストラン『フォーシーズンズ』のために、ロスコが作品制作の依頼を受けたものでした。最高級の料理と優れた現代アートをともに提供するというコンセプトのもと、ロスコは選ばれて一年の間、集中的に制作に取り組み、30点の絵画を描きました」
マーク・ロスコの部屋 © DIC川村記念美術館
マーク・ロスコの部屋 © DIC川村記念美術館
しかし、絵は結局、レストランの壁画とはならなかった。ロスコは店の雰囲気と自分の作品は合わないと感じたため、契約を破棄してしまった。その後、シーグラム壁画30点のうち9点はロンドンの「テート・ギャラリー(現テート・モダン)」に納められ、7点は「DIC川村記念美術館」に来た。残り作品は、アメリカ、ワシントンのナショナル・ギャラリーやロスコ財団のコレクションとなっている。

さて、DIC川村美術館のなかにあるロスコの部屋は作品に合わせた変形7角形で、真ん中にソファが置かれている。壁面にある絵はいずれも赤、黒、明るいオレンジなどの色だけの画面だ。照明は落としてある。礼拝堂のなかにいるように、静まり返った空間で、観る者は絵と対面する。

わたしが「体験する」と書いたのは、この絵は見るものではないと思うからだ。わたしたちは空間のなかで、7枚の絵が伝えてくる気配に包まれる。それだけだ。絵に包まれるという体験をする部屋だ。そのうちに自然と頭と心が解放され、気が付いたら時間が過ぎている。

ロスコの部屋における体験とは、心が空っぽになることだ。そこでは何も考えることなく、時間を過ごしてしまう。部屋にいるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまう。

心が空っぽになった後は……

同美術館は他にも貴重な絵がたくさんある。時間の許す限り、館内で楽しめばいい。帰りには庭園を散策するのもいいし、池のほとりにたたずんで、白鳥をただただ見つめるのもいい。これもまた心が空っぽになるかもしれない。

その後は、京成佐倉駅へ向かい、そばの「房州屋本店」に入る。外観も店内もそこには昭和の雰囲気が色濃く残っている。忙しそうに働いているのは家族。ファミリービジネスのそば屋だ。
DIC川村記念美術館より車で25分ほどの距離にある「房州屋本店」
DIC川村記念美術館より車で25分ほどの距離にある「房州屋本店」
創業100年を誇る老舗による絶品のざるそば
創業100年を誇る老舗による絶品のざるそば
注文したのはカツ丼とそば。心を空っぽにした後は胃袋にガツンとした刺激を与えなくてはいけない。それで、カツ丼を頼み、デザート代わりにそばも頼んだ。

「ふたつ一緒は無理」という人のためにはセットもある。

カツ丼についた味噌汁の具はじゃがいもだった。普通のそば屋なら味噌汁の具はわかめ、もしくは火の入り過ぎた豆腐といったところだろう。じゃがいもを具にした味噌汁を作るということは、大げさに言えば、ディテールまでおろそかにしないという意志の表れだ。

DIC川村記念美術館
千葉県佐倉市坂戸631番地
Tel. 050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日に休館、年末年始、展示替期間の臨時休館)
http://kawamura-museum.dic.co.jp/

房州屋本店
千葉県佐倉市新町233
Tel. 043-484-0402
営業時間:11:00〜15:00
定休日:月曜日

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ご回答いただきありがとうございました。

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