18世紀建設のマナーハウスが舞台
イギリス全土を包み込んだ記録的猛暑がようやく影を潜め、秋の気配が日に日に増してきた2018年9月半ば。大学都市として世界に知られるケンブリッジの郊外で日本人による日本酒の酒醸造所がオープンした。イギリスにおいて初の酒造となった、その施設の名は「堂島酒醸造所フォーダムアビー」。18世紀のジョージ王朝時代に起源をさかのぼる重要記念建築物のマナーハウスと年季の入った赤レンガの塀に囲まれた30万平方メートルの広大な土地に建つ。
海外において外国人である日本人があえて正真正銘の日本酒製造にゼロから挑戦する。日本酒づくりに欠かせない水の質、気候などの自然条件、材料調達、ビジネス慣行、労働習慣、言語などすべてがアウェーとなりかねない、この一大プロジェクトを率いるのが、大阪市にあるビール醸造会社、堂島麦酒醸造所の橋本清美さんだ。かつて10年以上に渡ってミャンマーの国営ビール工場の事業サポートをするため、子ども6人を連れて移住、海外生活を送っていた橋本さん。その頃の経験から長年心に秘めていた特別な思いがあった。
海外において外国人である日本人があえて正真正銘の日本酒製造にゼロから挑戦する。日本酒づくりに欠かせない水の質、気候などの自然条件、材料調達、ビジネス慣行、労働習慣、言語などすべてがアウェーとなりかねない、この一大プロジェクトを率いるのが、大阪市にあるビール醸造会社、堂島麦酒醸造所の橋本清美さんだ。かつて10年以上に渡ってミャンマーの国営ビール工場の事業サポートをするため、子ども6人を連れて移住、海外生活を送っていた橋本さん。その頃の経験から長年心に秘めていた特別な思いがあった。
「長く日本を離れて海外にいると、冷静な目で日本の良さを見ることができるようになります。特に日本のものの考え方だとか、和をもって尊しとするとか。私自身、13年間ミャンマーにいて、現地で“日本という国を代表する”という意識をもって活動をしてきたことで、表面的な薄っぺらいものではなく、本物の日本文化を紹介したいという気持ちが強くなってきました」と橋本さん。
公的資金や投資家の支援を受けるのではなく、すべては自己資金が基本のプロジェクト。持ち出しが当然多くなるため、まず最初に行ったのが子どもたちを含めた“家族会議”だったという。
「一番下の子どもがやっと高校を卒業したので、これからの人生はゆっくりと楽しみたいなという思いはありました。でも私自身こんな大きなプロジェクトは多分最後になると思うし、日本人として何か残すものがあればという気持ちが強かったのです。ただ、これを実行に移すとなったら、とにかく全部投資しないといけない。子どもたちにも話をしたら『ぜひやってください。僕たちに何も残してくれなくっていい』といってくれました。彼らも海外に住んでいる期間が長いので、逆に愛国心が強かったり、日本のことがちゃんと海外に伝わってなくて悲しい思いをしたりっていう経験があっての全面的な賛同だったんだと思います」
公的資金や投資家の支援を受けるのではなく、すべては自己資金が基本のプロジェクト。持ち出しが当然多くなるため、まず最初に行ったのが子どもたちを含めた“家族会議”だったという。
「一番下の子どもがやっと高校を卒業したので、これからの人生はゆっくりと楽しみたいなという思いはありました。でも私自身こんな大きなプロジェクトは多分最後になると思うし、日本人として何か残すものがあればという気持ちが強かったのです。ただ、これを実行に移すとなったら、とにかく全部投資しないといけない。子どもたちにも話をしたら『ぜひやってください。僕たちに何も残してくれなくっていい』といってくれました。彼らも海外に住んでいる期間が長いので、逆に愛国心が強かったり、日本のことがちゃんと海外に伝わってなくて悲しい思いをしたりっていう経験があっての全面的な賛同だったんだと思います」
「ここしかない!」と直感
在日英国領事館などのサポートも受け、ミャンマーからイギリスにベースを移したのが2013年。以後、酒造建設の土地を求めてイギリス全土を周るリサーチの日々が始まった。「完全に想定外だった」というケンブリッジ郊外の土地を購入したのは、渡英からすでに2年が経過した2015年のことだった。
「ここに足を踏み入れた途端に、ビビっときたっていうか、もうここしかないなと直感しました。本当に地面のエネルギーを感じたというか、日本を発信していくならこの場所を置いてほかにないなと」
しかしその直感が正しかったことが直後に判明する。
「酒蔵を造るときに地質調査をしました。2週間にわたって敷地内の各所を入念に調べたのですが、そのときここにある井戸水が氷河期の地層からくる、ものすごくピュアな水だということが判明したのです。日本では天然記念物に指定されている“ハリウオ”という魚が泳いでいるほど綺麗な水質だったのです」と橋本さん。「その昔、蔵というのはまずお水のきれいな場所があって、その隣に酒米を作る畑を設けるというのが原則でした。これは動かすことのできないことだったんです。外国であるイギリスに来て、これ以上多分きれいな水はないっていうぐらいのお水がこの土地を流れてるという事実が酒造を建てる直前に判明したとき、これはもう完全に自分たちの運命だなと思いました」
「ここに足を踏み入れた途端に、ビビっときたっていうか、もうここしかないなと直感しました。本当に地面のエネルギーを感じたというか、日本を発信していくならこの場所を置いてほかにないなと」
しかしその直感が正しかったことが直後に判明する。
「酒蔵を造るときに地質調査をしました。2週間にわたって敷地内の各所を入念に調べたのですが、そのときここにある井戸水が氷河期の地層からくる、ものすごくピュアな水だということが判明したのです。日本では天然記念物に指定されている“ハリウオ”という魚が泳いでいるほど綺麗な水質だったのです」と橋本さん。「その昔、蔵というのはまずお水のきれいな場所があって、その隣に酒米を作る畑を設けるというのが原則でした。これは動かすことのできないことだったんです。外国であるイギリスに来て、これ以上多分きれいな水はないっていうぐらいのお水がこの土地を流れてるという事実が酒造を建てる直前に判明したとき、これはもう完全に自分たちの運命だなと思いました」
優良な生産者を守る
橋本さんを筆頭とする堂島酒醸造所チームの地道かつ入念な事業計画と周知活動が功を奏し、歴史的重要建築に指定される建物が建つ土地でのプロジェクトながら、周辺住民および自治体の全面的なサポートを得ることに成功した。醸造所建設に公的なゴーサインが出ると今度は、日本から調達する設備と、イギリスで代替として調達する設備を融合しながら酒製造工程の本格的なファインチューニングが行われた。そして迎えた第1回目の試験醸造。
「びっくりするぐらいおいしいお酒ができたのです。『フォーダムの初夏らしい本当に素晴らしい味だ。これだったらどこへ出しても大丈夫』というお墨付きも周囲からいただきました。レビューをいただきに各所を回ったときも、とても良い評価をいただいて、杜氏たちもこれをきっかけに自信をつけていったのです」
「びっくりするぐらいおいしいお酒ができたのです。『フォーダムの初夏らしい本当に素晴らしい味だ。これだったらどこへ出しても大丈夫』というお墨付きも周囲からいただきました。レビューをいただきに各所を回ったときも、とても良い評価をいただいて、杜氏たちもこれをきっかけに自信をつけていったのです」
コスト、時間など幾多の困難を乗り越えながらも前進を続けてきた堂島酒醸造所プロジェクト。その目指すところは、海外における酒製造のレベルアップにあるという。
「今、日本以外の所で造る酒は日本酒とは呼べなくて“SAKE”なんですね。あちこちにそのSAKEを作るところはあるんですが統括してる所がなくて、情報交換もできていないのが現状です」と橋本さん。「そこで私たちは“世界醸造協会”を立ち上げて、品質を保証する認証マーク制度を作ろうとしています。今でもまがいもののお酒がまだ普通に出回っているなか、真面目に酒造りに臨んでいる方々が損をしないようにというのがその意図です。私たちが売り出すお酒には認証マークがついていますが、例えばうちの蔵で研修された方にこのマークを差し上げる。このマークが一定の評価基準として流通すれば、変なお酒を飲んだ消費者は、やっぱりこのマーク付いてないねっていうことで良し悪しが分かりやすい。美味しいお酒を作っていく“開発”はひとつの大きなミッションですが、優良な生産者を“守る”役目も同時に果たしていかなくてはいけないと感じています」
「今、日本以外の所で造る酒は日本酒とは呼べなくて“SAKE”なんですね。あちこちにそのSAKEを作るところはあるんですが統括してる所がなくて、情報交換もできていないのが現状です」と橋本さん。「そこで私たちは“世界醸造協会”を立ち上げて、品質を保証する認証マーク制度を作ろうとしています。今でもまがいもののお酒がまだ普通に出回っているなか、真面目に酒造りに臨んでいる方々が損をしないようにというのがその意図です。私たちが売り出すお酒には認証マークがついていますが、例えばうちの蔵で研修された方にこのマークを差し上げる。このマークが一定の評価基準として流通すれば、変なお酒を飲んだ消費者は、やっぱりこのマーク付いてないねっていうことで良し悪しが分かりやすい。美味しいお酒を作っていく“開発”はひとつの大きなミッションですが、優良な生産者を“守る”役目も同時に果たしていかなくてはいけないと感じています」
日本の発酵調味料を次世代に残すために─
「小豆島 木桶職人復活プロジェクト」が見据える未来