職人たちの働く姿にフォトグラファーの血が騒ぐ
モロッコの街ではメディナ(旧市街)を歩くのが面白い。メディナの中にあるスーク(市のあるエリア)に行けば食料から衣類、生活用品、などなどなんでも買うことができるし、あらゆる作業を垣間見ることのできる職人街もある。
職人街は通りで区分されている場合もあるが、モロッコでは、かつてラクダを連れた隊商が宿泊していた宿
「フンドゥク」が、職人たちの工房として使われていることが多い。ゲートを入ると中央に中庭のような空間を持つコの字型で、天井の高い2階建(稀に3階建のこともある)の建築物。一階部分には奥行きのある細長い部屋がたくさんあり、ラクダたちを休めるためのスペースとして使われていたそうだ。その部屋が今は職人たちの工房に生まれ変わり、彼等の働く場になっている。さまざまな種類の仕事の工房が一つの建物にあるので、中はとても賑やかで、そこはまさに男の仕事場、独特の雰囲気を醸し出している。
「フンドゥク」が、職人たちの工房として使われていることが多い。ゲートを入ると中央に中庭のような空間を持つコの字型で、天井の高い2階建(稀に3階建のこともある)の建築物。一階部分には奥行きのある細長い部屋がたくさんあり、ラクダたちを休めるためのスペースとして使われていたそうだ。その部屋が今は職人たちの工房に生まれ変わり、彼等の働く場になっている。さまざまな種類の仕事の工房が一つの建物にあるので、中はとても賑やかで、そこはまさに男の仕事場、独特の雰囲気を醸し出している。
工房の様子を見るのは楽しい。一歩その建物に足を踏み入れると、金物屋、鍛冶屋、仕立て屋、家具屋、皮革加工屋などなど、さまざまな作業をする職人たちが機敏に働いている。カンカンカン、シューシュー、ブゥーン……それぞれの工房で聞こえてくる音が違い、その周辺を取り囲むムードも違う。
こういう場所に来るとフォトグラファーの血が騒ぐ。職人たちが正確に細かい作業をする手元や、仕事に向けた真剣な眼差し、働く姿そのものがあまりにも絵になるので、邪魔にならないようにと思いつつも、シャッターを切らずにはいられないのだ。写真を撮らせてもらうとき、彼らは大抵ちらっと微笑みを見せて「好きに撮ったらいいさ」という感じで了解のサインを出すと、すぐに作業する手元に眼差しを戻して真剣な表情に戻る。細く慎重な作業が要求される場合が多いことも、彼らの動きや視線を、より鋭く美しくしている。
職人技は間違いなく料理にも生きている
そんな職人たちの工房を見ていると、大抵その片隅に火口のついたガスボンベが置いてある。火の必要ない仕事をしている職人の工房にもそれがあるので、お茶でも沸かすためにあるのだろうと思っていたが、ある日の昼過ぎに工房を訪れると、それはそれは魅惑的なスパイスと香草の美味しい香りが漂っていた。香りを辿ると例の簡易的なコンロにタジン鍋が据えられ、クツクツと何かが煮込まれている。なるほど、彼等は自分たちの昼食を調理しながら仕事しているのである。
タジンはひとたび下ごしらえを済ませてしまえば手間のいらない料理だ。具材となる野菜の皮を丁寧に剥いて適当な大きさに切り(肉を入れる場合は、骨の付いた大きな切身をどかっと入れるのが美味しさの秘訣)、それを鍋の中にきれいに並べて(野菜によって火の入る時間差があるので順番、隙間を計算しながら並べるのが技)、塩とスパイスをふりかけて油を回して蓋をする。後はひたすら弱めの火にかけっ放しで2時間すれば出来上がりだ。
下準備が済んだらあとは鍋が調理してくれる非常に便利な料理なのだ。手先の器用な職人たちなので、まな板も使わずにサクサクと何種類もの野菜の皮を剥いて、仕事の合間、ほんの10分で下拵えを済ませてしまう。大抵の場合、工房は水道が近くになくて汲み置いた水を使わなくてはならないのだが、食後の洗い物が少ないので、工房での自炊タジンランチはどこまでも理にかなっている。そして何より暖かい作りたての料理を食べられるのは嬉しく、その後の仕事の活力に大いにつながるというもの。
下準備が済んだらあとは鍋が調理してくれる非常に便利な料理なのだ。手先の器用な職人たちなので、まな板も使わずにサクサクと何種類もの野菜の皮を剥いて、仕事の合間、ほんの10分で下拵えを済ませてしまう。大抵の場合、工房は水道が近くになくて汲み置いた水を使わなくてはならないのだが、食後の洗い物が少ないので、工房での自炊タジンランチはどこまでも理にかなっている。そして何より暖かい作りたての料理を食べられるのは嬉しく、その後の仕事の活力に大いにつながるというもの。
彼等のつくる現場飯、タジンにすっかり興味そそられ写真を撮らせてもらっていると、職人は「まぁ、そんなものが面白いのかね」、そんな顔をしてこちらを見ては、「君も一緒に食べるかい」と手振りで促し、狭い工房にもかかわらず、私の席を作ってくれた。
ホブスという丸い素朴なパンをちぎっては、美味しく仕上がったタジンの汁に浸して、野菜を鍋の縁でつぶすようにして食べる。この野菜と肉のシンプルな蒸し焼きが、どうしてこんなにも美味しいのだろう。力強い大地で育った野菜、のびのび放牧された肉の旨味のせいだけではない、職人たちは毎日毎日タジンを作っているから、熟練と安定の技があるのだ。使い込まれた素焼きのタジン鍋と、仕事の丁寧さも一際この料理を特別にする。彼の地で何度となくあらゆる場所でタジンを食べたが、彼等のつくるタジンに勝る味にはなかなか出合わなかった。職人技は間違いなく料理にも生きている。
VOL.6地中海の真ん中、シチリア島のその先へ──
野性的な自然の恵みあふれるパンテッレリア島