ART / DESIGN

1980年代から90年代にかけて手に入れた
エミリオ・プッチのネクタイ

2018.09.05 WED
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1980年代から90年代にかけて手に入れた
エミリオ・プッチのネクタイ

2018.09.05 WED
1980年代から90年代にかけて手に入れたエミリオ・プッチのネクタイ
1980年代から90年代にかけて手に入れたエミリオ・プッチのネクタイ

極彩色の幾何学模様を施したプリント柄で人気の、イタリアを代表するラグジュアリー・ブランド、エミリオ・プッチ。プッチ・マニアを自認する中村孝則氏は、同ブランドのネクタイのコレクターでもある。本記事では、そんな氏がエミリオ・プッチの魅力を綴る。

(読了時間:約4分)

Text by Takanori Nakamura
Photographs by Masahiro Okamura

私がエミリオ・プッチを好きな理由

告白すると、プッチ・マニアである。プッチとは、エミリオ・プッチ(EMILIO PUCCI)のこと。いわゆる“プッチ柄”と呼ばれる、とびきり鮮明な極彩色の幾何学模様を施したプリント柄で知られる、イタリアを代表するラグジュアリー・ブランドである。

プッチ柄のシルクプリントのブラウス、あるいはワンピースは、女性のファッション・アイコン的な存在であるのだが、ネクタイなどのメンズ・アイテムがあることは、あまり知られていない。

私は1980年代始め頃から、国内外のファッション雑誌を通じて、このブランドのファンであったが、当時はこのブランド自体を知る人も少なく、日本にブティックもなかったので、手に入れることも実物を見ることも難しかった。

初めて手に入れたのは、80年代中ごろの大学生時代のイタリア旅行だった。以降、イタリア旅行の際には、記念として買い足し、知人がイタリアに行くと聞けば、お願いして買ってきてもらった。

私のプッチのネクタイは、80年代から90年代の初頭に、そうやってイタリアで手に入れたものばかりである。サイケデリック風な色柄やデザインは、いかにも‘80年代風であり、こういった古い柄物はヴィンテージ・プッチと呼ばれたりもする。

そもそも私がこのブランドを好きな理由は、色柄の楽しさだけではなくて、デザイナーであるエミリオ・プッチその人なりの、生い立ちと人生のストーリーの面白さにあった。

プッチの本名は、エミリオ・プッチ・ディ・バルセント(Emilio Pucci di Barsento)という。1914年に、フィレンツエでもっとも有名な名門貴族の一員として生まれた。学生時代はスキーのナショナルチームの一員としてオリンピックにも参加した。その頃は、なんと自らデザインしたスキー・ウエアを着ていたという。

その後、ミラノ大学を卒業し、アメリカに渡り社会学を学んだ後に、フィレンツエの大学で政治学の博士号をとり、第二次世界大戦の時は空軍のパイロットとして活躍。その後は政治家に転身するなど、戦後のイタリアのジェット・セット・グラマーを具現化した男性でもあった。

1947年に、彼が学生時代にデザインしたスキー・ウエアが、『Harper's Bazaar USA』で紹介されると、一大センセーショナルを起こした。それがきっかけでスキー・ウエアのデザインを手がけ大成功を収めると、レディス・ウエアの販売も開始。彼は、プッチ家の宮殿にアトリエを構えて、ファブリック・メーカーと協力して、画期的なストレッチ素材を開発するなど、女性を活動的かつエレンガントにするためのさまざまな試みで、瞬く間に女性の心を掴む。

その後、マリリン・モンロー、エリザベス・テイラー、ジャクリーヌ・ケネディなどの米国のセレブレティにも顧客を増やし、世界的なブランドと成長するのである。
エミリオ・プッチのネクタイ

世俗の常識に縛られないある種の危うさこそが、エミリオ・プッチの真の価値

私は、常々このブランドに「貴族的」な匂いを感じていた。例えば、ラルティーグの写真とか、バルチュスの絵画と同じような意味合いで。

私が貴族的というのは、彼らの出自だけではない。確かに、ラグティーグもバルチュスもある種の貴族階級の人たちではあるが、むしろ彼らのクリエーションの奔放さに、貴族性を引き映すのである。例えばラルティーグにとって写真とは、子どもの頃からの「遊び」であった。それが70歳近くになって米国で、芸術として発掘されたのである。

プッチが学生時代にデザインしたスキー・ウエアも、単なる遊びであって、商業目的の微塵もなかったに違いない。それが後の米国の大衆社会に、貴族的に映ったのだろう。

「貴族」という言葉は、1980年代終盤の日本で、ポスト大衆社会の階層論の中のキーワードとして頻繁に使われた。佐伯啓思が1988年に出版した『擬装された文明』(TBSブリタニカ)では、大衆社会の次に来るものを考えるキーワードとして「貴族」に言及もしていたし、キャラクター商品で知られるサンリオは、1989年に新設したシンクタンクの名称を『貴族研究所』と名付けて話題になった。

もっとも近ごろ、「貴族」という言葉は焼き鳥チェーン店にも使われるほど大衆化して、その意味合いすら曖昧になりかけているが、今日、ラグジュアリーあるいはラグジュアリー・ブランドとは何かを考え直す上で、「貴族」という言葉が含む意味合いは、大きなヒントになるに違いないと私は思う。

さて、プッチに話を戻すが、1992年にエミリオ・プッチ本人が亡くなると、娘のラウドミア・プッチにその経営が引き継がれた。そして、2004年に日本に初めて上陸し、その年の11月に「エミリオ・プッチ銀座店」がオープンした。

そのオープニング式典に、この写真の中の一本を着て参加したところ、ラウドミア・プッチご本人から「あなた、私の知らない柄のネクタイをしているわ」と驚かれた。彼女にはお父様のファンであったことを丁寧に告げたのであった。

その後、プッチはさまざまなデザイナーと契約しているが、このヴィンテージ・プッチのようなビビッドな色柄は影を潜めているのが、個人的には少々物足りない。

それが、マーケティング的なさじ加減なのか、PL法に配慮した色落ち対策のためなのか、私には分からないが、ファンの一人として、今こそ貴族的な奔放さで楽しませてほしいと思う。世俗の常識に縛られないある種の危うさこそが、このブランドの真の価値であるのだから。

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ご回答いただきありがとうございました。

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