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「分からない」から始めるアート思考

2018.08.15 WED
「分からない」から始めるアート思考

昨今、アートについて語る記事をビジネス系のメディアで目にする機会が増えている。アートがビジネスパーソンからも注目される傾向が、AIの台頭と関係があると分析する筆者。それはなぜなのか?アートの本質から、現在のアートブームを読み解く。

(読了時間:約5分)

Text by Yuya Oyamada
Photograph by Paper Boat Creative / getty images

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アートがビジネスパーソンからも注目されている理由

最近、ビジネス系のメディアで「アート」について語る記事が増えた。教養としての美術史を学んだり、美術品の鑑賞法を解説する講座に通ったりと、アートに注目するビジネスパーソンが増えていることが背景にある。

私自身は芸術系の大学に通い、「もっと多くの人がアートに注目するようになってほしいなあ」と思っていたタイプなので、モネやピカソのような、すでに評価の定まった作家だけでなく、これまで「難解」のひと言で片付けられがちだった現代美術家にもスポットライトが当たっている現状は、単純にうれしい。

しかし、こうした他ジャンルのものをビジネスシーンに取り入れようとするブームが起こる際にはしばしばあることだが、それぞれの作品そのものよりも、アートを分かりやすく解説する書籍や講座ばかりが人気になるような方向にはいってほしくない。

というのも、コスパ良くアートについて理解するために、誰かの説明を聞いて分かったつもりになるような態度は、いわゆる「アート思考」とは、ちょっと違うんじゃないかと思っているからだ。

自分なりに今、アートがビジネスパーソンからも注目されている理由を考えると、それはAIのブームと関係がある。

数年前、「DeepMind」が世界に衝撃を与えて以来、機械の処理能力はどんどん向上し、異なる言語の翻訳も、複雑な計算も、簡単に答えが出せるようになった。将来的には、スマートスピーカーに話しかけるだけで、あらゆる疑問に対する答えが瞬時に得られるようになるかもしれない。

しかし、人間にはできて、AIにはできないことがある。それは「質問すること」だ。私たちはGoogleで検索すれば、どんなことでも答えが得られるかのように錯覚するが、検索ワード自体は、私たち自身が考え、打ち込まなければならない。つまり、機械が性能を飛躍的に向上させていく世の中で、人間に求められるのは、「機械に質問する能力」になっていくと考えられる。

この「質問する能力」を鍛えるために、確かにアートは有効だ。

デザイナーであり、「DOMMUNE」を主宰する宇川直宏は、「デザインは薬、アートは毒」と語ったことがある。社会の課題に対してスマートな解決策を提示するデザイナーは「医師」であるが、自らの中に説明不可能な衝動を抱えて表現活動を行うアーティストは「患者」であると喝破したのだ。

〈アートは受け手にカタルシスを与え、デザインは受け手に快楽を与える。アートは問い、でデザインは答え。アーティストは患者で、デザイナーは医師。アートは毒で、デザインは薬〉(※)

ならば、アーティストが生み出した作品は、その人の“症例報告”といえる。これを読み解くということは、容易なことではない。“薬”であるデザインに比べ、整理され、秩序づけられたものではないからだ。そこにはアーティストが抱えるむき出しの欲望が表現されている。

だから、アートに接するということは、アーティストから発せられた“問い”を受け取るということでもある。例えば、フランシス・ベーコンの絵画や、それに影響を受けたデビッド・リンチの映画に接するとき、私たちは「なんだこれは!」と衝撃を受けながら、こうした作品が生まれ、私たちにショックを与えることについて、思考をめぐらせていく。

それはアートとの対話を意味している。その作品が分からないから質問を投げかけ、その質問に対する答えを自分なりに考える。こうした自問自答の果てに、思考力というものは鍛えられていく。ビジネスにおいて「分からないもの」は悪いものとされるが、私たちは「分からないもの」に接することで思考が促される。

AIには置き換えられない人間の能力を鍛える方法

最近もてはやされる「アート思考」の本質とは、この「分からないもの」に対して、自分なりに粘り強く考え続ける行為を指しているのだと思う。

その意味で、「芸術作品は感性で鑑賞するものだから、直感的に判断した良し悪しの感覚を大切にすべき」という態度には異を唱えたい。簡単に分かろうとしてしまうことは、アートを自分が身につけた価値観の内側に収めようとする行為であり、思考力を拡張していく努力の対極にあるからだ。

それに直感的に受け入れられない要素が含まれていることは、アートの条件の一つかもしれない。

例えば、難解で知られる現代音楽は、ホラー映画に最適という話がある。実際、ホラー映画の名作として知られる『エクソシスト』のサウンドトラックには、クシシュトフ・ペンデレツキを筆頭に、アントン・ヴェーベルン、ジョージ・クラム、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェなど、20世紀を代表する現代音楽家が名を連ねている。なぜ、そんなことが起こったのか?

現代音楽とは、私たちが当たり前のものとして享受しているメロディやハーモニーといった西洋音楽の基本原理を疑い、その限界を乗り越えることを模索したジャンルだ。だから、そこで奏でられる響きは私たちが聞いたことのない響きになり、感動よりも驚きをもたすことになる。

その驚きをもたらす要素は、ホラー映画と非常に親和性が高い。端的に言えば、観客を驚かせようとしている場面で、懐かしさを感じるようなメロディが流れたらダメだろう。そのときの音楽は観客にとっての“毒”でなければならない。だから、アートである現代音楽がぴったりだったというわけだ。

それが絵画であれ音楽であれ、アートとは本来的に“毒”である。だから、私たちは簡単にそれを解釈し、消費することができない。常にどこかモヤモヤした割り切れなさが残る。しかし、そのモヤモヤを吐き捨ててしまわず、なんとか咀嚼しようとすると、自分なりの考えというものが生まれてくる。

私が「アートを解説する書籍や講座ばかりが人気になる」ことを危惧する理由は、ここにある。作品の解説は思考のための補助線であって、重要なのは、自分なりの考えを見つけることにあるからだ。分からないことは恥ではないし、そもそもアーティストは簡単に分からせようとはしてはいない。


だから、アートに興味を持ったら、それに触れられる現場に向かい、積極的に「分からない」体験を積み重ねていってほしい。機械には置き換えられない人間の能力は、そこから鍛えられていく。

※「アートのウイルスが世界に感染するとき、イノヴェイションが起こる」(wired.jp)
http://wired.jp/series/wired-audi-innovation-award/12_naohiro-ukawa/
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