JOURNEY

インディーズバンドD.A.N.にみる
チーム論 前編

2018.07.04 WED
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インディーズバンドD.A.N.にみる
チーム論 前編

2018.07.04 WED
インディーズバンドD.A.N.にみるチーム論 前編
インディーズバンドD.A.N.にみるチーム論 前編

ミレニアル世代と呼ばれる若者たちとムラカミカイエ氏との対談録。第4回は インディーズバンドD.A.N.を迎え、彼らの音楽活動の核に迫りながら、チームの在り方を考える。

(読了時間:約7分)

Text by Kaie Murakami

バンドを辞めることで、音楽で食べていくために必要なことを見つめ直す

ミレニアルズとの対談を通じて、既存の枠にとらわれない新たな価値観を浮き彫りにしてゆく本連載。
第4回のゲストはインディーズバンドD.A.N.の3人だ。

D.A.N.は櫻木大悟くん(ギター・ヴォーカル・シンセサイザー)、市川仁也くん(ベース)、川上輝くん(ドラム)によるトリオ編成。いつの時代でも聴けるジャパニーズ・ミニマル・メロウをクラブサウンドで追求している。2015年と2016年にはFUJI ROCK FESTIVALに出演。2017年11月には初の海外公演をロンドンで行い、今年5月にはUKツアーを敢行するなど、海外からも大きな注目を集めている。7月18日には2ndアルバム『Sonatine』がリリースされるが、僕もいちファンとして楽しみでならない。

と、D.A.N.のキャリアを紹介したが、実はバンドの結成は2014年8月と歴史はかなり浅い。それにもかかわらず、今年もフジロックへの出演が決定しているし、彼らへの称賛はとどまることを知らない。20代半ばの若者たちはなぜ短期間で大きな脚光を浴びることになったのだろうか。彼らが音楽を生業にするための挑戦からチームの在り方が見えてきた。
インディーズバンドD.A.N.1
――3人がはじめて結成したバンドのことを教えてもらっていいですか?

川上 僕は中学と高校の頃に仁也とやっていたバンドが初めてで、割と本格的にオリジナル曲をやっていました。

市川 とりあえず楽器を持って、いきなりオリジナル曲を作って、ライブをやっていたっていう。高校の頃はトーキングヘッズやゆらゆら帝国とかの影響が大きかったのかな。

川上 ニューウェーブとかクラウトロックみたいな感じでしたね。自分たちが思う音楽をやっていると意識が尖っちゃうというか。あまり媚びたくない、セルアウトされるのは嫌だなっていう気持ちが極端に強かったよね。

市川 でも、バンドで食っていくぞとか思わないまま、なんとなく続けていて。趣味か本気なのかはわからなかった。
街並み
――仁也くんと輝くんがバンドを組んでいる一方で、大悟くんは別のバンドをやっていたの?

櫻木 くるりやNUMBER GIRLとかeastern youthを見よう見真似でやってました。3人とも大学に進学してから、輝と仁也にも声を掛けて6人組のバンドを結成するんですけど、2年生でバンドを辞めるんですよ。

川上 でも、辞めようとなっても、誰も嫌な気持ちはなかったですし、好きな音楽で食べていくために必要なことがわかったというか。賢い考え方や自分たちの見せ方について話し合えたのは大きかったよね。

ライブは生きている証であり、非日常の醍醐味

――3人でバンドを組み直してD.A.N.が結成されるわけだけど、もう一度やり始めるのは何が大きかったの?

市川 6人組のバンドをやっていたときは、なんとなくみんなで始めてみようっていうところから始まったけど、また大悟に誘われたときは、あれをやりたい、こんな音楽をやりたいっていう話で盛り上がれたんです。
市川仁也氏
市川仁也氏
川上輝氏(左)と櫻木大悟氏(右)
川上輝氏(左)と櫻木大悟氏(右)
――ライブって、めちゃくちゃリアルなコミュニケーションでしょう。それを経験できるのは限りなく少ない人たちだよね。ライブで得られる体験の醍醐味ってどんなものなんだろう。

川上 感情がマイクを伝って音に乗ったときは最高ですよ。社会人にもなって、大好きな音楽に合わせてドラムを思いきり叩けるなんて、非日常の醍醐味かなと。いいライブのときって何も考えていないことが多くて、ただ気持ちよくなれるというか。

櫻木 いろいろなしがらみから解き放たれるというか。その瞬間に音楽をやっていてよかったと思いますね。それをいろいろな人と共有できると、生きている実感が湧いてきますし、音楽をやってこれた理由があるとすれば、それに尽きると思います。

市川 自分を開放できるって、大袈裟に言えば生きている証というか。人が大勢いるところで急に全裸になる感覚ってこれなんだなって。ライブのときだけは何も考えなくて、そのときの気持ちを音に表していますね。
インディーズバンドD.A.N.2
――D.A.N.のサウンドはグルーヴが肝だと思うけど、それをうまく醸成するコツはあるんですか?

櫻木 グルーヴは生き物みたいなものだから、ズレが気持ちいいときもあれば、心地よくないときもあるんですよ。でも、それを気にならなくなる瞬間があって。自分の出している音が立体的に聴こえてくるというか。

――それが一番記憶に残っているライブはいつだったの?

川上 フジロックのレッドマーキーかな。あのあまり体験できない感覚は最高でした。場の空気も影響していたと思うし、当日の夜11時のライブに向けて準備してきた過程とか、そこに挑む気持ちとかも含めて、みんながひとつに向かっていく感覚もあったからこそ、いいライブができたと思っていて。

櫻木 ああいうものすごい体験に味をしめたりすると、またそれをやりたい、もっと超えたいという気持ちになっていくんだよね。

覚悟を決めて、心からやりたいことができる恵まれた状況に

――3人の話を聞いていると、年齢に伴わない経験が既にバンド軸である感じがしますね。みんなと同じ24歳の新卒2年目のクリエイターはこんなこと言わないよ。

櫻木 僕らは全部手探りでやってきたので。同世代のクリエイターって弟子入りしたり学校に入ったり、規格化されていると思うんですよ。守られていないから、自分たちからアクションしないとダメというか。ある種ハングリーなんですよね。D.A.N.を結成した当初は、打ち上げの席で誰かとつながらないとライブもリリースもできないって思いながら必死に話しかけていましたし。

市川 音源もないのに、「めっちゃいい曲を作るんで、できたらすぐに送ります」とか言いまくって。デモ音源を作ってばら撒いた理由もライブに来てもらうためですし。その後は自主CDと一緒にZINEも作ったんです。
インディーズバンドD.A.N.3
――それはどうして作ろうと思ったの?

川上 CDがデータ化してモノとしての価値が低くなったと感じて、手作りすることにポイントを置いたんですよ。それが20歳とか21歳のときで、どうしてもフジロックに出たくて、そのためには今どうすればいいのかを話し合って。いつまでにどんな音源を作って、どんな人たちに配るのかをメンバー全員で書き出して、具体的に5年間くらいの計画を立てました。

――バンドでやっていこうって振り切れたきっかけは何かあったのかな。

市川 デモ音源を作っている途中か終わったときに話し合ったよね。3人でバンドを頑張ろうって一本化されていく流れになったら、大悟がちょっと怖いと言って。大学を卒業して就職しないでバイトしながらバンドをやると、早く売れなきゃって焦るから、いい音楽はできないって話になったんですよ。仕事しながら休日に活動した方がいいって言われたけど、僕と輝は覚悟が決まっていて。

川上 よく覚えてる。なんか自信があったというか。

市川 僕らがやりたい音楽をやるには、仕事の休日に制作するようではできないと思っていて。高い目標を成し遂げるには全身全霊で取り組まないと無理だと思いましたね。逆に大悟も休日だけにバンドをやってもスピードが遅くなりそうだし、満足できないんじゃないかという話になって。

川上 めっちゃ言い合ったもんね。結成してからそこが一番ヒートアップしましたから。今やらないなら、みんな就職して音楽から足を洗おうって。やるなら本気でやりたいし、どうにかなるはずだからって。

櫻木 大学の同期を見ていても、すぐ会社を辞めたり転職したりしていますけど、何をやるにしても絶対に覚悟が必要だということを二人に教わって。僕が覚悟を決められたのは二人のおかげですし、そこを乗り越えてからはものすごく楽ですね。今は悩む必要がなくて、やるだけですから。
インディーズバンドD.A.N.4
──輝くんの中では、この3人でバンドをやることが決まってた?

川上 そうですね。大学に通ったことで思ったのは、やりたいことがない人はいっぱいいるし、そういう苦しみがいっぱいあるってことなんです。僕は心からやりたいことができていて、恵まれているなって。

市川 親からしたら変な自信を持ってふざけるなよって感じだったんでしょうね。大学を卒業するまでに何百万も費やしてきたのにって。その気持ちはわかるんですけど。

櫻木 今では親も認めてくれていますしね。いちいち報告しなくても、「フジロックに出るんだろ」ってチェックしてくれていて。自分たちの音楽については何も感想を言わないんですけど、またそれがいいというか。

──今は迷いがない状況だよね。

川上 驚くほどないですね。音楽観で迷っている有り難い状況です。

<後編へ続く>

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