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CRAFTSMANSHIP

千数百年の時を超えてきた錫器、
その魅力と技術を未来へ──
錫師、中村圭一の挑戦

2018.05.16 WED
千数百年の時を超えてきた錫器、その魅力と技術を未来へ──錫師、中村圭一の挑戦

1200〜1300年前、飛鳥・奈良時代に中国から伝来し、優しい肌触りと水や酒の味をまろやかにするという特長から、人々に愛用されてきた錫器。その技術と魅力を未来へ伝えようと奮闘している工房がある。「鋳物の街」として知られる埼玉県川口市の「錫光」だ。

(読了時間:約6分)

Text by Yausuhito Shibuya
Photographs by Kunihiko Mitamura

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古代から人に身近で、人に優しい金属

錫(すず・元素記号Sn)は、金属とは思えぬ優しい肌触りと輝きを備えた素材。錫器を手にした人は、予想外の控えめで上品な輝き、手のひらで感じるその温かいぬくもりにまず驚くに違いない。そして、その中に水や酒を注いで口に運んだとき、唇で感じる柔らかな口当たりにまた驚くはず。

錫は人間にとって、あらゆる意味で優しい金属なのである。錫は水を浄化するとされ、昔は井戸の底に錫板を沈めたという。花器にすれば、生け花が長持ちするという話もある。そして、水や酒の味をまろやかにするともされ、茶器や酒器として愛用されてきた。
溶かす前の錫のインゴット。97%が錫で、これに銀や銅、アンチモンを微量に加えることで強度が向上する
溶かす前の錫のインゴット。97%が錫で、これに銀や銅、アンチモンを微量に加えることで強度が向上する
錫器の歴史は今から約3500年前、古代文明にまで遡るという。ヨーロッパでもイギリスを中心に独自の発達を遂げて現在に至っているが、日本に錫器と錫師の技術が中国から伝わったのは今から1200〜1300年前、飛鳥・奈良時代のこと。その生産は日本で初めて錫鉱山が開かれた京都の丹波地方で始まり、17世紀に入ると大阪を中心に多くの錫師たちが活躍、錫器作りの文化が華開いた。また同じ17世紀に錫鉱山が開発された薩摩地方でも錫師たちの手で錫器作りが盛んに行われるようになる。さらに関東でも、錫師たちが独自の錫文化を築き上げていく。

錫器をまず最初に手にしたのはごく一部の人々貴族階級の人々。平安時代の貴族たちは錫器を密閉性に優れた茶壺として、また酒器として宮中で使っていたという。さらに安土桃山、江戸時代に入ると裕福な武士階級や商人たちのあいだで茶器や酒器として普及してゆく。そして明治から大正、昭和に入ると、錫器は高級品ではあるが、一般家庭でも広く使われるものになった。

ところが今、錫器を一般家庭で見かけることはまずない。お目にかかれるのは特別な場所、たとえば日本酒にこだわる居酒屋などで、錫製のタンブラーやちろりとしてお目にかかるぐらいだ。

他の工房にはない独自性

「錫器が私たちの生活から姿を消し始めたのは今から40年ほど前、日本が高度成長期を迎えた1970年代以降のこと。それまでは、錫器は錆びない朽ちないことから縁起が良いとされ、記念品、贈答品としてとても人気がありました。例えば当時、会社が長期勤続の社員に贈る記念品といえば錫器が一般的で、毎年追いつかないほど注文が来たものです。しかし、ステンレス製やプラスチック製の器が普及していくなかで、錫器は急速に忘れられてしまいました」
中村圭一氏(左)。鋳型で作業しているのが陽山貴之氏
中村圭一氏(左)。鋳型で作業しているのが陽山貴之氏
こう語るのは、「鋳物の街」として知られる埼玉県川口市の錫工房「錫光」を営む中村圭一氏。「現代の名工」に認定され後に黄綬褒章も授与された錫職人の父、先代・中村光山氏の後を継ぎ、父の最後の弟子である陽山貴之氏とたった2人、小さな工房で錫器作りを続ける、関東の数少ない錫師である。

中村さんがこだわるのは、今や希少になった、昔ながらの「轆轤(ろくろ)挽き」の手法を積極的に使った錫器の製作だ。
鍋で溶かした錫をセメントで作った鋳型に流し込む。鋳型も生乾きのセメントを轆轤挽きして作る手作りだ
鍋で溶かした錫をセメントで作った鋳型に流し込む。鋳型も生乾きのセメントを轆轤挽きして作る手作りだ
錫器の製作は、液体になった錫を杓子ですくい、セメントで作った型に流し込む「鋳込み(いこみ)」という作業から始まる。錫は金属だが、融点が摂氏約232度と低い。そのため錫を火に掛けた鍋で溶かし、セメントで作った鋳型に注ぎ混んで、器のかたちに成型するのだ。
鋳型から外して器のカタチになった錫。ここから仕上げ加工を施す
鋳型から外して器のカタチになった錫。ここから仕上げ加工を施す
鋳型が充分に温まっていないと錫が鋳型に行き渡らず途中で固まってしまうので、鋳型は適度に温めておかなければならない。また、鋳型に鋳込んだ錫を型から外す時も細心の注意が必要だ。なにしろ、錫は柔らかい。

そして鋳込みの次は、いよいよ「轆轤(ろくろ)挽き」の作業に入る。錫器の形になった錫を轆轤にセットしてモーターの力で回転させる。中村さんは刃物をしっかりと握り、その刃を表面に押し当てて、キラキラと輝く柔らかな切削粉を出しながら、外側と内側を丁寧に削っていく。
「錫光」がこだわる伝統的な轆轤挽き作業は手元の感覚が頼り。言葉にするのは難しいノウハウがある
「錫光」がこだわる伝統的な轆轤挽き作業は手元の感覚が頼り。言葉にするのは難しいノウハウがある
中村さんたちは、この轆轤挽きに加えて、錫の表面を先の尖ったハンマーで叩き細かい模様を付けていく「鎚目(つちめ)」仕上げや、漆塗りなどの技法を駆使して、手作業で製品を完成させる。

「錫器の仕上げにはさまざまな技法があります。そして伝統的な産地である京都、大阪、鹿児島、そして江戸でも轆轤挽きの技法が広く使われていました。しかし最近では、京都は板状の錫を成型した錫器作りが、また大阪や鹿児島では、鋳造だけの加工が錫器の主な製作方法になっていて、轆轤挽きは一部の製品にしか使われなくなっています。約1300年前に錫器が伝わったとき、同時に中国から伝わったというこの轆轤挽きの手法を使う錫師は減る一方です。私たち錫光では、この轆轤挽きと漆塗りなどの表面加工を省かず積極的に採り入れています。それが他の工房にはない、私たちの独自性になっていると思います」
器を回転させながら金槌で叩き模様を付けていく鎚目仕上げ。まったく同じ仕上がりのものはひとつもない
器を回転させながら金槌で叩き模様を付けていく鎚目仕上げ。まったく同じ仕上がりのものはひとつもない

錫器の新しい未来へ

今年57歳の中村氏は元サラリーマン。子どもの頃から父が勤めていた錫工房に出入りしてその仕事ぶりを眺めていたという。だが、錫師を仕事として選んだのは27歳を過ぎてからだ。

「父は根っからの職人で、独立して工房を開いたものの経理などの事務作業は苦手でした。週末に事務作業を手伝っているうちに、父の仕事、錫師の仕事の素晴らしさを改めて感じ『後を継ごう』と決意しました。家族には大反対されましたが、百貨店で開催される職人展で出会った異業種の年配の職人さんたちが背中を押してくれました。当時、錫器は今よりも人気がありましたし」
錫への想いを語る中村さん。工房には「現代の名工」だった父の写真が見守る
錫への想いを語る中村さん。工房には「現代の名工」だった父の写真が見守る
錫師になったいちばんの理由は何よりも「錫」という素材に魅力を感じたからだという。それから約30年。師匠だった父もこの世を去ったが、中村氏の錫や錫器に対する想いは変わらない。共に働く陽山氏も金属加工を学ぶうちに、錫の魅力に魅せられて先代に弟子入りしたそう。
「優しく温かみがありますし、輝きも派手過ぎず、控えめで上品です。こんな素材は錫以外にありません。千数百年続いてきた伝統を未来につなぎたいという使命感もあります」

錫師の伝統技法を守りながら、中でも「轆轤挽き」の技法にこだわりながら、千数百年を超えるその伝統と文化、魅力を未来に伝えたい。同時に、今までにないデザインで錫という素材から新たなる魅力を引き出したい。そしてもっと多くの人に錫器の魅力を知ってほしい、使ってほしいと、中村さんは語る。
宇宙をイメージした「COSMOS」シリーズの5オンスタンブラー。各1万5000円(税別)
宇宙をイメージした「COSMOS」シリーズの5オンスタンブラー。各1万5000円(税別)
そのために中村さんは、デザイナーなど外部のアーティストとのコラボレーションや、一般の人々を対象にした錫器作りのワークショップも積極的に行っている。

千数百年の時を超えてきた錫器。あなたもぜひ、その中に秘められた物語をひもといてみてはいかがだろう。
自然をイメージした「SAZANAMI」シリーズの8オンスタンブラー。各2万1000円(税別)
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錫光オンラインショップ
http://www.takumi-suzukou.com/
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