ART / DESIGN

手作りとハイテクの融合から生まれる「理想の機械式時計」現代の独立時計師、浅岡肇

2018.04.09 MON
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手作りとハイテクの融合から生まれる「理想の機械式時計」現代の独立時計師、浅岡肇

2018.04.09 MON
手作りとハイテクの融合から生まれる「理想の機械式時計」現代の独立時計師、浅岡肇
手作りとハイテクの融合から生まれる「理想の機械式時計」現代の独立時計師、浅岡肇

時計の世界で“究極の職人”と讃えられる独立時計師たち。彼らは昔ながらの伝統的な工具を使い、数百個に及ぶ部品を手作業で製作し、時計コレクター垂涎の機械式時計を完成させる。だが浅岡肇氏は、最先端の工作機械も活用する極めて異色の存在だ。

(読了時間:約6分)

Text by Yasuhito Shibuya
Photographs by Hajime Asaoka, Kazuya Tanaka

今の時代にブレゲがいたら、絶対にNCを使っている

時計作りの頂点を極めた人々といえば、自身の名前で時計作りを行う独立時計師たち。彼らはメカニズムから外観まで時計のほぼすべてを自身で開発・設計し、直径1mmにも満たない極小サイズの歯車やバネを、伝統的な工具を使い、金属の板から手作業でひとつひとつ製作。何ヵ月もかけて、時計コレクターを満足させる唯一無二の腕時計を創り上げる。

独立時計師にとって、“手作業”は大切なイメージであり誇りでもある。しかし浅岡肇(あさおか・はじめ)氏はそのイメージにとらわれない。CAD/CAMやNC(数値制御)フライス旋盤など最新の工作機械を自ら駆使することで、機械加工の時間を圧縮し、手作業の部分により時間をかける独自のアプローチを行っている。
浅岡氏の工房には現代的な工作機械が並ぶ。右手前がNCフライス盤
浅岡氏の工房には現代的な工作機械が並ぶ。右手前がNCフライス盤
「私がCAD/CAMで設計し、NC(旋盤)など最新の工作機械を使うのは、それが最も合理的で最良の方法だからです。時計史上最高の天才であるアブラアン=ルイ・ブレゲがもし現代に甦ったら、間違いなくこうした技術を使うでしょう。私が何よりも大事にしているのは、自分が考えた時計を考え通りに『完璧に作り切る』こと。合理化のためではなく、理想のクリエーションを実現するための道具として、CAD/CAMやNCは欠かせません。NCは疲れることもなく、クリエーターの完璧な手足になってくれる。口には出しませんが、私以外の独立時計師でも、実はこうした機器を活用している人は多いと思いますよ」
最新作、クロノグラフのCGレンダリング
最新作、クロノグラフのCGレンダリング
とはいえ、NC旋盤など最新の工作機械を使うといっても、それは時計作りのごく一部。手作業をしている時間の方が圧倒的に多い。また伝統的な手作業における浅岡氏の「技の冴え」は天才的だ。テンプのバランス取りや文字盤のスタンピングなど、普通の時計職人なら何年もかけてやっと習得できるはずの時計作りの伝統技術も浅岡氏は独学で習得し、完璧に行ってしまう。
クロノグラフのスプリング。こうした微小なパーツの仕上げの完璧さも浅岡氏の作品の特長であり魅力だ
クロノグラフのスプリング。こうした微小なパーツの仕上げの完璧さも浅岡氏の作品の特長であり魅力だ
しかし浅岡氏がNCなど最新の工作機械の使用をあえて明言するのは、NCと手作業のあいだに境目はないというスタンスで時計作りに取り組んでいるためである。

「モノ作りで大切なのは結果であり、プロセスは手段に過ぎない。工作の都合で結果が左右されてしまう。製品が不本意なものになってしまう。これはモノ作りではいちばん良くないことでしょう」
工作機械を使って削り出されたクロノグラフのパーツ。この後、手作業によって調整、磨きが行われる。
工作機械を使って削り出されたクロノグラフのパーツ。この後、手作業によって調整、磨きが行われる。
浅岡氏は「自身が納得できる、今作り得る最良の腕時計」を最善の方法で作ろうとしている。筆者は二十数年間もスイスや日本で時計師たちの取材を続けているが、こんな言葉を聞いたのは初めてだ。

今、世界で最も注目される独立時計師

そんな浅岡氏は今、世界で最も注目される独立時計師の一人だ。2017年3月に世界最大の時計見本市「バーゼルワールド」に出展した初のクロノグラフは、独創的なデザインや仕上げの美しさが高く評価され、現地メディアの「Watches TV」や、ドイツの時計専門サイト「QUIL AND PAD」をはじめ、時計愛好家が集う世界のさまざまなメディアで絶賛を浴びた。「2017年のバーゼルワールドのベスト1」に選出したレビュアーも少なくない。
2017年の「バーゼルワールド」で発表され、コレクターたちを魅了したクロノグラフ
2017年の「バーゼルワールド」で発表され、コレクターたちを魅了したクロノグラフ
そしてオークションハウスの名門「フィリップス」が主催する、2018年4月から6月にかけてローマ、ニューヨーク、香港、ロンドンと世界を巡回する「The Master of Art Horology」展。ヨーロッパ以外から唯一、13名の出品者の一人に選ばれている。

他の出品者は、浅岡氏も所属するスイスの独立時計師協会(AHICI)の殿堂入り会員であるフィリップ・デュフォー氏や、複雑時計の開発者として知られるクリストフ・クラーレ氏など、まさに現代時計界の頂点に君臨する巨匠たちばかり。

とはいえ、浅岡氏を独立時計師と呼ぶことに、筆者は個人的に抵抗がある。なぜなら、氏は間違いなく独立時計師を超えた、もっと大きな存在だと思うからだ。

早熟の天才デザイナー&クラフツマン

浅岡氏は1965年に神奈川県茅ヶ崎市に生まれた。子どもの頃からモノ作りが好きで、中学3年生の時にはすでにデザイナーを志し、ソニーが開催したロゴマークの公開コンペティションに応募したという。

「子どもの頃から工作が好きで没頭していました。『これはこんな風にすれば作れる』という工作のコツや勘のようなものは、この頃に培われたと思っています」

そして高校を経て二浪後、志望通りに東京藝術大学美術学部デザイン科に進学。プロダクトデザインを勉強しながら、グラフィックデザイナーとして活動を開始する。そして1990年代、その才能はさらに大きく開花する。当時としてはいち早く3DCGなど先端の技術を身につけ、広告や雑誌の世界で引っ張りだこの存在となった。

そんな浅岡氏が時計作りに最初に関わったのは、20年程に遡る。それは、ウオッチショップ「TicTac」からのデザイン依頼で、ミッドセンチュリー家具のブランドとして有名な「Modernica」とのコラボレーション企画だった。その意匠は今見てもとても新鮮だ。
浅岡氏が初めてデザインした腕時計。ベゼルと内部の時計部分が回転する
浅岡氏が初めてデザインした腕時計。ベゼルと内部の時計部分が回転する
しかし浅岡氏は満足できなかったという。「腕時計のデザインはとても面白かった。ただ、クライアントとデザイナーという関係でモノづくりの限界を感じたのも事実。いつかは自らの手で時計を作りたいと思うようになりました」。

そして2008年末のリーマンショックが、結果として今の独立時計師への道を開くことになる。「広告の仕事が減り、時間ができたので願望を具体化しようと思いました。『トゥールビヨン腕時計』を作ろうと思ったのです」。

驚くべきは、そう考えて取り組んでからわずか半年余りで、ゼロからオリジナルのトゥールビヨン腕時計を作り上げてしまったこと。「昼夜を問わず製作に没頭して、2008年の暮れには動作に成功。翌年の2月くらいには完成していました」。

この日本初のトゥールビヨン腕時計は、雑誌「BRUTUS」に記事として掲載され、これをきっかけに浅岡氏は注目されることになる。さらに1年後、初の製品である「トゥールビヨンⅠ」を完成。日本初の独立時計師としての仕事が始まった。そして現在は独立時計師協会(AHCI)の正会員として、世界にその名を知られる独立時計師となったのだ。
製品として初のトゥールビヨン腕時計「トゥールビヨンⅠ」
製品として初のトゥールビヨン腕時計「トゥールビヨンⅠ」

時計作りは、才能のごく一部の「表現」に過ぎない

とはいえ、独立時計師が浅岡氏にとってキャリアの終着点とは思えない。なぜなら、独立時計師としての活動は、天才デザイナー、天才クラフツマンである浅岡氏の表現のごく一部だからだ。

浅岡氏は時計作りに取り組んだ理由を「奥が深く、モノ作りとしてやりがいのある、とても良いテーマだから」と説明する。しかし、浅岡氏が作りたいのは時計だけではない。「今は独立時計師と呼ばれていますが、インダストリアルデザイナーとして作りたいものは時計以外にもカメラや自動車など数多くあります。これからはそんな仕事も、機会があればぜひやりたいですね」
デザイナー出身の独立時計師である浅岡肇氏。今後はプロダクトや自動車のデザインも手がけたいと語る
デザイナー出身の独立時計師である浅岡肇氏。今後はプロダクトや自動車のデザインも手がけたいと語る
独立時計師としてはもちろん、インダストリアルデザイナー、クラフツマンとしての桁外れの才能が、いつどこで発揮されるのか。これからが楽しみだ。

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