学生時代に立ち上げたブランドに世界が注目
東京の目黒と京都の五条に店舗を構える、0歳から6歳の伝統ブランドaeru。一方は現代的、もう一方は伝統的な、街の空気になじむようなたたずまい。店内には和の雰囲気をとどめつつも、現代的な色使いや形状をまとった伝統産業品の数々が並んでいる。
aeruの伝統産業品がユニークなのは、0歳から6歳の赤ちゃん、子どもからターゲットにしているということ。日本生まれの「ホンモノ」に幼少期から触れてもらうことで、子どもたちの豊かな感性や感覚を育み、時にお直しをしながら一生モノとしていつまでも使い続けてもらうという信念のもと、職人の手仕事で一つひとつ作られている。
赤ちゃんの肌を初めて包む「本藍染の産着」や、子どもの小さな手にも収まりやすい「こぼしにくいコップ」、そして大人もうっとりするほど発色の美しい「草木染のブランケット」など、こだわり尽くされた逸品がそろう。
aeruの伝統産業品がユニークなのは、0歳から6歳の赤ちゃん、子どもからターゲットにしているということ。日本生まれの「ホンモノ」に幼少期から触れてもらうことで、子どもたちの豊かな感性や感覚を育み、時にお直しをしながら一生モノとしていつまでも使い続けてもらうという信念のもと、職人の手仕事で一つひとつ作られている。
赤ちゃんの肌を初めて包む「本藍染の産着」や、子どもの小さな手にも収まりやすい「こぼしにくいコップ」、そして大人もうっとりするほど発色の美しい「草木染のブランケット」など、こだわり尽くされた逸品がそろう。
aeruを運営する、『株式会社和える』代表の矢島里佳氏は学生時代に起業。そこから20代という若さで国内外のビジネスアワードを受賞し、2017年にはAPEC加盟国が1名ずつ、国の代表起業家を選出する「APEC BEST Award 2017」にノミネートされ、大賞とBest Social Impact賞を獲得するなど注目を集めている。彼女はなぜ、世界的な評価を獲得するまでに至ったのか。
大学時代にフリーのライターとして、日本各地の伝統産業の職人を取材していた彼女は、それまで触れることのなかった日本の伝統の素晴らしさを実感し、後世に残していきたいと願うようになった。しかし、一般家庭において伝統を継承する機会がほとんどなくなってしまった今、次世代を担う若者たちが伝統と出合うきっかけは限られてしまっている。そこで「幼いころから伝統産業に出合うことができる環境を生み出したい」と思い立ち就職先を探したが、そのようなことを行っている企業が見当たらず、自ら『株式会社和える』を立ち上げた。
「赤ちゃんのころに日本の伝統文化に出合えれば、その後の人生で何かを選択していくときの価値観が変わります。赤ちゃん、子どもたちに、暮らしの中で自然と日本の伝統の魅力を感じていただけたらうれしいです」
大学時代にフリーのライターとして、日本各地の伝統産業の職人を取材していた彼女は、それまで触れることのなかった日本の伝統の素晴らしさを実感し、後世に残していきたいと願うようになった。しかし、一般家庭において伝統を継承する機会がほとんどなくなってしまった今、次世代を担う若者たちが伝統と出合うきっかけは限られてしまっている。そこで「幼いころから伝統産業に出合うことができる環境を生み出したい」と思い立ち就職先を探したが、そのようなことを行っている企業が見当たらず、自ら『株式会社和える』を立ち上げた。
「赤ちゃんのころに日本の伝統文化に出合えれば、その後の人生で何かを選択していくときの価値観が変わります。赤ちゃん、子どもたちに、暮らしの中で自然と日本の伝統の魅力を感じていただけたらうれしいです」
ジャーナリズムとしての小売業
そこから7年が経った今、これまでを振り返り「会社経営と子育ては似ているような気がします」と語る。大学では法学部に在籍。そこで「法人」の概念を学んだ彼女にとって、『和える』は法のもとに人格を与えられた、まさに子どものような存在であり、経営者である彼女自身は母親そのものなのだという。
「2011年、私と“『和える』くん”一家の人生が始まりました。2014年に初店舗となる東京直営店をつくるにあたって、お客様をお出迎えする仲間が必要になり、社員、つまり家族が加わりました。そうして、『和える』は一つの家族となったのです」
「2011年、私と“『和える』くん”一家の人生が始まりました。2014年に初店舗となる東京直営店をつくるにあたって、お客様をお出迎えする仲間が必要になり、社員、つまり家族が加わりました。そうして、『和える』は一つの家族となったのです」
彼女は、日本の伝統産業を守ることを第一ミッションに掲げているのかというと、そうではない。確かに、常に変化し続ける時代のなかで、時勢によって惜しまれながらも淘汰されてしまう伝統や文化が存在するのは事実。ただ、なんでもお金で買える時代において、先人の智慧である日本の伝統は、長い時間かけて蓄積されてきた稀少な存在であることは変わらない。時代に淘汰され伝統や文化がなくなった世界より、伝統や文化が残ることでそれを“選べる”世界のほうがいい。つまりより豊かな未来には伝統が必要なのではないかと考え、そのために日本の伝統について発信することで、“選べる”環境を整え、次代につないでいくべきか否かを社会に問うているのだ。そういう意味で、「『和える』は小売業ではなく、ジャーナリズム業なのです」と、矢島氏は自身を分析する。
そもそも彼女がジャーナリズムについて専門的に学べる、慶應義塾大学の法学部政治学科に入学したのも、ジャーナリストを志望していたため。そんな彼女による『和える』の取り組みは、赤ちゃん、子ども向けの伝統産業品の小売から始まり、ホテルの空間デザインやリブランディングに至るまで多岐にわたり、一見してその本質を捉えるのは難しい。しかし、「ジャーナリズム」というキーワードでくくることで、「伝統を次世代につなぐ仕組みをつくる会社」と、はっきりとその輪郭が見えてくる。
そもそも彼女がジャーナリズムについて専門的に学べる、慶應義塾大学の法学部政治学科に入学したのも、ジャーナリストを志望していたため。そんな彼女による『和える』の取り組みは、赤ちゃん、子ども向けの伝統産業品の小売から始まり、ホテルの空間デザインやリブランディングに至るまで多岐にわたり、一見してその本質を捉えるのは難しい。しかし、「ジャーナリズム」というキーワードでくくることで、「伝統を次世代につなぐ仕組みをつくる会社」と、はっきりとその輪郭が見えてくる。
「三方良し」で社会に必要とされる事業を
2013年のグッドデザイン賞に選ばれた「こぼしにくい器」は、まだ手元のおぼつかない子どもでもすくいやすいように、内側に「返し」が施された器なのだが、商品が生み出された背景にはもう一つのストーリーがある。
それは夫婦共働き世帯の増加により、育児にあてる時間が減っているという問題に起因する。時間効率を求めた結果、親が子どもの口元まで食事を運ばざるを得ない現状があり、「自分で食べる」という食体験による成長が阻害されてしまうのだ。そうした世の中のひずみを捉え、社会課題の解決策としてこの商品のコンセプトが生まれた。そこから、子どもにとって何が最適な形であるか、手首や指の発達を促すデザインを考え出し、それを成形できる技術を持つ職人の協力を得ることで、「こぼしにくい器」が完成した。
『和える』のすべての商品やサービスは、子どもたちや、大人になったかつての子どもたちへ、世の中が抱えているひずみや課題など「伝えたいこと」を形にした結果でしかない。そうした問題を抱えた社会構造にイノベーションを起こすには相応の時間を要するが、顕在化した課題を一つひとつすくい上げ、「こぼしにくい器」のように、個々の解決策となる商品やサービスを打ち出していく。日本の伝統を伝えることで、さまざまな社会課題が解決されていく仕組みを作ることも、「ジャーナリズム業」であり、『和える』の使命なのだと矢島氏は言う。
「7年間、『和える』家の母親を務めて実感したのは、企業は社会に必要とされる存在でなければならないということです。企業だけでなく、社会全体のためになる『三方良し』の概念こそ、最良の経営哲学だと思います」
「7年間、『和える』家の母親を務めて実感したのは、企業は社会に必要とされる存在でなければならないということです。企業だけでなく、社会全体のためになる『三方良し』の概念こそ、最良の経営哲学だと思います」
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