VISIONARYMAGAZINE BY LEXUS

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「ビジネスはスピードが命」の落とし穴

2017.10.30 MON
行動経済学が明かす「ビジネスはスピードが命」の落とし穴

ビジネスの世界では、「スピードが命」という考え方が一般的だ。しかし、はたして「即断即決」が常に正しいのだろうか?  今記事では、マイケル・ルイスの新刊『かくて行動経済学は生まれり』をテーマに、ビジネスにおいてどう意思決定がなされるべきかを考える。

(読了時間:約5分)

Text by Yuya Oyamada
Photograph by Masahiro Okamura

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経済学の世界に人間心理という非合理な要素を持ち込んだ、ノーベル経済学賞受賞者による「行動経済学」

先日、こんな書き出しの記事を見つけた。

<ビジネスはスピードが命。「即断即決」ができないと、大きな成果を得ることはできません!>

このように、「ビジネスはスピードが命」と訴える記事や書籍は、世の中にたくさんある。確かに時間は何よりも惜しい。判断を躊躇したことで、重要なビジネス機会の損失につながることもあるだろう。しかし、なぜ「即断即決」が常に信頼に値すると断言できるのか?

そうした疑問を抱くようになったのは、マイケル・ルイスの新刊『かくて行動経済学は生まれり』(文藝春秋)を読んだからだ。著者は『世紀の空売り』や『マネー・ボール』など映画化作品も多いアメリカのノンフィクション作家。金融業界や野球界を舞台に、既存のルールを逸脱することにより大成功を収めた男たちの姿を描いてきた。

『かくて行動経済学は生まれり』は、そんなルイスが「行動経済学」という学問の誕生過程に迫った一冊だ。

行動経済学とは何か? 従来の経済学は、人は合理的な存在であると考えていた。例えば、AよりBが好き、BよりCが好き、と答えた人は、AよりCが好きであるはずだと考える。

しかし、人間というのはそれほどシンプルで合理的な存在ではない。本書には、次のような選択肢が例として出てくる。

①確実に500万円をもらえる
②50%の確率で1千万円をもらえる

このとき、ほとんどの人は①を選ぶ。ここからは「人はリスクを回避して、確実性を重視する」という結論を得ることができる。しかし、質問を変えてみよう。

③51%の確率で500万円がもらえる
④50%の確率で1000万円がもらえる

このときは④と答える人が多くなる。すると、「人は確率が同程度のときは、リスクを取るようになる」という結論が導き出される。どちらの結論も筋が通っているが、この2つの結論の違いにきちんと合理的な説明をしようとすると、ものすごく難しい。「人間はあるときにはリスクを回避し、あるときにはリスクを取る」という、まったく合理的でない説明が導かれてしまうからだ。

『かくて行動経済学は生まれり』の主人公であり、行動経済学を創始した2人のイスラエル人学者、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーは、この問題に次のように答えた。

「人が意思決定をするときには、より後悔の少ないほうを選ぶ」

つまり、人間の経済行動の矛盾を、心理学的な側面から解明したのだ。だから“行動”経済学なのである。

もっとも、カーネマン&トヴェルスキーの結論を聞いても、「そんなの当たり前じゃないか」と感じるかもしれない。しかし、経済学ではまさに革命的な考え方だった。数式と論理の世界に、人間心理という非合理な要素を持ち込んだのである。

そして、行動経済学の考え方は私たちの日常にも大きなインパクトをもたらす。論理的な判断をしていると思っていても、そこには心理状態から来る“バイアス”が働いているからだ。特に迅速な意思決定、つまり「直感」に頼るときに、バイアスは大きく作用する。

カーネマン&トヴェルスキーは、そのバイアスを「ヒューリスティック」という言葉で説明した。

ステレオタイプに囚われてしまう「代表性ヒューリスティック」(コインを10回振って表だけになることは確率的に珍しいか?)、印象に残っていることほど起こりやすいと考えてしまう「利用可能性ヒューリスティック」(地震の直後には地震保険の加入者が増える)など、そのバイアスは多岐にわたる。

ちなみに、コインは常に2分の1の確率で表と裏が決まるために、10回連続で表が出る確率は、ほかのパターンと同一である。

即断即決な意思決定だけが正義ではない

近年は、こうした人間の意思決定にまつわるバイアスを回避するために、データを用いた統計的な分析を行うべきだとも言われている。しかし、それを扱う人間の態度が変わらなければ、データは役に立たない。

例えば、「30%の確率で成功する」と言われたときと、「70%の確率で失敗する」と言われたときでは、データとしてはまったく同じ結論を示しているにもかかわらず、人の受け取り方は違ってしまう。

1000人が利用する宝くじ売り場の看板に、「この売場から10人当選者が出ました!」ではなく、「この売場で当選しなかった人は990人です!」と書いてあったら、あなたはどう思うだろうか?

人の直感は、人が思うほど信頼に値するものではない。たとえ客観的なデータを参考にしていても、その説明のされ方によって、人は違った結論を導き出してしまう。カーネマン&トヴェルスキーは、そう説いている。

では、私たちには何ができるのか? すごくつまらない結論で申し訳ないが、“いったん落ち着いて物事を見つめ直す”ことで、バイアスを排除していくことが重要になるだろう。

『かくて行動経済学は生まれり』には、デルタ航空の改革の例が出てくる。1980年代末のデルタ航空では、航空機が迷子になったり、到着するべき空港を間違えたりといった不祥事が連発していた。その原因のほとんどは、機長の判断ミスだったという。

改善案について助言を求められたトヴェルスキーは、機長の罰則を強化するのでも、再発防止のための訓練をするのでもなく、意思決定が行われる環境を変えることで、この問題に対処すべきだと答えた。

常に迅速な判断を求められる機長には重い責任があり、だからこそ大きな権限が与えられていた。しかし一方で、それはたとえ間違った決定をしても、ほかの乗務員が指摘しにくいという文化を作り上げる原因にもなっていた。

そこで機長ではなく、乗務員に「機長の判断に疑問をもっていい」と訓練することで、おかしな意思決定に「待った」をかける文化を浸透させるべきだとアドバイスしたのだ。

機長のミスが頻発していたのは、彼らが無能だからでも、傲慢だったからでもない。責任が重いということは、ストレスも大きいということ。ストレスが人間の直感を歪ませる原因になることに、カーネマン&トヴェルスキーは気が付いていた。

だから、機長を再教育するのではなく、周囲の人間が「待った」をかけられる文化を作ることが重要だったのだ。ミスの原因は彼らの能力ではなく、その環境にあったのだ。そして環境を変えた結果、デルタ航空のミスは大きく減少した。

ビジネスにおいてはスピードだけでなく、自分を疑うことも大切

また同書の冒頭には、NBA(全米バスケットボール協会)のヒューストン・ロケッツで、データ分析を生かして数々の名選手を発掘してきたダリル・モーリーGMのエピソードも出てくる。

モーリーは経験と直感で選手の採用を判断していた、従来のスカウトたちにいくつかの欠点があることに気がついた。

スカウトたちのほとんどは元選手であり、そのため、若い頃の自分と似たプレースタイルの選手を見つけると高く評価しがちだった。「自分と似ている」と感じた瞬間に、その選手を好きになった理由を探し始めてしまうのだ。これは今活躍中のスター選手と似た選手を見つけたときも、同じようなことが起こる。

これらは“確証バイアス”と呼ばれる、人間の直感を誤らせる原因のひとつ。モーリーはデータ分析を重視することで、確証バイアスによる判断の偏りを避け、それまでのスカウトの基準では埋もれていた名選手たちを発掘していった。

しかし、データ分析も万能ではない。身長210cmを超える大型のインド人が新人選手としてモーリーの前に現れたことがある。彼は人口800人のインドの村から、そのずば抜けた体格を武器にアメリカまでやって来た。

まともに英語が話せず、学生時代の実績なんていうものもない選手だったが、その体格はバスケットボール選手としては魅力的だ。みっちり練習させれば、かなりの掘り出し物になるかもしれない。しかし、NBAにはインド人選手がいたことはなく、似たような境遇の選手もいない。つまり、前例がなかった。果たして、彼を採用すべきか否か。

モーリーは採用を見送った。データがなければ分析はできない。分析ができなければ判断もできないというわけだ。しかし、ロケッツの代わりにダラス・マーベリックスがドラフトで指名し、彼は見事にインド人初のNBAプレーヤーとなった。

このインド人選手の名前はサトナム・シンといい、現在もマーベリックスで活躍している。まだ大スターとはいえないが、ほかのチームからトレードのオファーがくるほどには好成績を残している。

モーリーは自分の判断を後悔はしていないというが、たとえデータ分析を使いこなしていても、「成功の可能性を少し高めることしかできない」とも語っている。直感だけでなく、データ分析がもたらすものすらも冷静に見つめる徹底ぶりが、モーリーをNBAで有数のGMであり続けさせているのかもしれない。

いずれにせよ、繰り返しになるが、確かにビジネスにおいてスピードは大切だ。しかし、直感はさまざまなバイアスにさらされており、誤った判断を導くことが珍しくない。

そうした間違いを防ぐには、ダリル・モーリーのようにデータを活用したり、デルタ航空のように周囲の人の意見を意思決定者が聞くようにすることが大切だろう。それはつまり、自分を信じすぎないということだ。

ビジネスにおいてはスピードだけでなく、自分を疑うことも同じくらい大切なのだ。
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