SPORT

モータースポーツ讃歌─サーキットは、
ジェントルマンの社交場である

2017.08.25 FRI
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モータースポーツ讃歌─サーキットは、
ジェントルマンの社交場である

2017.08.25 FRI
モータースポーツ讃歌─サーキットは、ジェントルマンの社交場である
モータースポーツ讃歌─サーキットは、ジェントルマンの社交場である

自動車の黎明期において自動車レースは貴族のたしなみであり、サーキットは彼らの社交場だった。そんな時代から培われてきたジェントルマンシップの精神は、現代のSUPER GTシリーズを戦うレクサスの各チームにも息づいているのだ。

(読了時間:約7分)

Text by Takeshi Sato
Photographs by Bentley Archive / Popperfoto / Getty (Top)
Keystone / Getty (Japan GP 1963)
TOYOTA MOTOR CORPORATION
Eric Micotto (Drivers)

120年以上前に、伯爵や男爵が1000km以上の距離で競った

「自動車の父は、ドイツかフランスか?」

今から30年ほど前、ヨーロッパではこのテーマで熱い議論が戦わされた。1984年にフランスが国をあげて自動車100周年を祝うと、翌85年には西ドイツ(当時)が自動車誕生100周年記念行事を開催したからだ。

フランスの言い分は、ドラマール・ドブットヴィルとレオン・マランダンが発明した自動車が世界最古だというもので、今でもフランス人の多くは「フランスこそ自動車の産みの親」だと考えているが、カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーという二人のドイツ人が自動車の父だという見方もあり、世界的には後者が一般的な見方となっている。

「自動車の父」の座はドイツに譲るにして、「モータースポーツの父」がフランスであるのは疑いようのない事実だ。世界最古の自動車レースは、1894年にパリでスタートした。

パリをスタートして127km離れたノルマンディー地方の古都ルーアンを目指す、「パリ-ルーアン・トライアル」を主催したのはフランスの大衆紙『プティ・ジュルナル』。単なる自動車レースではなく、内燃機関(ガソリンエンジン)、蒸気機関、電気といった動力源の中で、どれが優れているかを見定めるトライアルという側面もあったとされる。

このトライアルで1等を分け合ったのは、プジョーとパナール・エ・ルヴァンソールの2台のフランス車だった。

翌95年、参加者たちはもう一度レースを開催することを希望した。しかし主催する『プティ・ジュルナル』は事故などのリスクが大きいと判断、開催に消極的だった。そこで、ド・ディオン伯爵やズィレン・ド・ニヴェル男爵が中心となり、ACF(フランス自動車クラブ)の母体となる組織を結成、自主的に「パリ-ボルドー-パリ」という総走行距離が1178kmというレースを開催した。優勝したのはパナール・エ・ルヴァンソールで、平均速度は24.12km/hだった。

この史実から分かるのは、自動車黎明期においてはモータースポーツが貴族のたしなみであったことだ。貴族を中心に組織されたACFは各国の自動車連盟の先駆けとなり、やがてFIA(世界自動車連盟)へとつながる。

同時に、レースを通じて自動車の性能は進化していった。当時の自動車の最高速度や信頼性は、レースで勝つために向上したのだ。それにしても、120年以上も昔に行われたレースがすでに1000kmを超す長丁場であったことには驚かされる。

日本のレーシングドライバー「福澤幸雄」はトレンドリーダーでもあった

ヨーロッパと同じように、日本のモータースポーツも真っ先に飛び付いたのはセレブリティだった。

日本のモータースポーツ創生期に活躍したドライバーに、福澤諭吉のひ孫にあたる福澤幸雄がいる。日本人の父とギリシア人の母のあいだに生まれた幸雄は、レーシングドライバーとして活躍する一方、その端正なルックスからモデルとしても人気を博した。また、アパレルブランドの役員も務め、まさに若者たちのあいだのトレンドリーターだった。
日本におけるレースの黎明期。1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリより
日本におけるレースの黎明期。1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリより
幸雄のまわりには、良家の子女、文化人の子息、アーティストなどなど、当時のカルチャーの最先端を走る若者たちが集まった。彼らの“溜まり場”はホテルオークラのカフェ「カメリア」や飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」。そういった場所には式場荘吉や生沢徹といったレーシングドライバーのほかに、アーティストやファッションモデルが集い、さながら文化サロンのようだったという。

ここでひとつ、面白いエピソードがある。

1964年に開催された第2回日本グランプリの予選で、式場荘吉のポルシェ904がクラッシュする。徹夜の修理作業を終えたポルシェがサーキットに入ったのはスタート数分前。その時、日産のワークスドライバーだった生沢徹は、式場とともにポルシェを押してコースインさせたという。後のテレビ番組で、生沢はこのときの様子をこんな風に振り返っている。

「日産の偉い人たちは、ライバルに手を貸すなんて何やってるんだと怒っていたけれど、当然ですよ。だって、たまたま別のレーシングチームに分かれているだけで、僕らはもともと友だちだったんですから」

当時のレーシングドライバーたちが、ある種のソサエティに属していたことを如実に示すエピソードである。

数年後、福澤幸雄は不慮の事故で帰らぬ人となる。この時に追悼の意を込めて『ソーロングサチオ』という曲を書いたのが無二の親友だったかまやつひろしであり、やはり親しかった作曲家の三保敬太郎も『サウンド・ポエジー“サチオ”』を幸雄に捧げている。

古今東西、自動車レースの醍醐味は耐久レースにある

今日においても、モータースポーツは華やかな雰囲気にあふれている。

例えばF1モナコGPは、金曜日から始まる他のグランプリとは異なり、木曜日にフリー走行が行われる。なぜなら、金曜日にはモナコ大公主催のパーティが開催されるからだ。このパーティではタキシードに身を包んだドライバーがサーキットとは別の表情を見せるほか、各国の王族など本当の意味でのセレブリティも招待される。まさに、社交界という表現がふさわしい場であるのだ。

他にも、ルマン24時間レースが行われる週は、普段は穏やかなルマンの街も賑わう。例えばこの1週間限定で、エルメスのポップアップストアがオープンする。ルマン24時間レース限定のネクタイやスカーフが並ぶ店舗には、世界各地から訪れるファンが集まる。

ルマン24時間レースのサーキット駐車場は、さながらヒストリックカーのコンクール会場だ。ベントレーやフェラーリなど、ルマンを彩った往年の名車が同窓会のように並んでいる。ここもやはり、ジェントルマンの社交の場であるのだ。

また、ルマンと並ぶ世界的な耐久レースであるデイトナ24時間レースは、ハリウッドスターのポール・ニューマンが参戦したことで知られる。1925年生まれのニューマンは、映画『レーサー』(1969年公開)への出演をきっかけにモータースポーツに興味を抱く。44歳という遅咲きのデビューではあったが、ニューマンは真剣にモータースポーツと取り組み、遂に1977年にデイトナ24時間レースで5位入賞を果たすのだ。

『ハスラー』や『明日に向かって撃て』、あるいは『スティング』といった作品で数え切れないほどの賞を手にしたニューマンをもってして、憧れたのがデイトナ24時間レースだった。

一般的にF1モナコGP、インディ500、そしてルマン24時間を世界三大レースと称するが、興味深いのは、そのうちのふたつが長距離で争われるレースであるという事実だ。インディの500は走行距離(マイル)を意味する。1895年に開催された「パリ-ボルドー-パリ」も1200km近いレースであったことを思うと、古くから耐久レースには人を惹きつける魅力があったと言えるかもしれない。
1967年に富士スピードウェイで日本初となる24時間耐久レースが開催された
1967年に富士スピードウェイで日本初となる24時間耐久レースが開催された
一方、日本でも1967年に富士スピードウェイで初めて24時間レースが開催されて以来、さまざまなカテゴリーの耐久レースが行われ、人気を博してきた。現在、その最高峰に位置するのが、2017年度ではSUPER GT第6戦となる「46th SUZUKA 1000km」だ。SUPER GTシリーズで最長となる1000kmを約6時間かけて戦うこの耐久レース。長丁場の戦いゆえに、ゴールまでには天候が変わり、路面状態が変化し、マシンやタイヤのコンディションも常に変動している。ドライバーとチームが結束し、さらに運まで味方に付けないと勝てないのが鈴鹿1000km。毎年、手に汗握るエキサイティングな展開で、6時間があっという間だ。
2017年度SUPER GT500クラスに参戦中のレクサス LC GT500
2017年度SUPER GT500クラスに参戦中のレクサス LC GT500
今回、そのSUPER GT第6戦「46th SUZUKA 1000km」でLEXUSは「サーキットはジェントルマンの社交場」という点に注目し、雑誌『GQ JAPAN』とのコラボレーションで鈴鹿サーキットにてイベントを開催する。また、「レーシングドライバーはジェントルマンである」という史実を鑑み、『GQ JAPAN』のディレクションでLEXUSのSUPER GTドライバーたちがダンヒルのスーツを纏うシーズンビジュアルを作成している。ファッションモデルさながらの16名のレクサスドライバーをぜひ見ていただきたい。
現代におけるジェントルマンである、レクサスのSUPER GTドライバーたち
現代におけるジェントルマンである、レクサスのSUPER GTドライバーたち

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