VISIONARYMAGAZINE BY LEXUS

CRAFTSMANSHIP

世界で一つの腕時計を一人で作り続ける
独立時計師、菊野昌宏──唯一無二の価値と物語

2017.08.07 MON
世界で一つの腕時計を一人で作り続ける独立時計師、菊野昌宏──唯一無二の価値と物語

独立時計師とは、組織に所属することなく時計作りを行う時計師のことだ。顧客から直接注文を受け、年産1本のペースで腕時計を手作りする独立時計師、菊野昌宏氏。彼はなぜ、世界でも希有なこの製作スタイルを選んだのか。その理由と時計作りに対する想いを聞いた。

(読了時間:約6分)

Text by Yasuhito Shibuya 
Photographs by Hiroshi Ikeda

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「独立時計師アカデミー」会員の中でも異色の製作スタイル

独立時計師とは、時計メーカーなどの会社組織に所属することなく、自らの名前で時計作りを行う時計師のこと。彼らは時計師として最高峰の技能の持ち主であり、独創的なデザインと画期的なメカニズムで時計愛好家を魅了する。時計王国・スイスには独立時計師協会(Academie Horlogere des Createurs Independants 略称A.H.C.I. 通称アカデミー)という組織があり、現在36人の正会員、8人の準会員、8人の殿堂入り会員がいる。フランソワ=ポール・ジュルヌ氏やアントワーヌ・プレジウソ氏、フィリップ・デュフォー氏など、時計界で大成功を収めた人物も多い。1983年生まれの菊野昌宏氏は、和時計から発想した独自の時計作りが協会のメンバーから高く評価され、2011年に準会員、2013年には正会員に迎え入れられた日本人初の独立時計師である。

そして菊野氏の製作スタイルは、アカデミー会員の中でも異色だ。たった一人でアイデアを練り、設計図を引き、歯車からバネ、文字盤、さらにケースまで、時計の構成部品のほぼすべてを自身の手作業で製作し、一人で組み上げる。
文字盤を製作中の菊野氏。顕微鏡を覗きながら糸ノコを使って手作業で文字盤を加工していく
文字盤を製作中の菊野氏。顕微鏡を覗きながら糸ノコを使って手作業で文字盤を加工していく
現在製作中の「和時計改」の文字盤の設計図。パンタグラフという機械で素材にこの図を転写する
現在製作中の「和時計改」の文字盤の設計図。パンタグラフという機械で素材にこの図を転写する
転写通りにドリルで一つ一つ、素材に穴を開け、さらに糸ノコで穴の間の金属を切り落としていく
転写通りにドリルで一つ一つ、素材に穴を開け、さらに糸ノコで穴の間の金属を切り落としていく
こちらは製作中のホワイトゴールド製ケース。これから何度もの研磨工程が待っている
こちらは製作中のホワイトゴールド製ケース。これから何度もの研磨工程が待っている
独立時計師の製作スタイルの基本は「手作り」だ。だが菊野氏ほど「ゼロから一人で、しかも手作業で作る」独立時計師は珍しい。多くの独立時計師は、自分一人ですべてを製作するのではなく、チームで分業して製作するスタイルを採る。ケース製作などは外部のスペシャリストに依頼する場合が多い。「確かに、ほかの人がやらない仕事も私は自分一人でやっています。ケース作りまで自分で行うのはたぶん私ぐらいです」。

技術の進歩は、必ずしも幸福につながらない

菊野氏が独立時計師として本格的に活動を開始したのは6年前の2011年。「当時は何も分からない状況でしたが、自分の手で一つずつ作品を作っていくうちに、自分の時計作りのスタイル、時計師としての立ち位置が少しずつ分かってきました」。

時計作りに限らずモノ作りは今、大きな危機、大きな転機に直面していると菊野氏は語る。「機能、性能の優れたものをできるだけ安く作って消費者に提供する。それがこれまでの、普通のモノ作りの目標でした。時計の世界ではクォーツ時計が一番の成功例でしょう。最初はクルマ1台分の価格でしたが、今では100円ショップで買えるものになった。クォーツ時計の性能や技術は素晴らしいものです。でも安くなった結果、その価値を高く評価し、作り手に感謝し、満足して一生大切に使ってくれる消費者はいなくなりました。時計に限らずほかのモノでも、機能や品質が優れていながら、安くてすごいモノがこの世界には溢れている。その結果、モノの価値に混乱が起きている。技術が進化しても、作り手や消費者が幸せになれるとは限らないのです」。

この混乱と不幸の原因は、モノと作り手、作り手と消費者、消費者とモノ、この3者の距離が、どれも離れ過ぎてしまったことにあると菊野氏は言う。

「作り手はモノ作りのごく一部にしか関わっていないので『自分が作ったもの』という気持ちが持てない。また消費者は作り手が何を考えどのようにモノを作っているのかが分からない。また技術がブラックボックス化されているので、消費者はモノの中の『物語』が分からない。だから、誰もが幸福になれないのでは」
歯車の下に児歯車の付いたカナ(pinion)と呼ばれる極小の歯車。歯の間を薄い木の円盤で研磨する
歯車の下に児歯車の付いたカナ(pinion)と呼ばれる極小の歯車。歯の間を薄い木の円盤で研磨する
指先と見比べると歯車のサイズがいかに小さいか、よく分かる
指先と見比べると歯車のサイズがいかに小さいか、よく分かる
磨き終わったカナ。研磨のため、針のような金属のプレートの先端に固定してある
磨き終わったカナ。研磨のため、針のような金属のプレートの先端に固定してある
クォーツ時計の対極にあったはずの機械式時計も、実は今、クォーツ時計と同じ問題に直面している。地球の重力が原因で起こる精度劣化を軽減する複雑機構「トゥールビヨン」も、かつては凄腕の時計師でなければ製作・調整が困難とされてきたが、工作機械の劇的な進歩で、もはや大量生産が可能だ。だから複雑時計の価格と価値は下がり続けている。

手作りするから、唯一無二の価値を持つ時計になる

「テクノロジーを謳う腕時計は、ハイテク機器と同じように1年ごとに古くなる。未来には残らないでしょう。私が作りたいのはその対極にある、時代を超えて人を感動させる、世界でただ一つの、唯一無二の価値を持つ時計です。そのためには、お客様に作る過程の『物語』をしっかりとお伝えして、理解していただくことが一番大事だと私は考えています。そこで、注文された時計の製作を始めるときは、お客様とどのような時計にするかを話し合います。そして私が部品を一つ一つ手作りして、時間をかけて組み上げていく。だからお客様にとっても私にとっても、製作の過程、待っていただく時間までが特別な思い出、物語になる。そして、出来上がった時計が世界でただ一つの、唯一無二の価値がある時計になる。お客様にはこの過程にも魅力や価値を感じていただいているようです」

現在まで6年間に菊野氏が顧客に納品した時計は8、9本。だがその1本1本が、世界でただ一つ、唯一無二の物語と価値を持つ腕時計だ。そして、現在の製作ペースは1年間に1本。「生涯で何本の腕時計が作れるか分からないけれど、自分自身が納得できる、後世に誇れる腕時計を作りたい」と、2011年当時から語っていた菊野氏。今後はさらに複雑な機械式時計の製作、また江戸時代の方法を使った和時計の製作にも挑戦してみたいと語る。

たった一人、手作業で、和時計など日本の伝統を採り入れた機械式時計の製作に取り組む菊野氏。その作品に世界中の時計愛好家たちが注目している。
「失われた和時計の製作技術を何とか再現したい」と語る菊野氏
「失われた和時計の製作技術を何とか再現したい」と語る菊野氏
代表作のひとつ「和時計改 暁鐘」。彫金師・金川恵治氏の手作業による彫りが施されている(受注生産)
代表作のひとつ「和時計改 暁鐘」。彫金師・金川恵治氏の手作業による彫りが施されている(受注生産)
作品の納品時は自ら撮影した写真で製作過程を収めたフォトブックを同梱。「製作過程をできるだけ伝えたい」
作品の納品時は自ら撮影した写真で製作過程を収めたフォトブックを同梱。「製作過程をできるだけ伝えたい」
菊野昌宏オフィシャルホームページ
www.masahirokikuno.jp
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