JOURNEY

田中開(The OPEN BOOK店主)前編

2017.05.19 FRI
JOURNEY

田中開(The OPEN BOOK店主)前編

2017.05.19 FRI
田中開(The OPEN BOOK店主) 前編
田中開(The OPEN BOOK店主) 前編

1980年代から90年代に生まれた、ミレニアルズ世代との対談録。当たり前のようにインターネットに触れ、さまざまな情報を咀嚼するなかで、いかにして革新的なアイデアを獲得してきたのか。既存の枠にとらわれない新しい価値観がここに。

(読了時間:約10分)

Text by Kaie Murakami
Photograph by Yosuke Torii

ゴールデン街の奥深さや若者の価値観を教えてくれる、26歳の友達

1980年代から90年代に生まれた若者たち、彼らはミレニアルズと呼ばれている。先生や先輩なんかいなくたって、インターネットにアクセスすれば、いつでも多くの情報に触れ、幾つかの選択肢から合理的に行動に移すことができる、そんな当たり前が物心ついた時からあった人たち、つまりデジタルネイティブとも呼ばれる世代だ。

常に情報に囲まれて過ごしてきたミレニアルズのなかには、多様な価値観を咀嚼しては、独自のサービス、プロダクト、表現として世の中に昇華している若者たちがいる。彼らはどのようにして革新的なアイデアを獲得してきたのか。この連載では、既存の枠にとらわれないミレニアルズとの対談を通じて、新しい価値観を浮き彫りにしていきたいと思う。

第1回目のゲストは、新宿ゴールデン街で「The OPEN BOOK」というバーを経営する田中開くん。

僕が開くんと知り合ったのは、彼が「The OPEN BOOK」をオープンさせて間もない去年の夏ごろのこと。お店を訪ねてからすぐに彼と友達になり、今では2週間に1度のペースで遊ぶ仲に。26歳の開くんは僕にゴールデン街の奥深さや若者の価値観を教えてくれる先生でもある。

「The OPEN BOOK」はバー・居酒屋というフレームを再編集し、開くんの祖父であり直木賞作家である故・田中小実昌さんの豊富な蔵書を中心とした本のレンタルシステムと、看板メニューのレモンサワー人気で一躍時の存在になっているわけだが、思えば僕は面と向かって彼と、その成り立ちや彼のこれからについて言葉を交わしていないことに気づいた。開くん、君はゴールデン街の一画で何を企んでいるのだろうか。

家族との別れを経て、ゴールデン街の住人に

今日は「THE FOUR-EYED」でとてもいい買い物をしたね。全盛期のピエール・カルダンのスーツを1万円で買えたんだから。当時20万円はしたんじゃないかな。

ガタイの大きい僕でも入りそうなやつがありましたよね。これからはスーツでいこうかな。「THE FOUR-EYED」はラブホテルの入口を抜けた奥地っていう立地もそうだし、洋服のセレクトの振り幅も面白いですよね。

センスのいい古着から、MARTIN ROSEの服(BALENCIAGAのメンズクリエイティブチームに加入した新進気鋭のデザイナー)まで置いてあってね。歌舞伎町、ゴールデン街はなかなか立ち入れない場所だと思っていたけど、「The OPEN BOOK」に行くようになって、開くんと仲良くなってから印象がガラッと変わったなあ。開くんに連れて行ってもらった「三日月」もすごく美味しいお店で。

「三日月」を経営されている海老沢さんご家族と田中家は三代の付き合いなんです。今のご主人は、僕の亡くなった母と同い年で高校生くらいから母を知っているし、ご主人が物心ついた頃からウチのおじいちゃん(直木賞作家の故・田中小実昌)は「三日月」に通っていたと聞いています。

開くん自身は、そもそも新宿になじみがあった人なの?

いえ、まったくないです。僕はずっと池袋で遊んでいましたね。買い物といえば池袋だったし、はじめて原宿に行ったのは19、20歳のときですから。表参道なんて22歳まで行ったことがなかったですし、新宿にいつ最初に行ったのかは憶えていなくて。ゴールデン街には僕が高校生のころに母が連れてきてくれました。お酒は飲んでいませんよ(笑)。だから、僕は新宿という街ではなくて、ゴールデン街にはなじみがあったという感じですね。僕が22歳のころに母が亡くなってしまうんですけど、当時はその喪失感に駆られて毎日のようにゴールデン街で飲んでいました。それからゴールデン街の「しの」で週2回バイトするようにもなって。

「The OPEN BOOK」を始める前にゴールデン街でバイトをしていたんだね。

時給1000円で1日5-6時間くらい働いていました。そもそも、僕は22歳まで1回もバイトをしたことがなかったんですよ。このまま働かなければ人として終わってしまうと思って、ある高級ホテルのバーに飲みに行ったんです。

どうしてホテルのバーに飲みに行ったの?

バイトするならお酒を扱う場所としてバーがいいなと思ったのと、ホテルのバーは接客も空間も行き届いている印象があったから、しっかりとした人間になれるんじゃないかと思って。でも、そのホテルのバーはイメージと違ったんです。グラスは汚いし、フロアの掃除は行き届いていないし、ただ接客が真面目なだけで僕の琴線にふれるものはなかったんですね。それで、ある日にふらっと「しの」に行ったら、帰りがけに「お前、来週からバイトのシフトに入れよ」と言われて、そのままお店の鍵を渡されました。1年2ヵ月くらいお世話になって、僕がお酒の作り方を教わったのは「しの」です。

ゴールデン街は田中家にとってなじみ深い場所なんだね。

でも母が生きていたら、ゴールデン街には飲みにくる程度で、数学の先生をやっていたと思います。僕、一応教員免許を持っているんですよ。母は2歳のころに父と離婚して、僕は女手ひとつで育てられてきたんです。それで、ゴールデン街にお店を構えようと思ったのは、本とお金が余っていたから、というのもあります。いま住んでいる練馬の家は僕の生家ですし、母とおじいちゃんの遺産も、おじいちゃんの蔵書も引き継いで、自分の手元にあるものでお店を始めてみようと思ったのが、そもそものきっかけです。

そう考えるとすごいね。大学4年生の22歳が全てを引き継いだわけだからさ。

田中家の遺産は「The OPEN BOOK」をオープンさせるまでの約3年間で豪快に使い果たしてしまいました。「しの」でバイトしていた時、出勤の日は営業前後にゴールデン街で飲んで練馬の自宅までタクシーで帰るという生活でした。だから、毎月バイト代よりも飲み代のほうが高かったですけど、よく言えば、街の経済に貢献していたという(笑)。とにかく毎日ひたすら酒を飲んでいたし、生意気にタクシー移動もしていました。あとは月に1回は海外旅行に行ったりして、お金を使い果たしたフィニッシュがお店の準備です。残高が少なくなってくると焦りを覚えて、ここで一発当てないとマズいなと思いはじめて、24歳のときにお店を作ったんですよね。

就職をするという選択肢はなかったんだ。

ありましたよ。1日だけ合同説明会に参加したんです。僕は私服で行ったんですけど、みんなスーツを着ていて「え、嘘だろ?」って衝撃を受けて。1日目だからこそ私服、それから徐々に就職活動に慣れ親しんでスーツを着るみたいなグラデーションがあると思っていたのに。先週まで一緒に飲んでいたやつらがいきなりスーツを着ていて、「みんな必死なんだ。そこまでして会社員になりたいなら僕は譲るよ」って諦めました。

結果よかったね。会社員にならなかったからこそ一気に視野が開けたわけだから。

たしかに。こうやってカイエさんとも知り合えていないですよね。僕の場合、やっぱり一般家庭の子と違ってフリーハンドで使えるお金が結構な額だったので、お金で経験を買えたというのは大きいと思います。あとは親がいないから何をやっても自己責任という立場も。

古き良き懐かしさを伝え続けて

「The OPEN BOOK」のプランはいつぐらいから具体的に進んでいったの?

2年前の今くらいの時期にこの土地と建物を買いました。この物件が空いていることは知っていたけど持ち主が誰なのかわからなくて。僕は法務局で登記簿から持ち主の住所を調べたんです。ここの持ち主は渋谷区に住んでいるおばあさんで、ただもう老人ホームに入っておられていて、たまたまその方のお家に送った手紙を甥っ子さんが読んでくださって、自分の身の上を明かしてお会いしていただきました。その時に「賃貸だと面倒だから売ってください」と交渉したんですね。甥っ子さんとやりとりを繰り返して、物件を買う最後のタイミングで持ち主であるおばあさんとお会いできて。

「The OPEN BOOK」の前はここにどんなお店が入っていたの?

1992年から更新がない廃墟でした。どうやら飲み屋を経営していた方が夜逃げしてしまったみたいで、僕とお店を手伝ってくれているチェリーの二人だけで解体工事をやったんですけど、家族写真のアルバムとか昔のボウリングの球やレジャーグッズが出てきて。体力的にもしんどかったですけど、思い出の品にちょっと切ない気持ちになりました。

「The OPEN BOOK」は田中小実昌さんの著書を中心に、田中家のたくさんの蔵書が置かれていて、しかもそれを借りることができるというアカデミックな仕上がりだけど、そこは意図していた?

してないですね。僕からしてみれば、自分のまわりにあるリソースでお店を作っただけなので。原稿用紙をメニュー表にしたのも家にいっぱい余っているから使っているだけですし。おじいちゃんの本は大別すると、エッセイ、哲学、旅モノ、たまに映画モノ。若い頃は翻訳家として、カーター・ブラウンとかレイモンド・チャンドラーの作品の翻訳もやっていたんです。

おじいちゃんが何者なのかはいつぐらいから認識していたんだろう。

母親が亡くなった22歳までほとんど認識していないです。母が亡くなってから家に独りで過ごすようになって、「僕は一体何者なんだろう」と思うようになったんです。その時にふと、おじいちゃんが書いた本を読んでみたら、直木賞の賞状とかが出てきて、「え、どういうこと?」と思って。ゴールデン街で飲んでいても、やたらとおじいちゃんのことを知っているものだから驚きました。

「The OPEN BOOK」はたしかに本がコンテンツのひとつだけど、今となっては圧倒的にレモンサワーのお店として認知されているでしょう。

9:1でそうですね(笑)。

でも、「The OPEN BOOK」は、レモンサワーだけを売ってるわけではないよね、お祖父さんの体験や蔵書も含めた田中家三代にわたる体験全てが商品になっているというか。実際に「The OPEN BOOK」ができてから、田中小実昌という名前の検索ヒット数は上がっているんじゃないかな。

60,70年代の古き良き懐かしさみたいなものって廃れていきがちじゃないですか。その良さを僕が真正面から説いたところで誰も見向きもしないのであれば、「The OPEN BOOK」という場所を経由して広めることで、まだ残り続けていく可能性があると思ったんです。

その人が死んだ後にしか見向きしてくれない、もしくは今は情報量がこれだけ増えているのだから、誰も見向きもしないまま終わっていく文化って沢山あるよね。本道をしっかりと守っていくという考えは否定しないけど、この時代においてはどんなやり方でもいいから情報とのタッチポイントを増やしていくのが最適解だよね。開くんのやり方は間違っていないよ。

本を貸すという仕組みを作ったのは、おじいちゃんの思想を広めたかっただけなんです。田中小実昌の思想がいろいろな人に届くように、僕はレモンサワーなりお店という空間を媒介として機能させたいんですよね。


後半では、田中開くんが理想とする「The OPEN BOOK」のあり方についてお送りします。
この記事の後編を読む
若干26歳にして新宿ゴールデン街を舞台に自身の店を経営する田中開くん
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年季の入ったゴールデン街のサイン
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この日は伊勢丹会館店の喫茶店「BUN」で待ち合わせてゴールデン街へ
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「THE FOUR-EYED」オーナーである藤田佳祐くん
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まさかのピエール・カルダンのスーツをお買い上げ。長身の開くんにはよく似合っている
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何気なくディスプレイされているドレス。プライスタグを手にとると、その値段はなんと20〜30万円だ
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三日月の暖簾を慣れたように潜っていく開くん
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暖簾を潜ると、カウンターの奥に貼られた味のある手書きメニューが視界に入る
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オーダーは開くんにお任せ。オールグリーン、オムレツ、ステーキの3つは鉄板メニューだ
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三日月を経営する海老沢さんと。息子さんは会社勤めしながら料理を修行中
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三日月を出てもまだ19時。ゴールデン街の夜はまだまだ長い
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ゴールデン街のマップ。こうして見ると、相当な数のお店が軒を連ねていることに気づく
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トイレに飾られた原稿は田中小実昌さんが開くんのお父さんと開くんのことを書いたもの。グッとくる
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店内の本は田中家の蔵書。田中小実昌さんの作品について解説する開くん
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田中小実昌さんの作品。エッセイ、哲学、旅、映画、翻訳など、そのジャンルは多岐にわたる
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生前の田中小実昌氏。俳優・殿山泰司氏との一枚
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カセットテープも本と同じように古き良き懐かしさの象徴だ
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「The OPEN BOOK」名物、現代的な解釈から作られたレモンサワー
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ホームグラウンドにて一枚。開くんと「The OPEN BOOK」のこれからが楽しみだ
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