STORY 04
物語は新章へ。
快進撃は続く。

-2025
- HIDEKI MATSUYAMA
- STORY 04
キャリア最高の瞬間は、物語の終わりではない。 マスターズ制覇の余韻が残る2021年の夏、松山は東京オリンピックで日の丸を背負った。母国でのメダル争いは最終盤までもつれ、3位タイに7人が並ぶ大混戦。松山は銅を決めるプレーオフで敗れたが、同年秋に日本で唯一のPGAツアー競技・ZOZOチャンピオンシップで優勝。悔しさを晴らすかのように圧巻の凱旋勝利を飾った。
2022年1月にはハワイでのソニーオープンを制覇。1983年に青木功が日本人として初めてPGAツアーを制した大会(当時ハワイアンオープン)で、次の歴史の1ページを刻んだ。
肉体の変化を受け入れ、新しいスタイルを確率。
ところが既にこの頃、 松山の肉体は変化のときを迎えていた。 同じ年の3月、深刻な首痛を発症。それをきっかけに、多くの試合で欠場や棄権を余儀なくされた。
当時31歳。有り余る体力に任せた、圧倒的な練習量をベースに戦う時期は永遠ではない。中堅世代に差し掛かり、上半身の再強化に取り組み、 スイングにも微調整を加えながら新しいスタイルを模索。 パワーに秀でた伸び盛りの若手選手が台頭するツアーで、かねて世界最高の呼び声高いアイアンショットに加え、近年はウェッジワークのテクニックをスコアメークの確固たる武器にした。
2024年、アジア人
最多勝利数を記録。
2024年はまさに復活の年。2月、ジェネシス招待で2年ぶりの白星を飾る。ツアー9勝目は韓国の崔京周(KJチョイ)と並んでいたアジア出身選手としての最多勝利数を更新。さらに8月のパリ・オリンピックで、東京で立てなかった表彰台に上がり、 ブロンズに輝くメダルを首にかけた。
国民の期待に応えた歓喜の2週後には、再びタイトルを重ねてみせるから、観る者は驚く。プレーオフシリーズのフェデックスセントジュード選手権でシーズン2勝目をマークし、エリート選手が集う最終戦・ツアー選手権に2年ぶりに進出。そして2025年、ハワイでの開幕戦ザ・セントリーでさっそく新シーズンの1勝目を掴んだ。
幾多の苦難から決して逃げることなく、第一線を駆け抜けてきたキャリア。 そのゴールはまだ、見えない。
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新聞は全国のレクサス店舗やゴルフ場で4月上旬配布予定です。


松山日記

今、思うこと

2024年が間もなく終わります。
今年は2月にジェネシスインビテーショナル、8月フェデックス・セントジュード選手権で優勝し、PGAツアー通算10勝目を挙げることができました。
そしてパリ五輪では金には手が届きませんでしたが、銅メダルを獲得。
シーズン最終戦のツアー選手権にもカムバックでき、全体的に良いシーズンだったと思っています。
思えば1月、シーズン開幕当初の世界ランキングは43位。苦しい滑り出しで50位から漏れたところで実に2年ぶりに勝てました。
昨年は首の痛みから「もうゴルフができないんじゃないか」と考えたこともあっただけに、まだ勝てる力があると実感できたことが自分自身の救いになりました。
取り戻した自信を失うことなく、来年はもっと活躍できるよう精一杯、頑張ります。
2025年も温かい応援をよろしくお願いします。
支えてくれた道具
これまでに優勝したときのものも、そうでないものも部屋にズラリ。成績が良くなかったり、あまり思い出がないものはメーカーの方に返したりしますが、基本的には自分で管理したいのは、捨てられない性格のせいもあるかもしれません。
縁があったり、すごく良いショットが打てたクラブは古いものもしっかり保管。
高校時代のものから、初めてマスターズに出場した時に使ったアイアンも大切に残しています。

