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2010年の日本オープンの最終日、同組でプレーしたハン・リー選手は「アイアンのタテの距離感がすごい」と。彼はそのラウンドの最終ホールでパットを入れ、松山選手と同スコア、トータル10アンダー、3位タイで試合を終えたのですが、その瞬間に見せたすごいガッツポーズは「本当に必死に、プロとして負けないように頑張った」という思いの表れだったようです。
 プロに転向した昨年、秋口から彼のサポートを担当し今年から米国に拠点を置いていますが、驚かされたのはそれから間もなくのことでした。メモリアルトーナメントで初勝利を飾る前、2月初めのウェイストマネジメント・フェニックスオープンで優勝争いを演じながら、結局4位に終わった時です。ホールアウトしてスコアを提出した直後、彼はひとこと「勝てなかったです」と言いました。正直僕の中では、もしかしたら「上出来でしょう」「よくやったと思っています」なんて言葉が出てくるのではと想像していました。前年の彼の活躍はもちろん知っていましたけど、その時はスポット参戦で勢いもあった。年間の実績ではありませんでしたから。それに手首の怪我と向き合ってもいました。でも「勝てなかった」と言うんです。「この選手は本気で優勝を狙ってプレーしていたんだ」と思い知らされて、感動しました。

アメリカの芝は日本とは違い、また土地によって種類が異なります。ウェッジのソールをこうしたら、ライ角をこうしたら、どうなる?と、色んなアイデアが浮かんでくるので、実際にそれを試してみたいと。その為に、何度でもクラブを調整するのが私たちの仕事。テストしてダメだったら、彼の頭の中から外していけばいい。試してみて、白黒を一つずつ付けていく。彼にしかわからない領域がありますが、それに出来るだけ近づいて具現化していくプロセスなのです。能力がズバ抜けているだけあって、松山選手の要求は確かに高いのですが、それを大変だと思うことはありません。求めているものがブレない選手なので。私たちの仕事は、プレーヤーの考え方や発言、それぞれのゴールがコロコロ変わると、対応が非常に難しい。シード選手だと、各メーカーのあらゆるギアを試すことが出来るようになります。しかしそうなると、自分の戻るべき場所が分からなくなっている選手も正直いるのではないでしょうか。松山選手はいろんなアイデアを出せますが、基本的な考え方が一貫している選手なので、どんなリクエストにも応えたいと思えるのです。ところで、初優勝を遂げたメモリアルトーナメントでは、18番ホールのティショットでドライバーのシャフトがティグラウンドに置いてあった集音マイクを支える鉄柱に当たり、折れてしまいました。

本人はその意識は無いと思うのですが、あの直後バーディを決めプレーオフ、そして勝ってしまうんだから…本当に素直に驚くとともに、こちらとしては彼の優しさを感じました。
ドライバーのスペアが無くて負けたとなったら、理由はどうあれ非難の矛先は担当である私だった。最終日会場にいなかった私は電話で彼に「優勝してくれてありがとう」と言いました。助けてくれてありがとう、という気持ちも込めて。
 松山選手にメジャータイトルを獲れるチャンスがある可能性を、私は感じています。好調な時、試合で勢いづいた時のプレーを見れば、やはり今までの日本人選手と比べて、それに最も近いのではないかと。それを、本人が一番信じているというのが大きいのではないでしょうか。選手が本気で夢や目標を信じていないと感じたら、周りの人間はそう思えません。そこに意思があり、確信がある。信じなくて何かが起こるほど甘い世界ではないはずです。
 私はアメリカに住んで15年になります。海外で生活をしていると、日本人としてのプライドや自尊心って、いつの間にか小さくなってしまうところがあると思うんです。どこかで外国の、私はアメリカの「圧倒的な力」を感じてしまう。

ただ、普段のふとしたこと、日本メーカーの自動車や電化製品などが高く評価されたりすると、それが誇らしく思える。大学生時代、一番仲が良かった友達がドイツ人でした。お互い、自分たちの国のつくる車にプライドを感じていて、よくお互い自慢しあっていたものです。日本車の優秀さというのは、そのくらい心の拠り所でした。同じような感情は、スポーツ選手の姿からも沸いてくるのです。アメリカに来たとき、メジャーリーグで野茂英雄さんがノーヒットノーランを達成して、それをアメリカのメディアが大きく取り上げたことが日本人としてたまらなく嬉しく、誇らしかった。
それは丸山茂樹さんや今田竜二さんが、PGAツアーで優勝した時も同じでした。海外に住んでいる日本人の方のほうが、世界で活躍しているスポーツ選手に勇気づけられると思うんです。松山プロも、きっとそういう存在になるはずです。だって私自身は、もう既に勇気づけられているんですから。フェニックスで「勝てませんでした」という言葉を聞いた時。メモリアルトーナメントで勝った時。
 日本人が、日本の道具で、メジャーで勝つ姿を、見てみたいですね。いつになるか分かりませんが、その時に一緒にいられることほど幸せなことはありません。

【プロフィール】

藤本哲朗(ふじもと・てつろう)

1973年、神奈川県生まれ。高校時代までを日本で過ごし、95年に渡米。フィル・ミケルソンらを輩出したアリゾナ州立大学卒業。在学中、通訳のアルバイトとして日本から来たプロゴルファーをサポートしたことからゴルフ業界に携わる。2004年1月に現在のダンロップスポーツに入社し、選手にクラブやボール等を提供するプロサービス担当に。10年に日本に帰国したが、松山英樹がPGAツアーに本格参戦した14年から再び米国へ。カリフォルニア在住。

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  • ゴルファーにとってのクラブやボールは、クルマにとってのタイヤと同じと言っていい。広大なアメリカ大陸を飛び回るツアープレーヤーの戦いに帯同し、ゴルフギアの面から彼をサポートする人物がいる。松山英樹に内在する人並み外れた感覚、そして可能性とは――

    意識を変えさせられた「勝てませんでした」

     松山選手との最初の出会いは2010年、霞ヶ関CCで行われたアジアアマチュア選手権でした。東北福祉大の1年生当時の彼はまだ線が細かったのですが、スイングがダイナミックで、いい意味で荒削りだという印象を持ちました。一緒に出場していた先輩の藤本佳則選手と、クラブ調整の為のサービスカーの前でキャッチボールをしていたのを思い出します。その大会で優勝しマスターズに出場、ローアマチュアを獲得したわけですが、その後、彼に対する評価の高さが契約プロたちの口から漏れるようになりました。小田孔明選手が話していたのは「アイアンの球の高さを出せる、あれだけ上からボールを止められる選手はそうはいない」というショットの潜在的な能力。

  • 2010年の日本オープンの最終日、同組でプレーしたハン・リー選手は「アイアンのタテの距離感がすごい」と。彼はそのラウンドの最終ホールでパットを入れ、松山選手と同スコア、トータル10アンダー、3位タイで試合を終えたのですが、その瞬間に見せたすごいガッツポーズは「本当に必死に、プロとして負けないように頑張った」という思いの表れだったようです。
     プロに転向した昨年、秋口から彼のサポートを担当し今年から米国に拠点を置いていますが、驚かされたのはそれから間もなくのことでした。メモリアルトーナメントで初勝利を飾る前、2月初めのウェイストマネジメント・フェニックスオープンで優勝争いを演じながら、結局4位に終わった時です。ホールアウトしてスコアを提出した直後、彼はひとこと「勝てなかったです」と言いました。正直僕の中では、もしかしたら「上出来でしょう」「よくやったと思っています」なんて言葉が出てくるのではと想像していました。前年の彼の活躍はもちろん知っていましたけど、その時はスポット参戦で勢いもあった。年間の実績ではありませんでしたから。それに手首の怪我と向き合ってもいました。でも「勝てなかった」と言うんです。「この選手は本気で優勝を狙ってプレーしていたんだ」と思い知らされて、感動しました。

  • アマチュアの試合であろうが、日本のプロの試合であろうが、PGAツアーだろうが、彼にとっては勝とうとしているゲームとしては、舞台がどこであれ変わらない。タイガー・ウッズやバッバ・ワトソンに圧倒的なパワーを見せつけられても物怖じしない。勝つことを信じている。自分も意識を変えなければいけないと思いました。日本人は、欧米人の方のパワーを目の当たりにして怯んでしまうことがあります。「排気量が違うんだ」と。でも彼は違った。こんなに頼もしい日本人がいる、世界の超一流レベルの選手と比べても「負けてない」と思える自信を持っている。だからこちらも考え方を彼と同じように変えないといけないと痛感しました。
     松山選手に溢れる自信や、堂々とした立ち振る舞い。それを「鈍感力」と表現されることがありますが、私にはとても違和感があります。物怖じしないのと鈍感とは違いますし、自信があるのと鈍感は違う。実際はすごく繊細な人間だと思います。「あいつは鈍いから何も感じていない」なんて言われるのは心外な話ですね。彼の繊細さ、ゴルフに対する緻密さはギアを選んだり、新しいものをテストしたりする姿に溢れています。

  • プロゴルファーはクラブやボールのわずかな違いにも気づく鋭い感覚を持っているのですが、それはトッププロになればより顕著で、以前の契約選手で当時世界ランク2位だったジム・フューリックのように感性に優れた選手は新しいボールをテストする際、始めにグリーン周りのチップショットでそのわずかな違いを見極めていきます。タイガー・ウッズも同じと聞いたことがあります。
    しかし松山選手は、まずパターで転がした段階でその違いをイメージすることが出来るのです。「このボールはアプローチの時によくスピンがかかりそうですね」なんて…。ここまでの選手はなかなかいるものではありません。

    日本人が、日本の道具で、メジャーを

     調子が悪い状態を助けてくれるクラブを選ぶのか、自分の調子が一番いい状態で、良いボールを打てるクラブを選ぶのか。松山選手はその後者でしょう。彼は四六時中ゴルフのことを考えていると思うんです。「どうやったら上手くなれるか?」と。だからアイデアが次々と生まれてきます。今シーズンはショートゲームを上達させる為に、徹底的にウェッジをテストしました。

  • アメリカの芝は日本とは違い、また土地によって種類が異なります。ウェッジのソールをこうしたら、ライ角をこうしたら、どうなる?と、色んなアイデアが浮かんでくるので、実際にそれを試してみたいと。その為に、何度でもクラブを調整するのが私たちの仕事。テストしてダメだったら、彼の頭の中から外していけばいい。試してみて、白黒を一つずつ付けていく。彼にしかわからない領域がありますが、それに出来るだけ近づいて具現化していくプロセスなのです。能力がズバ抜けているだけあって、松山選手の要求は確かに高いのですが、それを大変だと思うことはありません。求めているものがブレない選手なので。私たちの仕事は、プレーヤーの考え方や発言、それぞれのゴールがコロコロ変わると、対応が非常に難しい。シード選手だと、各メーカーのあらゆるギアを試すことが出来るようになります。しかしそうなると、自分の戻るべき場所が分からなくなっている選手も正直いるのではないでしょうか。松山選手はいろんなアイデアを出せますが、基本的な考え方が一貫している選手なので、どんなリクエストにも応えたいと思えるのです。ところで、初優勝を遂げたメモリアルトーナメントでは、18番ホールのティショットでドライバーのシャフトがティグラウンドに置いてあった集音マイクを支える鉄柱に当たり、折れてしまいました。

  • 本人はその意識は無いと思うのですが、あの直後バーディを決めプレーオフ、そして勝ってしまうんだから…本当に素直に驚くとともに、こちらとしては彼の優しさを感じました。
    ドライバーのスペアが無くて負けたとなったら、理由はどうあれ非難の矛先は担当である私だった。最終日会場にいなかった私は電話で彼に「優勝してくれてありがとう」と言いました。助けてくれてありがとう、という気持ちも込めて。
     松山選手にメジャータイトルを獲れるチャンスがある可能性を、私は感じています。好調な時、試合で勢いづいた時のプレーを見れば、やはり今までの日本人選手と比べて、それに最も近いのではないかと。それを、本人が一番信じているというのが大きいのではないでしょうか。選手が本気で夢や目標を信じていないと感じたら、周りの人間はそう思えません。そこに意思があり、確信がある。信じなくて何かが起こるほど甘い世界ではないはずです。
     私はアメリカに住んで15年になります。海外で生活をしていると、日本人としてのプライドや自尊心って、いつの間にか小さくなってしまうところがあると思うんです。どこかで外国の、私はアメリカの「圧倒的な力」を感じてしまう。

  • ただ、普段のふとしたこと、日本メーカーの自動車や電化製品などが高く評価されたりすると、それが誇らしく思える。大学生時代、一番仲が良かった友達がドイツ人でした。お互い、自分たちの国のつくる車にプライドを感じていて、よくお互い自慢しあっていたものです。日本車の優秀さというのは、そのくらい心の拠り所でした。同じような感情は、スポーツ選手の姿からも沸いてくるのです。アメリカに来たとき、メジャーリーグで野茂英雄さんがノーヒットノーランを達成して、それをアメリカのメディアが大きく取り上げたことが日本人としてたまらなく嬉しく、誇らしかった。
    それは丸山茂樹さんや今田竜二さんが、PGAツアーで優勝した時も同じでした。海外に住んでいる日本人の方のほうが、世界で活躍しているスポーツ選手に勇気づけられると思うんです。松山プロも、きっとそういう存在になるはずです。だって私自身は、もう既に勇気づけられているんですから。フェニックスで「勝てませんでした」という言葉を聞いた時。メモリアルトーナメントで勝った時。
     日本人が、日本の道具で、メジャーで勝つ姿を、見てみたいですね。いつになるか分かりませんが、その時に一緒にいられることほど幸せなことはありません。

  • 【プロフィール】

    藤本哲朗(ふじもと・てつろう)

    1973年、神奈川県生まれ。高校時代までを日本で過ごし、95年に渡米。フィル・ミケルソンらを輩出したアリゾナ州立大学卒業。在学中、通訳のアルバイトとして日本から来たプロゴルファーをサポートしたことからゴルフ業界に携わる。2004年1月に現在のダンロップスポーツに入社し、選手にクラブやボール等を提供するプロサービス担当に。10年に日本に帰国したが、松山英樹がPGAツアーに本格参戦した14年から再び米国へ。カリフォルニア在住。

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松山英樹は2014年1月よりLEXUSの所属となりました。

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