A TALE OF TWO SACRED SITES無数の神話に彩られた、2つの“聖地”を旅する

クルマで走ればその間100kmにも満たない距離に建つ「伊勢神宮」と「鈴鹿サーキット」。どちらも三重県の地に所在するが、片や皇室の祖先を祀り、2000 年の歴史を誇る社であり、もう一方は、近代モータースポーツの舞台として自動車の技術革新と数々の名勝負を目撃してきたレーストラックだ。
存在意義、歴史的役割、そして時間軸も両極端に対峙するふたつのランドマークだが、ともに色褪せることのない“神話”に彩られ、“巡礼”する人々(ファン)が年代を重ねても尽きることがないという点では共通項も多いといえる。
日本神話では主神とされる天照大御神が憤慨して身を隠したとされる有名な「天の岩戸」伝説に由来する水源から流れる河川が、牡蠣や真珠の養殖などの豊穣を大洋に与え、そこから生まれる自然の財が、地元の精神と経済の礎ともなっている。そんな神宮のご加護に抱かれた神秘の土地、伊勢の大地を「LEXUS LC500」で訪ねる旅に出る。

20年に一度の「式年遷宮」に必要な木材を育成する宮域林

かつては一世一代の大行事だった「伊勢参り」

およそ 2000 年の歴史をもち、三重の緑深き杉林に建つ伊勢神宮。天空から見守る太陽にも喩えられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っていることで知られる。日本に伝わる最古の歴史書「日本書紀」(奈良時代の 720 年に完成)に誕生の経緯が記される天照大御神は、日本の象徴である天皇家の祖先ともされ、また“八百万の神”と呼ばれるほど森羅万象すべてに神の存在を見出そうとするもっとも重要な“神”とされている。
そのため親しみも込めて「お伊勢参り」と称する伊勢神宮を参拝する巡礼の旅はいにしえの時代から続いている。平清盛や織田信長など日本を代表する歴代の名将も訪れているが、現代のように交通網が発達していなかった時代には、身分の上下に関わらず一世一代に実現できるかどうかという一大行事でもあった。そんな伊勢神宮がLEXUS LC500 で巡る“神話の旅”の最初の寄港地だ。

正殿は日頃のご加護に対する感謝を伝える場所

聖域と俗界の境界を成すといわれる五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、右に折れると玉砂利を敷き詰めた長い参道が現れ、眼前に広がる風景は、文字通りの神域だ。
さらに歩を進め、右に折れると、先ほど宇治橋の上から眺めた五十鈴川のほとりにアクセスできる。ここに鎮座するのが石畳に祀られた瀧祭神(たきまつりのかみ)だ。
「五十鈴川の守り神として古くから大切に祀られてきました。伊勢神宮には周辺域も含めると 125 もの神が存在します」。そう教えてくれたのは、写真家・森武史氏。伊勢神宮を撮影した写真集『「神宮の森」- 日本人のこころ』を上梓、正真正銘の神宮“オフィシャルフォトグラファー”だ。
「神様の数だけでなく、伊勢神宮は敷地も広大です。20 年に一度、神宮全域の設えを新調する『式年遷宮』(しきねんせんぐう)に必要な木材を育成する隣接の宮域林(きゅういきりん)は 5,500 ヘクタールほどもあるといわれています」。ちなみに比較のために一例をあげると、宮域林だけで、東京ドーム約 1,100 個分を占める計算になる。この規格外のスケールもまた伊勢神宮の大きな特徴だ。その森氏の先導に続いて、風の神を祀る風日祈宮(かざひのみのみや)、お酒の神を祀る御酒殿(みさかどの)、内宮神域の守り神などを参りながら、天照大御神が祀られる正殿へと進む。

日本の原風景が残るとも言われている伊勢志摩周辺は深い森が多い

伊勢神宮のご加護に抱かれた土地を走る

幹の太いもので樹齢 400 年〜 900 年といわれる大樹の合間を切り抜けるように拓かれた参道を進んでいくと、左手の高台に建物が現れる。これが年間 800 万人もの観光客が訪れる、お伊勢参りの最終目的地、正殿だ。
ここからは石段をのぼって正殿の入口、御門へと向かう。一般参拝者が足を踏み入れることができるのはこの御門まで。幾重もの垣根に囲まれた正殿本体を直接目にすることはできない。またお参りには付き物の賽銭箱が存在しない。
「天皇陛下以外はお供えが許されていなかったため賽銭箱はありません。また正殿は日頃のご加護に対する感謝を神様に伝える場所なので、個人的なお願いごとではなく、感謝の気持ちを伝えてください」と森氏。

萌え立つ草木に囲まれたアマネムのロビーエントランスにLC 500が佇む

お伊勢参りを終えて次に向かったのは「天の岩戸(恵理原の水穴)」。天照大御神が、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の暴挙に腹をたて、洞窟に身を隠したという有名な逸話に由来する場所だ。この洞窟から湧き出した清水が高さ 3m ほどの禊滝(みそぎたき)となって現前する。
この聖なる水は、のちに北に分岐し、伊勢神宮を流れる五十鈴川と、南へ注ぐ神路川へと姿を変える。前者は、二見興玉神社もある伊勢湾(かつてはここの浜で沐浴してから伊勢神宮へと参るのが通例であった)へ、後者は、牡蠣や真珠貝の養殖が盛んな的矢湾へと流れ込む。
天の岩戸に端を発する、伊勢神宮にもっともゆかりの深い清水が、豊穣な海を生み、その実りが伊勢志摩という土地の精神と経済を支えているのだ。
続いては一気にハンドルを南に切り、2016 年に開催された G7 伊勢志摩サミットでその名を知られるようになった英虞湾(あごわん)へと向かう。複雑に入り組んだリアス式海岸を特徴とする海辺に、地平線へと沈みゆく美しい夕日が映える絶景でも有名なエリアだ。
雄大で無垢な大自然を背景に、最高のおもてなしを提供するハイエンドなホテルが多い土地柄でもあるが、なかでも注目は、アマン・リゾーツが2016年にオープンした「アマネム」。アマン創業者、エイドリアン・ゼッカ氏が「日本の原風景が今も変わらず残る数少ない土地」と心ゆるがされた、伊勢志摩国立公園の広大な丘陵地に建つ。英虞湾を一望できるだけでなく、ステイ、食、スパ、ホスピタリティとすべてにおいて世界に知られる究極の“アマン・クオリティ”を体感できる。

高低差のあるS字コーナーも鈴鹿サーキットの特徴

モータースポーツの神話に彩られたサーキット

洗練されたおもてなしの提供を追求する LEXUS が、同じく世界各地で最高峰のおもてなしを提供するアマンに共感し、フラッグシップSUV「LEXUS LX」を大切な宿泊客の送迎車として提供するアマネムでの“体験”を終えた後、真紅の橋桁が眩しい的矢大橋など絶景ポイントを巡る「パールロード」を抜け、モータースポーツ史に数々の神話を刻んだ鈴鹿サーキットへと向かう。
F1 カレンダーでシーズン終盤にスケジュールされることから、年間世界チャンピオンを決定する “Title Decider(タイトル・ディサイダー)”の場となることも多かった鈴鹿サーキット。

空撮では立体交差がはっきりと見える。手前がホームストレート

特に 1980 年代後半には、アイルトン・セナ vs アラン・プロストの雌雄を競った、熾烈なライバル対決の舞台となり、F1 史を語るうえで欠かせない伝説の地となっている。その他にも、日本人初の F1 表彰台を飾った鈴木亜久里氏や、奇跡の 16 台ごぼう抜きの大逆転劇を演じてみせたキミ・ライコネン選手など、鈴鹿のモータースポーツ神話が尽きることはない。
鈴鹿サーキット建立の功労者は、本田宗一郎氏。全面舗装のトラックすら存在していなかった当時、モータースポーツにおける競争力の強化と自動車文化普及を目的に、観客席も備えた日本初のサーキットとして 1962 年にオープンした。用地に選ばれたのは、三重県鈴鹿市に広がる 50 万坪の丘陵地。未経験の本格的サーキット建設だったため、知見をもたなかった日本側のプロジェクトチームは、モンツァ(イタリア)やニュルブルクリンク(ドイツ)など欧州の主要サーキットの支配人連盟を率いていたオランダ人、ジョン・フーゲンボルツをアドバイザーとして招聘。設計、施工の監修だけでなく、ピットや音響設備などサーキットに付随する建物の配置、観客の導線設計、サーキット運営のマニュアル作成など各方面に尽力した。アマチュアながら自身も 2 輪レーサーであり、サーキット管理者を長く務めたフーゲンボルツの経験豊かな助言を得ることで、今の時代にも語り継がれる鈴鹿サーキットの原型が形づくられていったのである。

数々の名バトルを生んできたマジックアワーの1コーナー

世界でも珍しい“ 8 の字”レイアウト

「スプーンカーブで神を見た」(アイルトン・セナ)、「鈴鹿サーキットは、神の手によってつくられたコース」(セバスチャン・ベッテル)、「鈴鹿は夢のようなコース。ここでドライブするのはものすごくワクワクする」(ミハエル・シューマッハ)
歴代の名ドライバーが惜しまぬ賛辞を贈る鈴鹿サーキット。後年のマイナー改修はあるものの、現在の基本レイアウトは、フーゲンボルツの構想を具現化したオープン当時と変わることはない。1 周 5.807km というロングコースで、全部で 18 あるコーナーは、高速・中速・低速がバランス良く配置されているのが特徴だ。なかでも際立っているのが、サーキット中間部分にある立体交差を挟んで、右回りと左回りが同居する、世界でも珍しい 8 の字レイアウトを採用している点。これは周回方向が入れ替わることで「タイヤの磨耗がタイヤ両サイドに分散される」というフーゲンボルツの発想を生かしたものだといわれる。

周回方向が入れ替わる鈴鹿名物立体交差

下り勾配で全長 800m あるメインストレートをスタートすると、フルスロットルの高速域から一気にブレーキングしターンする第 1 コーナーと、続く中速の第 2 コーナーは右カーブが連続。その後S字コーナー、逆バンクと左右へリズミカルかつ正確にステアリングを刻んでいくことが求められるセクションが控えている。鈴鹿が“テクニカル”なコースと多くのレーサーに称される所以だ。
さらにドイツ人のオートバイレーサー、エルンスト・テグナーが転倒したことから名付けられたテグナーカーブ(「テグナーのような名手であっても転倒を喫する」という逸話とテグナーへの敬意から命名された)を通過。ここでくだんの立体交差下を走るアンダーパスを抜け、周回方向が右回りから左回りに変わる。その後、最低速までスピードダウンする左ヘアピンカーブを回り込むと、コース後半は、高速レイアウトにプロフィールが大きく変更する。そしてスプーンカーブ、全長 1,200m におよぶ西ストレートで最高速を記録し、最終的にホームストレートへと戻ってくる。文字で追っただけでもバラエティに富んだレースアクションが脳裏に浮かぶサーキットデザインだけに、百戦錬磨のドライバーたちが手放しに鈴鹿を礼賛するのも容易に想像できるのではないだろうか。

ポールポジションを獲得したLEXUS TEAM au TOM’S

「チャレンジングで走りがいのある鈴鹿」

日本最高峰の GT レース「SUPER GT」で LEXUS LC500 のステアリングを握る中嶋一貴選手もまた鈴鹿サーキットとゆかりの深いドライバーだ。2004 年の F3 第 1 戦でデビュー&初勝利を挙げたのみならず、2014 SUPER GT Round 6「43rd International SUZUKA 1,000km」では、「LEXUS RC F」を駆って自身初めての 1,000km 優勝を果たしている。本人も「鈴鹿は結果が良く、打率も高い」と相性の良さを実感している様子。
「小さい頃から訪れているので昔からよく知っているサーキットです。トラックも特徴的で 8 の字になっているところは鈴鹿ならではのポイント。ドライバーとしては走っていて楽しいコースですね。中高速のコースから 130R みたいなハイスピードのコーナーなど、サーキットのテクニカルな特徴がバラエティ豊かでチャレンジング。そこが面白さでもあり、難しいところでもあって走りがいがあるサーキットです」と鈴鹿を評する。

大観衆を前に抜群のスタートをきった中嶋一貴選手

ポール・トゥ・ウインで 2019 シーズン初優勝を飾る

その中嶋選手が、2019 SUPER GT Round 3「SUZUKA GT 300km RACE」で序盤から抜群のパフォーマンスを見せた。
「朝の練習走行からクルマのフィーリングは良かった」とLC500 を駆る中嶋選手が語るように、LEXUS TEAM の一つ「LEXUS TEAM au TOM’S」は公式練習でベストタイムをマーク。さらに予選でも好タイムを連発する快進撃で、「飛び出さなければ Q1を突破できると思っていた。安全に行き過ぎた部分もあったけれど無事に Q2 へ繋げられた」と語るように中嶋選手は Q1 で好位置の 6 位につけた。
さらに「関口選手の Q2 はしびれましたね」と振り返るように、チームメイトの関口雄飛選手が、Q2 でトップタイムを叩き出し、au TOM’S LC500 が予選 1 位でポール・ポジションを獲得することとなった。
SUPER GT の予選は Q1 、Q2 の 2 ラウンド制。Q1 で上位タイムを出した 8 台が次の Q2 へ進出し、最終的な決勝のスターティンググリッドを争う。

LEXUS勢による激しいトップ争いが繰り広げられた

全 52 周にわたって熾烈なバトルが繰り広げられる翌日の決勝も、照りつける強い日差しが鈴鹿を熱したが、LEXUS TEAM の勢いが衰える兆しはまったくなかった。
「中嶋選手にギャップを作ってくださいとお願いしていた」とは、関口選手の言葉だが、チームメイトの期待に応えるように、ファーストスティントを担当した中嶋選手はポール・ポジションから素晴らしいスタートを披露。オープニングラップだけで後続に 1.6 秒のギャップを築くなど天性のスプリント能力を見せつけたのだった。
SUPER GT は、1 チームあたり 2 人のドライバーを擁し、必ず 1 回はピットインしてドライバー交代を行うのが必須ルール。そのため最初のドライバーのセッションをファーストスティント、2 人目のセッションをセカンドスティントと呼ぶ。


その後も中嶋選手はトップのポジションをキープ。17 周目に後続マシンがコースアウトを喫したことでセーフティーカーが導入されたものの、22 周目の再スタート後も、ホワイト×オレンジのカラーリングを纏った LC500 を駆り立て、首位の座を守った。
そして 23 周目にピットイン。「ピットのタイミングも良かったし、ミスもなかった」と自身が語るように、LEXUS TEAM au TOM’S のメカニックたちは素早いピット作業で LC500 を再びサーキットに送り出した。「雄飛なら抜かれないと思っていた」と語る中嶋選手の期待に応えるように、セカンドスティントを担当した関口選手は安定した走りを継続しラップを刻んでいった。
その結果、「まずはほっとした。今日は完璧なレースだった」と中嶋選手が語れば、「成長を見せることができた。自分としては最高のレースだったと思います」と関口選手が振り返るように、au TOM’S LC500 がポール・トゥ・ウインで今季初優勝を獲得するという最高の結果を手にすることができたのである。


「お伊勢参り」と「鈴鹿サーキット参り」の両者を兼ねた今回の伊勢志摩ロードトリップ。道中に訪れた神宮ゆかりの土地はどこへ行っても、いたるところに神様の息吹が息づいているようで、普段とは趣きの異なる、身も心も自然と引き締まる旅路となった。
鈴鹿サーキットでは、LEXUS TEAM がポール・トゥ・ウインの完勝劇を披露。旅は最高のクライマックスを迎えたのだった。

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