ROADS TO INNOVATION時代を超越する革新の源流を辿る

スイス東部のアルプスを起点に、ドイツを中心とする中部ヨーロッパを北流して北海に注ぐライン川。全長 1,233km にもおよぶこの河川は、古代ローマ時代より中部ヨーロッパにおける南北の交通路として重要な役割を果たしてきた。今でもヨーロッパの大動脈であることに変わりはなく、石油、鉱石、自動車などを運ぶ貨物船から優雅なクルーズ船までが絶えず行き交い、周辺ではデュッセルドルフやケルンなどの大都市が発展してきた。左右に緩やかにカーブを描きながらゆったりと流れるこの大河は、こうして、彼の地の人々の営みを支え、文化を育み、後世に継承してきたのだ。
そして、途方もないほどに長く、左右にうねるようにつづくニュルブルクリンク。その姿もまた大河ラインのようであり、世界一苛酷と評されるこのサーキットも 1927 年に誕生して以来、自動車の技術や文化を半世紀以上にわたり育み、現在に伝えてきた。
この止まらぬ進化の舞台である二つの“大河”を、ニュルブルクリンク24時間レースに挑むLCのレースモデルと同じルーツを持つロードカー LEXUS LC500 で巡る旅に出た。

活版印刷とカリグラフィー、
“美しい文字”の伝承の現場を訪ねる

グーテンベルクの活版印刷が世界を変えた

ニュルブルクリンクへの旅の起点はドイツの金融と商業の中心都市フランクフルト。ここから LC500 でフランクフルト近隣の都市、マインツを目指す。フランクフルト空港から西北へ約 30 分の距離にあるこの街は、火薬、羅針盤と並ぶ世界三大発明のひとつとして知られる活版印刷を発明したヨハネス・グーテンベルク生誕の地であり、彼の名が冠された印刷技術の世界的博物館があるからだ。
15 世紀半ば、活版印刷機を完成させたグーテンベルクは、聖書の印刷にとりかかる。「それまで聖書は手書きされていたのですが、1 冊を書き上げるのに3年もの歳月を要しました。一方、彼は 3 年で 180 冊の聖書を印刷したのです」。同館ディレクター代理、Dr.シュッツ・ケームは語る。
現存する 49 冊のグーテンベルクの聖書のうちグーテンベルク博物館には、完全な状態のもの 1 部と不完全なもの 1 部が所蔵されている。照明が落とされた展示室のガラスケースに収められたそれらは、スタイリッシュなフォントの文字が 1 段 42 行で規則正しくレイアウトされているのが印象的。完璧主義者だったグーテンベルクは、字詰めが行により異なっても横幅が寸分違わず揃うよう、鉛合金の印刷用アルファベットを 26 個ならぬ 290 個も製作。テクストゥールという新しいフォントまで開発した。

その後、印刷技術は欧州各地にひろがり、限られた人だけのものだった文字が、大衆にも普及。本を介して皆が情報を共有できるようになったのだと、Dr.シュッツ・ケームは語る。「彼の発明があったからこそ、宗教改革も起きたし、自然科学や神学も発達しました。活版印刷は世界を変えたのです」。
グーテンベルク博物館を後にすると、アウトバーンには乗らず、一般道でのドライブを続ける。リューデスハイムやコブレンツといった風光明媚な観光地をたどるライン川中流上部は世界遺産にも登録されており、その絶景を楽しむためだ。左右に緩やかにカーブを描きながら、ゆったりと流れるライン川。両サイドの斜面にはブドウ畑が広がり、その峰にはライン川を見下ろすように古城が点在する。ドイツでのクルマ旅のハイライトともいえるシーンだ。
途中、カウブの町にさしかかると、川の中州に浮かぶ小さな古城が現れる。プファルツ城と名付けられたそれは、中世当時はライン川を行き来する船から税金を徴収するための税関だった。すぐ脇を横切る渡し船に乗り、当時に思いを馳せながらその奇妙な建物をしばし観察した。

ドイツに息づく美しい文字を大切にする文化

コブレンツからはライン川沿いの絶景に別れを告げ、ケルンを目指す。同地で活動する気鋭のカリグラフィーアーティスト、アグネッテ・ザーバッハ氏に会うためだ。ケルンの中心地にある彼女のアトリエを訪れると、さっそくカリグラフィーを実演してくれた。その繊細な筆づかいから描き出される芸術的な文字に思わず息をのむ。アグネッテ氏はカリグラフィーとイラストを融合させた独自のアート作品を手がけるなど、カリグラフィーによる新しい表現を追求している。
ギリシア語で「美しい書き物」を意味するカリグラフィーは、文字通りアルファベットをはじめとする文字を美しく見せるための手法として発明された。その起源は、古代ローマ時代の碑文であり、それが、カリグラフィーにおいて重要な書体の一つとされるローマンキャピタルの元となった。その後、記録媒体として紙が用いられるようになると、欧州各地でさまざまな書体が生み出されていく。
ドイツでは、中世よりフラクトゥールという装飾的な書体が使われてきた。ローマンキャピタルやイタリックなどイタリアで生まれた書体が曲線的で流麗なのに対し、フラクトゥールをはじめドイツ生まれの書体は、より力強く質実剛健なデザインが特徴だ。ドイツを訪れると、看板やレストランのメニューなど、さまざまな場所で目にするフラクトゥールだが、意外にも今ではドイツ人でも読めない人が多いという。
「その独特のデザインから、ドイツ人でも読めない人が多くなりましたが、私はフラクトゥールの表現の可能性の広さにとても惹かれます。カリグラフィーアーティストとして、この美しいフォントを今後も伝承していきたいと思います」。

ライン川を北上しながら、世界三大発明のひとつである活版印刷が生んだグーテンベルクの聖書、アグネッテ氏の古の文字を使った作品を目の当たりにし、この地には美しい文字を大切にする文化が受け継がれていることを実感する。
それらと同様に、自動車もまた人々の生活を画期的に変えたという意味において、人類にとっての一大発明であり、ここドイツには、モータリゼーションの発展に大きな影響を与え、ドイツの“自動車づくり”の技術と文化の継承路の役割を担うアウトバーンがある。いざアウトバーンを走りニュルブルクリンクを目指す。速度無制限区間で右足を踏み込めば、LFA から始まった LEXUS のハイパフォーマンスモデルの源流を受け継ぐ LC の V8 ユニットがビートの効いた咆哮を上げながら、あっという間に 200km/h の世界へと導く。ドライバーは、その途切れることのないドラマティックな加速に陶然とすると同時に、超高速域での落ち着いたふるまいにも感嘆させられる。アウトバーンを降りしばらくカントリーロードを走ると、サーキットを見下ろすように小高い丘にたたずむニュル城が見えてくる。

自動車の技術や文化を育む地
ニュルブルクリンク

世界一苛酷なサーキットと評される理由

ニュルブルクリンク(通称ニュル)─ドイツ北西部ラインラント=プファルツ州アイフェル地方の深い森の中に鎮座するこのサーキットには、2 つのコースが存在する。1984 年に新設された全長約 4.5km の近代的なグランプリコースと、全長 20km 超の世界でも類を見ない苛酷なサーキットとして知られる北コース、ノルトシュライフェだ。ニュルブルクリンク 24 時間レースでは、2 つのコースを組み合わせた 1 周 25km のトラックが舞台となる。
ノルトシュライフェの歴史は 1927 年に幕を開ける。当時、ドイツではすでにダイムラー・ベンツ、BMW、アウディといったメーカーが創業しており、自動車工業が興隆期を迎えていた。そんな時代背景から、レースや開発テストのための自動車専用コースの必要性が叫ばれるようになり、当時のワイマール共和国政府とアイフェル地方議会は失業者対策を兼ねた公共事業として建設を決定。1925 年の着工から 2 年の歳月を経て伝説のサーキットが産声を上げた。

コース設計にあたっては当時イタリア・シチリア島で行われていた、1 周 100km 以上の山岳路で競う公道レース「タルガ・フローリオ」のコースを参考にしたと伝えられている。アップダウンの激しい長距離の自動車専用コースが誕生したのは、公道レースが一般的だった当時の時代背景によるところが大きいのかもしれない。
1927 年からは F1 ドイツ GP が開催されるなど、ドイツを代表するサーキットとなったニュルブルクリンクは、1950 年代に入り戦争の傷が癒えると、ドイツにおけるモータースポーツの聖地のひとつとして脚光を浴びるわけだが、ニュルが伝説のサーキットとして現在に語り継がれる理由は、ひとえに世界でも類を見ない苛酷なサーキットコンディションにある。
全長 20km 超のエスケープゾーンがほとんどないトラックは、高低差が 300m にもおよび、カント(斜面)のついたすり鉢状のコーナーや超高速S字セクションをはじめ 170 以上の多彩なコーナーがレイアウトされる。車両の荷重が完全に抜けてしまうジャンピングスポットの先に高速ブラインドコーナーが待ち受ける、といったマシンにもドライバーにもスリリングなシーンが次々に展開される。ここを1周走ると、一般道での 2,000km 以上に相当するストレスが車両にかかるといわれるほどなのだ。F1 ワールドチャンピオンに 3 度輝いた歴史的 F1 ドライバー、ジャッキー・スチュアートをして、“グリーンヘル(緑の地獄)”と言わしめたゆえんである。

「24 時間レースはル・マンもスパ(・フランコルシャン)も、アメリカのデイトナもありますが、ニュルが最も“野蛮”なレースだと思いました」。昨年から LC で参戦している中山雄一選手もそう語る。ドライバーの些細なミスが、ここでは大クラッシュに直結するからだ。
「例えば高速コーナーですが、ラインが本当に 1 本しか存在せず、少しでも外すとタイヤが縁石にヒットしてマシンが跳ね上がってしまうようなシビアなコーナーが多い。これまで何百周何千周と走り込んできましたが、ニュルでステアリングを握る際は常に恐怖心が芽生えます」
実際、1976 年の F1 ドイツ GP で、ニキ・ラウダがレース中にクラッシュし炎上する事故が起きたことは、2014 年に公開された映画『RUSH』で描かれたこともあり、つとに知られている。この事故以来、ノルトシュライフェでF1グランプリが開催されたことはない。

ニュル 24 時間参戦は開発プログラムの一環

難攻不落のトラックゆえ、現在では世界各国のクルマメーカーやタイヤメーカーが、インダストリアルプールと呼ばれる開発テスト専用の時間枠を使ってさまざまな走行テストを実施している。
もちろんそれは、LEXUS とて例外ではない。実は LC が 2018 年よりニュル 24 時間レースに参戦しているのも、同車のパフォーマンスをさらに磨き上げるための開発プログラムの一環なのだ。「2019 年型 LC のレースモデルについても、将来のロードカーに搭載することを想定したさまざまな技術を織り込んで、レースカーとして走らせています」とは、当時の市販車 LC 開発チームを率いたチーフエンジニアの弁だ。
「ニュルではドライバーはみな命がけで走っているという思いが強いから、テスト車両をよりシビアに分析し、開発陣に何が足りないのかを情熱をもって伝えることができる。クルマを育てる場として、まさに最適だと思います」。中山選手も、ニュルでの開発テストがいかに重要かを力説する。

ニュルブルクリンク周辺を走っていると、自動車メーカーやタイヤメーカーの名が掲げられた倉庫のような建物が点在していることに気づくだろう。各メーカーの前線基地となるファクトリーだ。なかにはメーカーの施設には見えない、瀟洒なガレージを利用したようなところもあるから、ニュルを訪れたら、ファクトリーを巡ってみるのも一興である。彼らは、トラックのみならずニュル周辺の一般道路でも走行テストを行っているから、デビュー前のテスト車両を目撃することもしばしばだ。
“緑の地獄”と評されるノルトシュライフェだが、実は一般ドライバーにも解放されている。週末ともなれば、数多の伝説的レースの舞台となったトラックを自らのドライブで堪能しようというカーガイが、ヨーロッパ中から愛車を駆ってやって来る。
また 24 時間レースの際には、コースサイドはキャンピングカーやテントで埋め尽くされ、バーベキューを楽しみながら観戦するファンの姿がおなじみとなっている。欧州において、モータースポーツ文化がいかに深く根付いているかが分かるだろう。
ニュル 24 時間レースをはじめとするレースを観戦するために、世界中のメーカーがしのぎを削る開発現場を目撃するために、そしてみずからドライバーズシートに収まり、伝説の舞台に立つために──このサーキットには世界中からエンスージアストが押し寄せる。あなたも一度、自動車大国ドイツが誇る“聖地”を訪れてみてはどうか。

LC のパフォーマンスを磨き、
クラス優勝を果たした 24 時間レース

大幅な変更が施された 2019 年型 LEXUS LC500

47 回目となる 2019 年のニュルブルクリンク 24 時間レースは、2018 年大会より 1 カ月ほど遅い 6 月 20 日から 23 日にかけて、伝説に彩られたサーキットを舞台に開催された。LEXUS は 2018 年に続いて、LC のパフォーマンスを磨き上げるための開発プログラムの一環として同モデルを投入。土屋武士選手、蒲生尚弥選手、松井孝允選手、中山雄一選手という現在の日本のレース界を牽引する4名のドライバーを引っ提げて、世界一苛酷とも評されるこのレースにチャレンジした。
今年のマシンについて、チーフメカニックの関谷利之氏は「2018 年の弱点を克服すべく、大幅に変更した」と自信をのぞかせる。具体的には重量配分や重心を改善したほか、ダウンフォースを増やすべく空力デバイスも一新。エンジンもリストリクターの装着に合わせて改良するなど細部まで熟成が図られた。

事実、2019 年型 LC はドライバーからの評価も高く、中山選手は「バンプの多いコースだが、安定性が高くなったので、自信をもって攻めていけるようになった」と語る。2019 年型モデルはリストリクターの影響でエンジンパワーが約 5% も抑えられたことから、一周のタイムは 2018 年型モデルと大きく変わらず、20 日(木)、21 日(金)に行われた予選のリザルトも総合 35 位に甘んじた。しかし、関谷氏は「クルマの安定性が向上したので、1 ラップではなく、8 ラップの 1 スティントで比べたら速くなっている」と冷静に分析した。
「ニュルブルクリンクはアップダウンが激しく、ブラインドコーナーも多い。170 箇所のコーナーもグリップ感覚が違うので、すべてのコーナーが難しい」。そんな中山選手の言葉を裏付けるように、22 日(土)15 時 30 分に幕を開けた 2019 年の決勝レースでもクラッシュが続出。序盤から数多くのマシンが脱落するサバイバルレースが展開されることとなった。

観客にとっても特別なニュル 24 時間

そんななか、スタートドライバーの蒲生選手が駆る LEXUS LC は心地良いエキゾーストサウンドを響かせながら順調にラップを重ね、その後、松井選手、中山選手へとバトンをつないでいった。中山選手がイエロー区間で減速した際、後方を走っていた GT3 マシンがリアに接触するというトラブルが起きたが、ディフューザーが欠けた程度で済んだため、次のドライバー交代の際に補修することで事なきを得た。
日没となる 22 時を過ぎると、トップ争いを繰り広げていたメルセデス AMG GT3 をはじめ、コースのいたる所でクラッシュが続出したが、LC はスタートから 6 時間後の 22 時 30 分の時点で 27 位にポジションアップするなど、相変わらず順調にレースを戦っていた。
しかし、スタートから 7 時間 30 分が過ぎた 23 時ごろ、突如ハプニングに見舞われる。松井選手がドライバー交代のタイミングでピットインした際に、トランスミッションの不調を訴え、確認するとトランスミッションにオイル漏れが発生していたのだ。レース途中でトランスミッション交換を実施することになり、沈痛な空気に包まれたピットだったが、メカニックたちの尽力により、23 日(日)午前 1 時 30 分にはレースへ復帰した。

「夜間はコースが闇に包まれるうえ、気温の低下でエンジンやタイヤに対する条件が良くなるぶんスピードが高まるから、さらに難しい」。中山選手はナイトセッションについてそう語ったが、LEXUS LC はハイペースでラップを消化し、次々にポジションをアップしていく。
夜明け後も順調に周回を重ねた同車は、23 日(日)の 15 時 30 分、133 ラップでチェッカーを受け、2 年連続で 24 時間レースを走破。ピット作業で2時間のタイムロスを強いられながらも、SP-PRO クラス 1 位、総合 54 位で完走を果たした。
「決勝レースではベストタイムを記録できたし、ニュルという魔物に飲み込まれずに LC のパフォーマンスを 100% 引き出す走りができました。とても満足しています。また次回も参戦して、LC をさらに良いクルマに仕上げていきたい」。レース中、30 分ほどしか睡眠をとれなかったという中山選手だが、疲れを感じさせない力強い口調で、来年への抱負を語った。
一方、関谷氏は「事前に 7,000km 走り込んでも出なかったトラブルが、本番で起きてしまう。それがニュルブルクリンク 24 時間の難しさ」と悔しさを滲ませる。しかし、この比類なき苛酷なレースに挑む経験が、LEXUS LC のさらなる進化につながることは間違いないだろう。

今回、ライン川をたどる旅で印象的だったのは、テクノロジーが進化し、時代が大きく変わった現代においても、文字や自動車といった人々の生活を支える必要不可欠な“モノ”は、形を変えつつも常に進化しながら生き続けているということだ。紙や印刷の技術は、いまデジタル媒体に取って代わられようとしているが、“美しい文字”は人の手を通じて次の時代にも“表現の進化”を重ねて受け継がれている。
自動車についても、電動化やコネクタビリティ、自動運転などのテクノロジーが注目を集めるなど、自動車を取り巻く環境が大きく変わりつつあるが、「走る・曲がる・止まる」という自動車において最も基本的な性能-生まれ持った使命は、現代でも変わらず必要不可欠である。それらの性能をひたすら磨き続けるために、LEXUS は世界一過酷なニュルブルクリンク 24 時間レースにチャレンジし、常に進化し続けているのである。

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