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 その翌年以降も顔を合わせる様になりましたが、中学1年生の時に「かなり上手くなっている。これは将来的に有望な選手だ」と強く感じました。印象的だったのが、まず彼が持つ雰囲気ですよね。ジュニアの試合で出していたスコアももちろん良かったのですが、真面目そうで、なにせ目が輝いていた。3年生にもなれば、きっと全国の高校から注目される事になる。ですから中学にゴルフ部のある明徳義塾への編入を勧めました。
 今では想像もつかないかもしれませんが、中学生の時は他の生徒と比べても体が小さく、飛距離もそれほど出る方ではありませんでした。ただ、とにかくよく練習をする選手で、中学生の時に怪我をしても、試合に出ることを止めようとしない。親御さんに相談しても「本人に任せている」と。ギブスを巻いて試合に出て、全国大会出場を決めた事もありました。
 学年が上がるにつれ、どんどん背が伸び、ボールも飛ぶ様になりましたが、それで彼が努力を惜しむことはありませんでした。寮での集団生活は毎日の時間の使い方が決められていましたが、朝は早朝5時には起床して自主練。夕方6時に全体の練習が終わった後も、真っ暗になっても電灯を点けて熱心にやっていました。

明徳義塾の卒業生には女子プロの横峯さくらもいますが、彼女も非常に良く似た生徒だったと思います。変な邪念がなく、2人とも口下手でシャイでしょう?とにかくゴルフが好きで、暇さえあればクラブを握っていた印象です。
 英樹は昔から高校卒業後のプロ転向を考えていましたが、当時、私はそれがどうもしっくりきませんでした。言い方は悪いのですが、彼ほどの選手が小さな四国という地域でプロになっても…という想いが少なからずあったのです。本人にも「もっともっと、大きなプロゴルファーにならなくてはいけないよ」と。ですから「お前、そんなんやったらアメリカに行くか?」と言ったんですよ。
そうしたら彼は間髪入れずに「行きたいです!」と答えました。結局その時は、道が上手く開けなかったのですが、東北福祉大に進学した事が、一層の成長を促してくれたと思います。
 当時既に多くのプロゴルファーを輩出していた東北福祉大を選んだのは、日本一のチームだという点もありましたが、一年の中で「オフ」があることが選択の大きな決め手でした。例えば高知のように、日本には一年中ラウンドが出来る土地もあります。しかし仙台には雪の季節がある。ラウンドが出来ない時期があるからからこそ、長い時間じっくりと自分のゴルフと向き合ったり、プレー出来る喜びを感じられたりする。

 大学受験の引率の帰りに「4年間、大学に行ったらゴルフはもう辞めなくてはいけないよ」と厳しい言葉をかけなければいけない生徒も多くいました。「いつまでも親の脛をかじるのではなく、まずは自分で稼げるように自立しなくてはならない。それでもどうしてもゴルフがやりたければプロになればいい」と。プロとアマチュアの世界は全く違います。その厳しい世界でやっていくためには、甘い考えで大学に行ってはいけません。
 その点で、英樹の場合は親御さん同様「将来はプロゴルファーになる」という強い思いが高校生の時からあり、考え方が自立していました。大学時代も特定の誰かに教わるという訳ではなく、自分で、時には仲間と相談したりして技術を向上させてきたそうです。その強い意志の一方で、彼は小さい頃から、中学校、高校、大学と心身共に、段々と大きくなっていった。最近では中学生、高校生でプロに負けないようなスコアを出す選手もいますが、英樹の場合はそう、ゆっくりと成長したのが良かったと思います。
 彼は学校が好きなんですよ。日本ツアーで賞金王になって大活躍した去年も、ひょっこり学校に来てくれたんです。ゴルフ練習場に顔を出してくれた後、一人職員室に入っていくんです。

OBの元横綱・朝青龍関が来た時なんかには、学校をあげて出迎えたりしたものなんですが…英樹は自分から昔の担任の先生のところに行って「せんせーい!」と、普通に接している。みんなが逆にびっくりしてしまいますよね。
 自分がスターであるとか、注目を集める存在であるという事を深く感じていない部分があるでしょう。多少は自覚が必要ですが、そういう類の話を好まない。ライバルを持つこともあまり好きではないし、ただ黙々と自分のやるべき事に取り組んできた。これからもきっと同じはずです。だから大きな夢はあっても、「将来どんな生活をしたい」とか「どんな自分になりたい」といったことは、考えてないんじゃないですか。卒業してからまだ数年ではありますが、顔つきも高校時代と変わりません。ただ、テレビのインタビューなどを聞いていると、大分話が上手くなったなあとは思いますけどね(笑)。
 プロ転向の直前から、現在もキャディを務めている進藤大典も、明徳時代の教え子です。彼も昔から本当に根が真面目で、いい子だった。最近も体力を落とさないように英樹共々トレーニングを一生懸命やっているそうです。2人とも、もっと大きくなって欲しいと願っています。

【プロフィール】

高橋章夫(たかはし あきお)

1949年生まれ。学生時代は野球でならし、両親の事業を手伝った後、明徳義塾中学開校直後の70年代から野球部を率いる。その後のゴルフ部創設にともなって監督として指導にあたり、横峯さくらほか多くのプロゴルファーを輩出。礼節を重んじる教育方針で全国屈指の強豪校に育て上げ、2013年に定年退職した。

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  • 幼い頃、父の教えを受けてクラブを握った彼は、その才能を地元四国でゆっくりと育んだ。成長過程で欠くことの出来ないターニングポイントが、親元の愛媛を離れ、高知に移り住み、明徳義塾中学・高校で過ごした5年間の月日。かつての恩師が語るジュニア時代から随所に見られた大器の片鱗とは――

    邪念なく、口下手でシャイな性格は
    中学時代から

     最初に英樹と出会ったのは彼がまだ小学校高学年の頃でした。お父様の幹男さんに連れられて、明徳義塾中高の選手達が出場していた試合、愛媛県松山市で行われていた四国ジュニアという大会に足を運んだ時の事です。アテスト係を務めていた私は当時「頑張ってね」とか「将来は強くなって明徳に来てよ」といった他愛もない言葉をかけていたのを覚えています。

  •  その翌年以降も顔を合わせる様になりましたが、中学1年生の時に「かなり上手くなっている。これは将来的に有望な選手だ」と強く感じました。印象的だったのが、まず彼が持つ雰囲気ですよね。ジュニアの試合で出していたスコアももちろん良かったのですが、真面目そうで、なにせ目が輝いていた。3年生にもなれば、きっと全国の高校から注目される事になる。ですから中学にゴルフ部のある明徳義塾への編入を勧めました。
     今では想像もつかないかもしれませんが、中学生の時は他の生徒と比べても体が小さく、飛距離もそれほど出る方ではありませんでした。ただ、とにかくよく練習をする選手で、中学生の時に怪我をしても、試合に出ることを止めようとしない。親御さんに相談しても「本人に任せている」と。ギブスを巻いて試合に出て、全国大会出場を決めた事もありました。
     学年が上がるにつれ、どんどん背が伸び、ボールも飛ぶ様になりましたが、それで彼が努力を惜しむことはありませんでした。寮での集団生活は毎日の時間の使い方が決められていましたが、朝は早朝5時には起床して自主練。夕方6時に全体の練習が終わった後も、真っ暗になっても電灯を点けて熱心にやっていました。

  • 明徳義塾の卒業生には女子プロの横峯さくらもいますが、彼女も非常に良く似た生徒だったと思います。変な邪念がなく、2人とも口下手でシャイでしょう?とにかくゴルフが好きで、暇さえあればクラブを握っていた印象です。
     英樹は昔から高校卒業後のプロ転向を考えていましたが、当時、私はそれがどうもしっくりきませんでした。言い方は悪いのですが、彼ほどの選手が小さな四国という地域でプロになっても…という想いが少なからずあったのです。本人にも「もっともっと、大きなプロゴルファーにならなくてはいけないよ」と。ですから「お前、そんなんやったらアメリカに行くか?」と言ったんですよ。
    そうしたら彼は間髪入れずに「行きたいです!」と答えました。結局その時は、道が上手く開けなかったのですが、東北福祉大に進学した事が、一層の成長を促してくれたと思います。
     当時既に多くのプロゴルファーを輩出していた東北福祉大を選んだのは、日本一のチームだという点もありましたが、一年の中で「オフ」があることが選択の大きな決め手でした。例えば高知のように、日本には一年中ラウンドが出来る土地もあります。しかし仙台には雪の季節がある。ラウンドが出来ない時期があるからからこそ、長い時間じっくりと自分のゴルフと向き合ったり、プレー出来る喜びを感じられたりする。

  •  恵まれない環境が人間を強くする事もあるはずです。私が明徳義塾でゴルフ部を指導し始めた頃は、施設面でも未熟で、食堂から貰ってきた大量の発泡スチロールをカッターで刻んで、ボール代わりにしていた程でした。与えられた環境に甘えてダラダラと練習するのではなく、一年を通じてメリハリのある生活を送って欲しかった。例えショットの練習が十分に出来なくても、体作りをしたり、パッティングを重点的に鍛えたりする事は出来るのです。そういう地域性は将来きっと力になるはずだと、英樹には伝えました。
     中高生の頃から彼が他の生徒とは違っていたのが、ゴルフに対する考え方でした。選手は通常、大会に向かって練習するものです。そして出場した大会について満足したり、反省したりする。でも彼が試合以上に充実し、楽しく感じているのは練習中のような気がしてなりません。大会に出ても、帰って練習するための課題を探している。マスターズに出て、例え良い成績を残したとしても、パターが駄目、ショットが駄目と言ってばかりでしょう。それも真剣に。だから私は彼がまだまだ進化していくように思えてなりません。

  • 寮生活 高校時代と変わらない顔つき

     我々指導者は寮生活で中学生、高校生を親御さんから預かる訳ですから、生徒たちの"父親、母親代わり"という考えを持たなくてはなりません。偶には食事を作ったり、ラーメンを食わせたり…といった具合に、部活動以外の時間も、良い所だけでなく、様々な部分を理解して付き合っていくのです。ですからゴルフを教えるという事よりも、ゴルフを通じて教育する事を重要視する必要があります。中高のゴルフ部はプロゴルファー養成所ではありません。いずれゴルフを止める子も、プロゴルファーになる子も基本的な育て方は同じです。
     プロゴルファーとして成功するかしないか。それを分けるのは人から教わること以前の問題なのではないかと感じます。私たちは普段の生活の中でゴルフに興味を持つように、真面目に取り組むように教育していきますが、英樹はこちらが放っておいても大丈夫な子でした。スイングがどうこう、という話ではありません。本当に熱心な生徒はゴルフ雑誌を読んだり、理論を考えたりと、自分から様々なものを吸収し、勉強する事が出来るのです。

  •  大学受験の引率の帰りに「4年間、大学に行ったらゴルフはもう辞めなくてはいけないよ」と厳しい言葉をかけなければいけない生徒も多くいました。「いつまでも親の脛をかじるのではなく、まずは自分で稼げるように自立しなくてはならない。それでもどうしてもゴルフがやりたければプロになればいい」と。プロとアマチュアの世界は全く違います。その厳しい世界でやっていくためには、甘い考えで大学に行ってはいけません。
     その点で、英樹の場合は親御さん同様「将来はプロゴルファーになる」という強い思いが高校生の時からあり、考え方が自立していました。大学時代も特定の誰かに教わるという訳ではなく、自分で、時には仲間と相談したりして技術を向上させてきたそうです。その強い意志の一方で、彼は小さい頃から、中学校、高校、大学と心身共に、段々と大きくなっていった。最近では中学生、高校生でプロに負けないようなスコアを出す選手もいますが、英樹の場合はそう、ゆっくりと成長したのが良かったと思います。
     彼は学校が好きなんですよ。日本ツアーで賞金王になって大活躍した去年も、ひょっこり学校に来てくれたんです。ゴルフ練習場に顔を出してくれた後、一人職員室に入っていくんです。

  • OBの元横綱・朝青龍関が来た時なんかには、学校をあげて出迎えたりしたものなんですが…英樹は自分から昔の担任の先生のところに行って「せんせーい!」と、普通に接している。みんなが逆にびっくりしてしまいますよね。
     自分がスターであるとか、注目を集める存在であるという事を深く感じていない部分があるでしょう。多少は自覚が必要ですが、そういう類の話を好まない。ライバルを持つこともあまり好きではないし、ただ黙々と自分のやるべき事に取り組んできた。これからもきっと同じはずです。だから大きな夢はあっても、「将来どんな生活をしたい」とか「どんな自分になりたい」といったことは、考えてないんじゃないですか。卒業してからまだ数年ではありますが、顔つきも高校時代と変わりません。ただ、テレビのインタビューなどを聞いていると、大分話が上手くなったなあとは思いますけどね(笑)。
     プロ転向の直前から、現在もキャディを務めている進藤大典も、明徳時代の教え子です。彼も昔から本当に根が真面目で、いい子だった。最近も体力を落とさないように英樹共々トレーニングを一生懸命やっているそうです。2人とも、もっと大きくなって欲しいと願っています。

  • 【プロフィール】

    高橋章夫(たかはし あきお)

    1949年生まれ。学生時代は野球でならし、両親の事業を手伝った後、明徳義塾中学開校直後の70年代から野球部を率いる。その後のゴルフ部創設にともなって監督として指導にあたり、横峯さくらほか多くのプロゴルファーを輩出。礼節を重んじる教育方針で全国屈指の強豪校に育て上げ、2013年に定年退職した。

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松山英樹は2014年1月よりLEXUSの所属となりました。

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