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開幕前のプロアマ戦の途中、英樹が「フルショットが出来そうだから、行ってみてもいいですか?」と聞くんです。しかしやはり本来の調子には程遠い。トーナメントには欠場者が出た場合に出場権が巡ってくるウェイティングの選手達がいます。彼らの準備を考え、ホールアウトしてからすぐに翌朝のプレーを断念する事を決めました。
 ソニーオープン当時の状態がベストな状態の10〜20%位だとすると、復帰した2週後のファーマーズインシュランスオープンは30〜40%ほど。ハワイから米国本土に渡る機内でも低周波治療器を当てるなど、移動時間も無駄に出来ませんでした。優勝争いに加わったウェイストマネジメントフェニックスオープンの時も50%程度。フェアウェイからのショットであれば患部への負担は少なく済みますが、ラフから打つ時は私自身、かなり心配していました。どの場面で痛くなるか分からず、片時も目が離せない状態でした。
 春先に一時帰国した際、私は知り合いに片端から知り合いに話を聞きました。「先生だったらどうしますか?」と。日本ツアーには優れたトレーナーが多くいて、先輩、後輩を問わず、少しでも情報が欲しかった。僕が治せないのに、プライドを持っていても仕方がない。
とにかく英樹の痛みを取ってあげたいと、多くの人々が協力してくださいました。

ただ、17番はフェアウェイど真ん中からボギーを叩いて、2位に後退してしまい…。けれど最終18番、ラフに落ちたティショットがキックしてフェアウェイに戻ってきた。ロープの外でスタッフと「まだある。まだ諦められない。ワンチャンスある」と言葉を交わしました。そうしたら見事にバーディフィニッシュでプレーオフへ。アテスト小屋で「飯田さん、ドライバーが折れちゃったよ」と言われるまで、僕は18番でシャフトが割れてしまったことを知らなかったので驚きましたが、それでも負けるとは思いませんでした。
 最後のパーパットは大会ホストのジャック・二クラウスの後ろで見ていました。「本当に良かった」と思ったのと同時に、英樹に対しては「ごめんね」という気持ちで一杯になりました。この数週間前まで痛みを抱えたままプレーをさせてきた。背中に痛みが出たり、親指を庇うばかりに、無理をしていた部位が暴れ出したりもした。ですから私自身が、足を引っ張っていると思っていました。痛みがなければ彼は勝てるはずだと。ですから、英樹の初勝利が決して早いとは思いません。フェニックスオープンで50%の状態で優勝争いをした。もっと早い段階で痛みを取ってあげられたら、もっと彼は早く勝ったのではと今でも考えてしまいます。

 彼と最初に出会ったのは5年前の冬、まだ10代のアマチュアだった頃でした。足首が軟らかくて、良い選手になるかもしれないと思いましたが、プロ選手の肉体とは比べようもありません。英樹はまだ若く、伸び代がたっぷり残されています。彼自身それを自覚しています。スイングはさておき、トレーニングにおいては、様々な動きをする中で下半身のパワーをまだ上手に使えないところがあります。これからは、その「体のつながり」を養うことが一つのテーマになるでしょう。
 この1年は試行錯誤ばかりでした。日本ツアーの様に12月に最終戦が終わってから、約4カ月、体を仕上げて新シーズンの開幕を迎えられるわけではありません。年中試合があり、休みがない、移動も長い。それでも彼は自分を鍛えることを止めません。辛いトレーニングを毎週、試合期間中にも関わらずやっている。英樹自身が「それが優勝に繋がるためなら、僕は耐えられる」と言うのです。
 松山英樹というプロゴルファーの才能を一つ挙げるとすれば、それは高いレベルで努力を続けられる事だと思います。「もう少し後先を考えてみても良いのでは?」と思ってしまうこともありますが、彼は「今、この球が打てないと嫌なんだ!」と甘えようとしません。

 何かを探求したり、追究したりする心は、努力をし続けて出てくるものです。彼がゴルフの天才かどうかは分かりません。けれど努力なくしてあの力を出している訳ではないはずです。マスターズでローアマになり、日本ツアーでアマチュア優勝、ルーキーイヤーで賞金王にもなった。でもその裏では地道な鍛錬がある。華やかな表舞台を降りれば、トレーニングを終え、生まれたての小鹿のように足が震えて、階段を上がれない松山英樹もいる。
彼は毎日、酸欠状態になるまで鍛えていますよ。
 強化すべき部分はまだまだありますが、英樹の肉体的な一番の特長は、関節が軟らかい事です。だから筋肉の強さがつき、連動性がさらに出てくれば彼は竹になれる。しなやかに、力強く、真っ直ぐ空に伸びる竹に――
 英樹には私たち裏方のスタッフにも、気遣いが出来る人間性があります。多くの人々に慕われる選手になって欲しい。試合中はゲームに集中し過ぎるあまり目つきも鋭くなりますが、優しくて、イイ奴なんです(笑)。目指すメジャー制覇も、70%の力で、余力を残して勝てる。そんなプレーヤーになったら、最高にカッコいいですよね。

【プロフィール】

飯田光輝(いいだ・みつてる)

1977年、兵庫県神戸市生まれ。高校一年生でゴルフをはじめ、中嶋常幸プロの指導を仰ぎ、キャディも務める。日本アマチュアゴルフ選手権に2度出場。27歳でトレーナーの世界に入り、中嶋のほか伊澤利光、広田悟、小田孔明、藤本佳則、キム・ヒョンソンらのトレーナーを歴任した。TCM+(Total Conditioning Medical Plus)
チーフトレーナー

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  • プロ転向1年目にしてPGAツアーへの出場権を掴んだ松山英樹。夢の第一歩を踏み出したその体は、日本を震撼させたパワーの代償により、激しく蝕まれていた。連戦の過密スケジュール、長距離移動、そして重圧…。サポートチームの一員として、米国で生活を共にする帯同トレーナーが語った、苦難の道のりと快挙の瞬間。そして、彼の肉体とは――

    多くの人々の協力があった復帰への道筋

     日本ツアーの賞金王を決めた2013年から約1カ月後、私は英樹のパーソナルトレーナーとなり、アメリカに渡りました。PGAツアーの13-14年シーズンは既に開幕していましたが、長い1年を迎えるに当たり、何度も話し合いを重ねてきました。当時は左手親指の付け根付近、母指球筋に強い痛みがあったため、治療とトレーニングを並行して行うことを決めましたが、第一にこの故障はかなり重度だという印象を持ちました。
     最初の試合となったソニーオープンinハワイ。まずは出場するため様々な事に取り組んできましたが、練習場で20〜30球打てば、患部は痺れてくるような状態でした。

  • 開幕前のプロアマ戦の途中、英樹が「フルショットが出来そうだから、行ってみてもいいですか?」と聞くんです。しかしやはり本来の調子には程遠い。トーナメントには欠場者が出た場合に出場権が巡ってくるウェイティングの選手達がいます。彼らの準備を考え、ホールアウトしてからすぐに翌朝のプレーを断念する事を決めました。
     ソニーオープン当時の状態がベストな状態の10〜20%位だとすると、復帰した2週後のファーマーズインシュランスオープンは30〜40%ほど。ハワイから米国本土に渡る機内でも低周波治療器を当てるなど、移動時間も無駄に出来ませんでした。優勝争いに加わったウェイストマネジメントフェニックスオープンの時も50%程度。フェアウェイからのショットであれば患部への負担は少なく済みますが、ラフから打つ時は私自身、かなり心配していました。どの場面で痛くなるか分からず、片時も目が離せない状態でした。
     春先に一時帰国した際、私は知り合いに片端から知り合いに話を聞きました。「先生だったらどうしますか?」と。日本ツアーには優れたトレーナーが多くいて、先輩、後輩を問わず、少しでも情報が欲しかった。僕が治せないのに、プライドを持っていても仕方がない。
    とにかく英樹の痛みを取ってあげたいと、多くの人々が協力してくださいました。

  •  ヒントになったのは「痛みが出ている部位だけでなく、根本的なポイントを見落としているんじゃないか」という言葉でした。親指の治療をしてダメなら、そこに繋がる部分を集中的に治療する―。ターゲットは左ひじと前腕部になり、4月半ば以降、時間を追うごとに痛みが軽減されていきました。それまでは英樹の表情に漂っていた「いつ痛みが出るんだろう…」という不安から、徐々に解き放たれていく感じがしました。

    初優勝の歓喜
    胸いっぱいになった「ごめんね」の気持ち

     チームのスタッフは、誰よりも英樹自身が苦しんできた様子を傍で見てきました。だからこそ、ザ・メモリアルトーナメントでの初優勝を忘れられるはずがありません。
     最終日も「これで勝った」と思えた瞬間は最後までありませんでした。アダム・スコットも、バッバ・ワトソンも優勝争いの輪にいました。終盤16番で英樹はティショットを池に入れてしまった。でも表情を一切変えず、ガックリする様子も全くない。見ているこちらの方がドキドキしました。

  • ただ、17番はフェアウェイど真ん中からボギーを叩いて、2位に後退してしまい…。けれど最終18番、ラフに落ちたティショットがキックしてフェアウェイに戻ってきた。ロープの外でスタッフと「まだある。まだ諦められない。ワンチャンスある」と言葉を交わしました。そうしたら見事にバーディフィニッシュでプレーオフへ。アテスト小屋で「飯田さん、ドライバーが折れちゃったよ」と言われるまで、僕は18番でシャフトが割れてしまったことを知らなかったので驚きましたが、それでも負けるとは思いませんでした。
     最後のパーパットは大会ホストのジャック・二クラウスの後ろで見ていました。「本当に良かった」と思ったのと同時に、英樹に対しては「ごめんね」という気持ちで一杯になりました。この数週間前まで痛みを抱えたままプレーをさせてきた。背中に痛みが出たり、親指を庇うばかりに、無理をしていた部位が暴れ出したりもした。ですから私自身が、足を引っ張っていると思っていました。痛みがなければ彼は勝てるはずだと。ですから、英樹の初勝利が決して早いとは思いません。フェニックスオープンで50%の状態で優勝争いをした。もっと早い段階で痛みを取ってあげられたら、もっと彼は早く勝ったのではと今でも考えてしまいます。


  •  優勝した夜は韓国レストランに行きましたが、そこでプレーオフを戦ったケビン・ナ選手が別のテーブルで食事をとっていました。ほんの数時間前までタイトルを懸けて争っていた2人ですが、終わってみれば厳しい世界を一緒に戦う仲間。それがPGAツアーです。彼が「ヒデキ、お前のオゴリだな!」って笑いながら帰路についたのを覚えています。

    伸び代たっぷりの肉体

     ザ・メモリアルトーナメントの時も、英樹はトレーニングを欠かしていません。優勝の翌日も同じ様に体を苛めてから、全米オープンの会場へ移動しました。最初のプランでは、今年は下半身の強化がメインと考えていましたが、3月後半からは上半身のメニューも増やしました。段階を踏んでいく予定でしたが、想像以上に下半身のスピードが上がりすぎたからです。
     英樹は日本人選手としては大きな体をしているため、体格やパワーに恵まれているという見方もあると聞きますが、私としては正直に言って「まだまだ」と思っています。今は、「すごいトレーニングをするためのトレーニング」をしている段階です。

  •  彼と最初に出会ったのは5年前の冬、まだ10代のアマチュアだった頃でした。足首が軟らかくて、良い選手になるかもしれないと思いましたが、プロ選手の肉体とは比べようもありません。英樹はまだ若く、伸び代がたっぷり残されています。彼自身それを自覚しています。スイングはさておき、トレーニングにおいては、様々な動きをする中で下半身のパワーをまだ上手に使えないところがあります。これからは、その「体のつながり」を養うことが一つのテーマになるでしょう。
     この1年は試行錯誤ばかりでした。日本ツアーの様に12月に最終戦が終わってから、約4カ月、体を仕上げて新シーズンの開幕を迎えられるわけではありません。年中試合があり、休みがない、移動も長い。それでも彼は自分を鍛えることを止めません。辛いトレーニングを毎週、試合期間中にも関わらずやっている。英樹自身が「それが優勝に繋がるためなら、僕は耐えられる」と言うのです。
     松山英樹というプロゴルファーの才能を一つ挙げるとすれば、それは高いレベルで努力を続けられる事だと思います。「もう少し後先を考えてみても良いのでは?」と思ってしまうこともありますが、彼は「今、この球が打てないと嫌なんだ!」と甘えようとしません。

  •  何かを探求したり、追究したりする心は、努力をし続けて出てくるものです。彼がゴルフの天才かどうかは分かりません。けれど努力なくしてあの力を出している訳ではないはずです。マスターズでローアマになり、日本ツアーでアマチュア優勝、ルーキーイヤーで賞金王にもなった。でもその裏では地道な鍛錬がある。華やかな表舞台を降りれば、トレーニングを終え、生まれたての小鹿のように足が震えて、階段を上がれない松山英樹もいる。
    彼は毎日、酸欠状態になるまで鍛えていますよ。
     強化すべき部分はまだまだありますが、英樹の肉体的な一番の特長は、関節が軟らかい事です。だから筋肉の強さがつき、連動性がさらに出てくれば彼は竹になれる。しなやかに、力強く、真っ直ぐ空に伸びる竹に――
     英樹には私たち裏方のスタッフにも、気遣いが出来る人間性があります。多くの人々に慕われる選手になって欲しい。試合中はゲームに集中し過ぎるあまり目つきも鋭くなりますが、優しくて、イイ奴なんです(笑)。目指すメジャー制覇も、70%の力で、余力を残して勝てる。そんなプレーヤーになったら、最高にカッコいいですよね。

  • 【プロフィール】

    飯田光輝(いいだ・みつてる)

    1977年、兵庫県神戸市生まれ。高校一年生でゴルフをはじめ、中嶋常幸プロの指導を仰ぎ、キャディも務める。日本アマチュアゴルフ選手権に2度出場。27歳でトレーナーの世界に入り、中嶋のほか伊澤利光、広田悟、小田孔明、藤本佳則、キム・ヒョンソンらのトレーナーを歴任した。TCM+(Total Conditioning Medical Plus)
    チーフトレーナー

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松山英樹は2014年1月よりLEXUSの所属となりました。

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